案山子の帝王

柚緒駆

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74 鬼

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 エリア・ヤマトでも地下シェルターの建設は急ピッチで進んでいた。とは言え、二日や三日で完成するはずもない。どれほど工法技術が進化したところで、やるべき手順や工程は、そうたいして変わらないのだから。

 武器兵器の量産にも速度的な限界がある。ましてイ=ルグ=ルとの戦いが、どれだけの規模で、どれだけの期間継続するのか誰も知らない。どれほど作れば「充分な数」に達するのか、わからないままフル回転で製造が続けられていた。

 しかし音を上げる訳には行かない。それが許される空気ではなかった。いま世界は百年の眠りから目覚めんとする邪神との大戦争に向けて突き進んでいる。簡単に弱音を吐いていいような、そんな余裕は社会から失われつつあった。

 それを思うだけで、男は疲れた。グッタリした。建設業者でも兵器産業の社員でもなかったが、取引先からその関連の噂話を聞くだけでゲンナリしてしまう。要は神経質すぎるのだな、男はそう思っていた。

 今日も今日とて駅から会社に歩いて向かう。午前八時。一日が始まる朝だというのに、その足が重い。あまりの重さに引きずりそうになる。周りの連中は皆、早足で軽快に男を追い越して行く。それがどうにも恨めしい。何故自分だけがこんな思いをしているのだ。コイツらは少しくらい世の中の動きを感じないのか。

「お兄さん」

 男が怒りに駆られそうになったとき、女の声がした。だが自分が呼ばれているとは思わなかった。もうお兄さんと呼ばれるような年齢ではない。見た目だってヨボヨボとまでは言わないが、幾分ガタガタだ。どちらかと言えば「お爺さん」の方がまだ近い。

 ただそれでも、その艶めかしい声が誰を呼んでいるのかには興味がある。だから立ち止まり、周囲を見回した。道の端で壁にもたれた、赤いミニのチャイナドレスが目に入る。剥き出しの脚がまぶしい。その若い女とマトモに目が合った。思わず顔をそむける。そのまま立ち去っても良かったのだが、好奇心には逆らえない。再びそちらに目をやると、女は満面の笑顔で男を手招いていた。

 男は思わず自分を指さした。女はうなずく。少なくとも怒ってはいないように見える。男は女に近付いた。女はのぞき込むように微笑む。

「ねえお兄さん」
「お兄さん、って私の事かね」

「そうだよ。他に誰か居る?」
「いや、誰かって他に……」

 男は振り返った。思わず声を上げる。

「なっ」

 誰も居ない。さっきまで、あれほどざわめいていた街角に、いまは誰の姿もなかった。

「そんな、馬鹿な」
「馬鹿な事じゃないよ。こういうお兄さんだからこそ声をかけたんだよ」

 男は再びチャイナドレスの女を見た。全身に汗が噴き出るイヤな感覚。

「いったい、これはどういう事だね」

 すると女は、顔の前に右手を持って来た。見せびらかすように動かしてみせる。人差し指と親指が、何かを挟んでいる。錠剤のようだ。それを己が口に放り込んだ、と思うと。

 突然、男の頭を抱えてキスをした。それもディープな。女の舌が男の口の中に割り入って来る。何が起こったのか、男には理解出来ない。喉に小さな異物感。自分がさっきの錠剤を飲まされたのだと思い至るには、三十秒ほどかかった。

 男は女を引き剥がし、息をつく。口の回りには口紅がベッタリ付いている。

「ああん、もう。こんな美人のキスをもったいない」

 笑いながら言う女の両肩をつかんで、男は深刻な顔でたずねた。

「何を飲ませた」
「心配しないで。毒じゃないから」

「じゃあ、何なんだ」
「何って、一言で言うのは難しいけど」

 女の目が妖しく輝く。

「重いでしょう。あなたは重くてたまらないのでしょう」
「な、何を言っている」

「あなたのその重さを、有効活用してあげようと思ったの」

 その言葉を最後まで聞けたかどうか。男は苦悶の絶叫を上げた。熱い、全身が燃えるように熱い。痛い、全身がねじ切られるように痛い。

 男の姿は膨らんだ。顔が、腕が、指が、腹が、全体が凄い勢いで膨らんで行く。巨大化して行く。その様子を見上げながら、女は微笑んだ。

「さあ、目覚めなさい。どんな怪物が現われるのか、新たな魔人が誕生するのか、ここで私に見せてちょうだい」

 男の身長は十メートルに達した。もはや先程までの面影はない。顔も、長い手足も痩せこけ、腹だけが膨らんでいる。目は赤くらんらんと輝き、髪はザンバラになり、その中から長い二本の角が天を衝いていた。

 男――鬼と呼ぶべきか――が空に向かって吼えると、半径五十メートルほどの地面が、コンクリートの砕ける音を立てて大きくへこんだ。

 赤いミニのチャイナドレスの女は、それを数百メートル離れた場所から見つめている。

「ここまではまあまあ。問題はこの後かな」

 そうつぶやくと、パン、と手を叩いた。突然、街角に出現する人間たち。いや、人間たちからすれば、巨大な鬼の方が突然現われたのだろう、周辺はパニックとなり、人々は悲鳴を上げて逃げ出した。その騒ぎの中に、女の姿はかき消えてしまった。


 情報は世界を駆け巡る。

「ジュピトル・ジュピトリスがイ=ルグ=ルの使いを撃退したらしい」

 エリア・トルファンで起きた事件については、これがまず拡散され、次いでトルファンの被害状況が明らかになって行った。

・被害者数はDの民と一般市民を含めて八千人超
・原因は不明
・死体には二種類あり。液化した物と何かに食い荒らされた物
・デモ参加者が凶暴化し、周辺にいた人々を殺戮したとの談、多数あり
・凶暴化したのは、黄金に輝く十文字が現われた直後との談、多数あり
・デモ参加者らはイ=ルグ=ルの名を叫んでいたとの談、多数あり
・黄金の十文字がイ=ルグ=ルの使者と名乗ったのを聞いたとの談、少数あり
・エリア・トルファン当局者は見解を表明せず
崑崙くんるん財団代表者も見解を表明せず、遺族への弔意のみ
・崑崙財団代表者、ジュピトル・ジュピトリスの関与について言及せず

 だが、やがて現地に居た報道関係者の撮影した動画が公開され、一般人のネットワークへの動画投稿も相次いだ。顔をイトミミズに覆われた化け物、襲われる人々、そして空に投影されたジュピトル・ジュピトリスらしき映像。

 そのタイミングを見計らって、オリンポス財閥は公式にイ=ルグ=ルへの非難声明を発表した。次いでエリア・エージャンの行政局もイ=ルグ=ルを非難し、さらにエリア・アマゾンも足並みを揃える。そしてようやくエリア・トルファンも崑崙財団と連名で、今回の事件の原因がイ=ルグ=ルによる侵略行為であったと認める声明を出した。

 ネットワークではジュピトル・ジュピトリスを賞賛する声が上がる。もちろんそれに対して、より早い段階で、もっとたくさんの人々を救う事が出来たのではないかという疑問の声もあったのだが、それらはみな「金星教団のシンパ」と扱われ、容赦なく攻撃された。

 この事件における金星教団の暗躍は、ネットワークで公然の秘密として語られた。イ=ルグ=ルと話し合えと言いだしたのは連中だ、デモを始めたのも連中だ、トルファンが狙われたのは連中の人数が多かったからだ、連中は今回の事件から逃げおおせて誰も死ななかったらしい、などなど、当たっている事もいない事もごちゃ混ぜで、すべて事実とされてしまった。反論がなかった訳ではないが、すべて怒声にかき消された。

 人々は正義の怒りに燃えていた。その正義を暴力的にぶつける対象を求めていた。自業自得とは言え、金星教団はそのターゲットとして最適と見做されたのだ。一部エリアでは金星教団の関係者がリンチに遭った。世界は混沌とし、殺気立ち、しかしその一方で確実に、ジュピトル・ジュピトリスを中心としてまとまりつつあった。


「あれは、いくら何でも酷いよ」

 深夜、星の降るような空。グレート・オリンポスの第三ヘリポート、階数にして二百五十階に設けられたそこは、風が強い。ジュピトル・ジュピトリスの視線の先には、マントがひるがえっている。3Jは答えた。感情のこもらぬ、抑揚のない声で。

「相談する余裕などなかった」
「そうじゃなくて」

 ジュピトルは首を振る。

「被害があまりに大きすぎる。敵の攻撃を未然に防ぐ事は出来なかったの」
「結論を言えば防げなかった。被害は最小限度に抑えている」

「八千人が最小限度?」
「イ=ルグ=ルとの戦いが本格化すれば、日常的に目にする数字だ」

「いや、だけど」
「慣れろ」

 3Jは言い切った。

「見知らぬ者の生死に心を奪われるな。人類という種が生き残る事だけを考えろ」
「それは、それは無理だよジュニア」

「その名で呼ぶな」

 感情はこもらない、だが断固とした言葉。ジュピトルは悲しげに微笑んだ。

「……わかったよ、3J」
「被害は甚大かも知れん」

 3Jは言う。

「だが結果的に人類は同じ方向を向き始めている。それを考えれば、価値のある犠牲と言える」

 ジュピトルは思う。そこまでして生き残る価値が人類にあるのだろうか。しかし彼がその疑問を口にする事はなかった。首元のネクタイピンが震動したからだ。

「ネットワークブースター接続」

 ジュピトルの視界に青い髪のアキレスが現われる。

「主よ、異変だ」
「何があったの」

「エリア・ヤマトに怪物が出現した」

 3Jを見ると、すでにパンドラのフロートディスクに乗り込み、上昇して行く。おそらくは、ペントハウスに向かうつもりなのだろう。それをしばし見送ると、ジュピトルは背を向けて室内に向かった。

「アキレス、情報を集めて」


 グレート・オリンポス最上階のペントハウス。寝室の大きな窓を開いて、ウラノスは星を見つめていた。そよと風が吹く。

「来たか」

 窓の外に人影。ポンチョをまとった銀色のサイボーグ。

「3Jの使いだ」
「データファイルを送れば良いものを、いつもながら丁寧な事だな」

「今後想定される事を伝えておく」
「ジュピトルには会わんのか」

 一瞬の間を置いて、ジンライは答えた。

「ジュピトルには3Jが会っている」
「おまえは会う気はないのか、と聞いているのだ」

「拙者が会っても意味はない」
「そんな訳があるか」

 ウラノスは目を剥いた。

「その手で育ててはいなくとも、親は親だ」

 しかしジンライは表情を変えない。変えるべき表情はすでに失われていた。

「拙者は剣にのみ生きる者。誰の息子でもなければ、誰の親でもない」
「その頑なさは変わらんな。おまえの未熟なところだ」

 ウラノスは一つため息をついた。

「いいだろう、話を聞こう」

 だがそれが話される事はなかった。フロートディスクに乗った3Jが下から現われたからだ。

「ジンライ、戻るぞ」

 そう言うと、返事も聞かずに上昇する。上空には真っ白な直方体、パンドラが降下して来ている。ジンライも一つため息をついた。

「後日データファイルを送ろう」

 それだけ言い残して、暗い空へと舞い上がる。ウラノスはいつまでも星空を見上げていた。
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