案山子の帝王

柚緒駆

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70 水神の伝言

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 その日、エリア・エージャンの空を染めた夕焼けは、血のように赤かった。

 ジュピトル・ジュピトリスのオリンポス財閥総帥就任会見の冒頭、所信の表明を求められた彼が述べた言葉が波紋を呼ぶ。

「ご存じの方も多いと思いますが、僕はスケアクロウという名前で、ネットワークのあちこちに投稿していました。それを読んで頂いた方にはおわかりでしょう。いま、人類は危機に瀕しています。百年前の神魔大戦で死んだと思われていた邪神イ=ルグ=ルが覚醒しようとしているからです」

 会見場は静まりかえった。もちろん聞き入っている訳ではない。困惑しているのだ。

「僕が総帥に就任した目的は一つ、イ=ルグ=ルと戦い、人類を生き残らせる事です」

 この言葉はネットワークに爆発的な反応を生んだ。会見場に並ぶメディアの記者たちは、本社からの緊急通知に驚き、自分たちの端末に流れ込んでくる情報の量に言葉を失う。それは自分たちが世界の動きから取り残されている事実に気付かせるには充分だった。

「質問、いいですか」

 記者の一人が手を挙げた。ジュピトルから促され、質問する。

「イ=ルグ=ルが覚醒するというのは、つまりどういう事なんでしょう。そもそも、それをすぐに信じろと言われても、難しいのでは」
「信じる信じないの段階はもう過ぎました」

 ジュピトルは言う。

「あとはどう戦い、どう生き残るか、それだけです」
「問答無用で従えという事ですか」

 別の記者が問う。ジュピトルは答える。

「従う従わないの段階でもありません。我々に残された選択肢は、イ=ルグ=ルを倒すか、滅亡するかの二つしかないのですから」

 さらに別方向から声がする。

「あんた、頭がおかしいんじゃないのか。そんな事を言って、イ=ルグ=ルが覚醒しなかったらどうする。責任取れるのか」

「責任の所在など、もはやどうでもいい事です。生き残りたければ、そのための努力をいますぐ始めるしかありません。あなたが無意味に死にたいと言うのを止めはしませんが、現実は動かしようのない段階まで進んでいます」

 そしてこう続けた。

「人類にはまだ辛うじて、二つの選択肢が残されています。イ=ルグ=ルを倒せる可能性があるのです。何故ならそのために、デルファイの四魔人たちを始めとする多くの者たちが、すでに戦いを開始しているからです。このチャンスに僕は賭けます」

「具体的に、何をする気ですか」

 その問いを発した記者に向かい、ジュピトルはうなずく。

「エリア・エージャンの外に地下シェルターを建設します。兵器開発局にも増産体制を取るよう指示を出しました。戦闘部隊の整備計画にもすでに着手しています」
「他のエリアはどうなんです。同じ考えなんですか」

 その声には首を振る。

「現段階ではエリア・エージャンの独断です。ですが、今後すべてのエリアが同様の態勢を取って頂けるよう、説明を尽くします」

 そのとき、ナーガがジュピトルに近付いて耳打ちした。記者たちの中にも、新たな緊急通知が届いている様子が見える。

「皆さんの所にも連絡が入ったようですが」

 ジュピトルは微笑んだ。

「いまエリア・アマゾンが賛同の意思を表明してくれました」

 このタイミングでの意志表示は、もちろん偶然ではない。昼間のうちにウラノスが緊急の大三閥会議開催を要請し、エリア・アマゾンとトルファンに根回しをしていたのだ。しかし他のエリアについての質問が出た瞬間に意志表示をしたのは、アマゾン側の判断である。まさに『機を見るに敏』という言葉の体現。マヤウェル・マルソの手腕と言えよう。トルファンもそう遠くないタイミングで賛同してくれるのではないか。ジュピトルはそう考えていた。


 聖域サンクチュアリ迷宮ラビリンス。その奥の部屋。ベッド以外何もない殺風景な部屋が、ドラクルに与えられた居室だった。ドラクルは上半身裸でベッドに横たわっている。別に来客がある訳でもない、と気兼ねなどしていなかったのだが、そこに珍しく来客があった。聖域に戻ってきたばかりのプロミスである。

「……テレポート、ね」

 プロミスは目のやり場に困ってオロオロしている。

「は、はい、あの、私にも、確か出来るんですよ、ね」
「そりゃあね。ボクの血を受け継いだんだから、可能なのは間違いない」

「だったら、その、やり方を教えてください」

 ドラクルは無表情に天井を見つめながら言う。

「ハイムにも言ったんだけどね、ボクはいま人に会う気分じゃないんだ」
「そこを何とか、お願いします!」

 手を合わせるプロミスを一瞥して、ドラクルはため息をついた。

「まずは意識を飛ばすんだ」
「意識、ですか」

「イメージするんだよ、目的地の風景とか、会いたい人とかを。そうすると、見えてこないかい、君だって吸血鬼の端くれなんだから、千里眼くらい使えるだろう」
「……あ、見えた、ような気がします」

「見えたんなら、後は簡単だよ。そこに飛び込めばいいだけなんだから。やってごらん」
「はい、やってみます!」

 そう言った瞬間、プロミスの姿は消えた。テレポートしたのだ。ただしその場に、着ていた服と下着を残して。

「センスが悪いんだろうね、たぶん」

 ドラクルはまた一つ、ため息をついた。


 デルファイの北部、昆虫人インセクターの街、ダランガン。その街外れの教会に、3Jの姿があった。礼拝堂の椅子に座っている。天井を振り仰げば、ダラニ・ダラの巨大な頭部がぶら下がっていた。

「とうとうジュピトル・ジュピトリスがエリア・エージャンの主かい。時代が変わるねえ」
「やっとだ。やっとここまで来た」

 いつも通りの、感情のこもらぬ抑揚のない声。だが、どこかしら感慨めいたものを感じる。

「人類は、ようやくスタート地点に立つ事が出来た。すべてはここからだ」
「今度ジュピトルに会ったら、褒めてやんなよ。矢面に立ってくれてるんだからね」

「……俺がか?」
「おまえ以外に誰が居るんだい」

 ダラニ・ダラは呆れた。しかし3Jは困惑しているようだ。

「何と言って褒めればいい」
「よくやった、ありがとう、でいいじゃないか。何が難しいんだい」

 その言葉に、3Jは考え込んでしまった。

「おまえはホントそういうところを何とかしな。利口な馬鹿はタチが悪いよ」

 ダラニ・ダラがそう言ったとき、奥から修道服姿のクリアが現われた。

「ああ、居た居た。3J」

 袖を腕まくりしたまま、笑顔で近付いて来る。

「今日の晩ご飯、何か食べたい物ある?」

 3Jは振り返った。

「いや、俺は特には」

 その瞬間である。突然3Jの膝の上に、全裸のプロミスが現われた。

 場を包む、しんとした静寂。遠くで子供のはしゃぐ声。

「あれ?」

 意識を失っていたのだろうか、プロミスの目に光が戻る。そして自分が3Jの膝の上に座っている事に気が付いた。

「あっ」

 やがて自分が全裸である事にも気が付いた。

「えっ」

 ここでようやく、自分の置かれている状況を理解した。慌てて3Jのマントの中に体を隠そうとする。

「いやああっ!」

 それはすなわち、3Jの体にグイグイ密着する事でもあった。

「おい、こら」

 3Jが、膝の上からどかそうとプロミスの肌に触れようとした、その手をクリアがガシッとつかむ。

「3J」

 クリアは満面の笑みでにらみつけていた。

「こちら、どなた?」
「い、いや、ちょっと待て」

 3Jが動揺している。

「何を待って欲しいのかな? んー?」

 手をつかむ握力がギリギリと増す。笑顔から押し寄せる強大なプレッシャー。

「そうじゃない、話を聞け!」


「さらからの伝言?」

 3Jからマントを借りて、しゅんと落ち込んだ顔でプロミスはうなずいた。

「はい、水神様からあなたにこう伝えてくれと」

 3Jを見つめる。

「宇宙の目が舞い戻った。これでわかりますか?」

 一瞬で凍り付く空気。よほど重大な事なのだと、ようやくプロミスは理解した。

「あの」
「それはリキキマには話したか」

 3Jの問いにプロミスは首を振る。

「いえ、すぐにこちらに来たので」
「なら戻ってそれを伝えてくれ。ガルアムには俺から話そう」

「いや」

 ダラニ・ダラが口を挟む。

「先にアタシから全員に伝えるよ。おまえは策を練りな」
「わかった」

 3Jは立ち上がった。それを合図に、プロミスも立ち上がる。

「あ、あの」
「マントは貸しておく。いずれ返してくれればいい」

 そう言う3Jに、プロミスは首を振る。

「いえ、そうじゃなくて、一つだけ聞いておきたいんですけど」

 そして3Jとクリアを見つめる。

「二人って、その、恋人なんですか」
「へぇっ?」

 妙な声を出したのは、クリア。慌てて両手を振る。

「い、いや、そういうんでは、そういうのとは違って、その」
「あ、そうなんですね」

 プロミスは嬉しそうに微笑んだ。

「良かった」
「え、ええ、そう、はい」

 クリアは引きつった笑いを浮かべる。しかしそれに気付かないのか、プロミスは小さくお辞儀をした。

「それじゃ、帰ります。またいつか」

 その瞬間、プロミスの姿は消えた。マントをその場に残して。3Jはマントを拾った。背後ではクリアとダラニ・ダラが何やら言い合いをしているが、それどころではない。

 ヌ=ルマナに備えなければならない。こちらから攻撃するか、それとも相手の出方を見るか。いや、それ以前に、近接テレポートの対策に穴がある事がわかった。まずはそこから始めなくてはなるまい。
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