案山子の帝王

柚緒駆

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128 永劫の輪

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――足りない、足りない、血が足りない

 イ=ルグ=ルの触手が次々に人々を釣り上げる。丸い体の表面に湧く黒いイトミミズの群れが、悲鳴を上げる者たちを飲み込んで行った。

――血を! 血を! 血を!

――力さえ、力さえ満ちれば、こんな惑星など一瞬で

 打撃、一撃、衝撃。突然現れたガルアムの拳が、イ=ルグ=ルを打ち据える。黒い塊は一度地面にバウンドして、高く跳ね上がった。そこに真上から突き刺さる三叉の槍。手にしているのはウッドマン・ジャック。

「戻れ」

 どこからか聞こえる3Jの声に、ガルアムとジャックは離れた。だがイ=ルグ=ルは自由にはならない。周囲八方向から、目に見えない壁が邪神を押さえつけたからだ。

「深淵の風」

 クリアの声と共に、夜を白くするほどの冷気が走り、イ=ルグ=ルは氷漬けになった。このタイミングで飛来する巡航ミサイル。全弾命中。炎をはらんだ爆煙が、もうもうと上がる。


 逃げていた人々は空を仰ぎ、つぶやいた。

「……やったのか」
「残念ながら、まだでございます」

 いつの間にそこに立っていたのか、ハイムが軽く会釈をする。

「戦いはこれから。皆様方はいまのうちに、少しでも遠くにお逃げください」

 そのとき爆煙の中から、イ=ルグ=ルの触手が二本、逃げる人々に向かって伸びた。その一本をハイムが受け止めた。残り一本を、ズマが回し蹴りではね除けた。そしてジンライの超振動カッターが、二本の触手を細切れにする。

 唖然とした顔で見つめている人々に、ハイムが手を叩いて繰り返した。

「さあさ、早くお逃げください。イ=ルグ=ルに食べられたいなら別に構いませんが」

 催眠術でも解けたかのように、人々は慌ててまた逃げ出した。それを横目で見ながら、ズマが一つため息をつく。

「あーあ、こんな役しか残ってねえか」
「怖いなら貴様も逃げていいぞ。役立たずは要らん」

 ジンライの辛辣な言葉に、ズマは歯をいた。

「うっせーわ、おまえこそ休んでろ、ポンコツ」
「おやおや、お二方ともお元気ですな」

 ハイムは笑う。笑いながら、逃げた人々の後を追う。ジンライもズマも、それに続いた。


 エリア・トルファンの朱雀塔、セキュリティセンターのモニターに映し出される炎と爆煙。

「全弾命中しました」

 ナーギニーが振り返るが、ジュピトル・ジュピトリスの顔は険しいままだ。

「やったと思うかの」

 ムサシの軽口めいた問いにも、一言「まさか」と答える。

「出て来るぞ」

 ドラクルの言葉通り、煙の中から黒い塊が、ゆっくりと姿を現わす。その映像に、ノイズが走った。そのとき脳髄に感じる、強烈な圧迫感。

――イ=ルグ=ルは、神である

 その強大な思念波はエインガナからトルファンまで届いた。いや、おそらくは世界中を駆け巡っている事だろう。

――イ=ルグ=ルこそが、神である

 凶悪な暗黒の意思が、頭の中で暴れている。ジュピトルはその痛みに堪えながら、モニター画面をにらみつけた。

――この意思は宇宙の意思。それを何故に拒む、何故に逆らう

「そのおごり高ぶりが愚劣だと、どうして気付かない!」

 ジュピトルが叫んだとき、周囲が暗黒に包まれた。違う。ただの暗黒ではない。何故なら星が輝いている。一つ輝き、十輝き、百、千、億、兆の輝きが世界を覆った。

――愚劣だと

 星々の隙間に、暗闇よりなお黒い塊が漂っている。

――イ=ルグ=ルが驕っているだと

「ああ、おまえは愚かで傲慢だ」

 ジュピトルに怯えはない。その全身を怒りが支えていた。

「おまえは確かに宇宙の意思なのかも知れない。でもそれは僕らだって同じだ。僕ら人間だって一人一人、この宇宙の中に生きている意思なんだ。おまえは僕らと同じ次元の存在に過ぎない。なのにおまえにはそれが理解出来ない」

――愚劣なるが故に拒むと言いたいか

「それはおまえだ。おまえがそうだから、他もそうだと思ってしまう。そうであって欲しいと願う。おまえは自分自身をまるで知らない。だから愚かと言われる」

――イ=ルグ=ルは宇宙を知る。世界を知る。すべての智を知っている

「外側にある事を知るくらい、誰にだって出来る。おまえはそれすら理解していない」

――真実から目をそらす人の身でそれを言うか

「確かに真実から目をそらす者は居る。けれど、おまえなどより遙かに深く遠くを見つめている人間だって居る。何故なら人は多様だからだ。おまえがやっている事は、ただ下を見て安心しているだけに過ぎない」

――黙れ

「おまえにとっては、すべての人類が下等でなくては困る。自尊心を維持できないからだ。だから皆殺しにする。誰も検証できないように」

――黙れ、黙れ、黙れ

「いますぐ鏡を見るがいい。おまえは神などではない。身の程知らずに神に憧れる、ただの人食いの化け物だ」

――ほざくな人間が! 口先だけの下等種族が! 食われて我が血肉となる事を……

 その瞬間、宇宙に白い光が満ちた。


 ジュピトルは、ハッと顔を上げると、隣に立つムサシにたずねた。

「何秒?」
「二秒半というところかの」

 白日夢から覚めたとき、もう頭の圧迫感は消えていた。おそらくはガルアムの思念波が、イ=ルグ=ルのそれを圧倒しているのだ。

「イ=ルグ=ルは追い詰められている」

 そう言うジュピトルの顔を、ドラクルがのぞき込んだ。

「だったらミサイルは、エインガナに向けた方がいいんじゃないか」
「いや」

 しかしジュピトルは首を振る。

「すべてのドローンはそのままトルファンに。エインガナは3Jたちに頑張ってもらう」
「慎重だねえ」

 笑うドラクルの向こう側で、プロミスが目を丸くしていた。


『宇宙の目』は見えている。『宇宙の耳』も聞こえている。この惑星上で起こる事など、何でも手に取るように理解出来る。そう、すべてわかるのだ。わかるのに、消耗が激しすぎて身動きが取れない。

 このままでは百年前と同じではないか。いや、違う。同じではない。百年前の人類は、こうも手強くはなかった。何倍もの人数と強大な核兵器、無数の生体兵器、戦闘機、ミサイル、その他膨大な軍事力を持ってはいたが、集団としてのまとまりには欠けていた。結果として身を隠す事にはなったものの、もし百年前にヌ=ルマナとハルハンガイを呼び寄せていれば、難なく壊滅できたろう。

 あのときは一時的な休眠のために、コアと肉体を分離した。それが百年に及んだのは、想定以上に人類の数が減り、血の量が足りなくなってしまったためだ。この身に宿るすべての力を使いこなすには、まだ血が足りない。あとほんの二、三億ほどの人間の血があれば、あとほんの二、三十年の時間があれば、ここまで苦しむ事はなかったというのに。

 結局はタイミングなのだ。いまこの時という、人類にとっては最良の、こちらにとっては最悪のタイミングで目覚めねばならなかった事が元凶。すなわち運だ。ただ幸運が人類に味方をしているだけ、この状況を言い表すには、それで十分と言える。

 とは言え、このまま長くは続かない。もう一度、身を隠さねばなるまい。そう、もう一度。今度こそは全回復するまで安全が確保される場所に。

 永劫の輪の向こう側に。


 ガルアムがイ=ルグ=ルの思念波を押さえ込み、ダラニ・ダラの目に見えない壁がイ=ルグ=ルの動きを封じた。ウッドマン・ジャックが槍をイ=ルグ=ルに突き立て、その槍の正体であるリキキマがイ=ルグ=ルの体内をグルグルと動き回った。

 そしてジャックは槍を手に、3Jの元へと降り立った。

「どうだ」

 3Jの言葉に対し、リキキマは少女の姿へと戻る。

「どうもこうもねえな。真ん中に硬い核がある。思念結晶があるとすりゃ、そこだな。それ以外は何もねえよ」
「体内で攻撃は受けなかったのか」

「言ったろ、何もねえんだよ。同化も思念波も、何もだ」

 まるでそれが不満であるかのように、リキキマは吐き捨てた。3Jは考え込む。何だ。何を企んでいる。何を待っている。いまのヤツに何が出来る。

「ベル」
「何、どうするの」

 鈴を転がすような声が耳元で応える。3Jは顔を上げてこう言った。

「イ=ルグ=ルの核を三十秒焼け。出力調整は任せる」
「貫通させた方がいい?」

「可能ならばな」
「了解、やってみる」

 一拍置いて、空の上から赤い光が落ちてきた。正体不明な物が焼ける不快な臭気が立ち込める。イ=ルグ=ルに動きはない。『宇宙の耳』に3Jとベルの会話が聞こえていないはずはないから、このまま三十秒間我慢するつもりなのだろうか。

 赤い光は徐々に輝度を増し、黄色く変わって行く。ビームの出力が上がっているのだ。しかしイ=ルグ=ルに反応はない。ダラニ・ダラの戒めを解こうと時折もがきはするものの、ビームで焼かれている事には気付かないかのようだ。だがそれは有り得ない。

 これといって何の反応も見られないまま、三十秒が過ぎようとしていた。次に打つべき手を3Jが考え始めたそのとき、不意にイ=ルグ=ルの側面に穴が空いた。そこから放たれる黄色いビーム。パンドラの砲撃を体内で屈折させたのだ。その行く先に立っていたのは、クリア。

 だがクリアの前には、ダラニ・ダラがあらかじめ防御のために、見えない障壁を置いてある。ビームは障壁で屈折し、明後日の方向に進んだ。それでおしまい、のはずだった。

 けれどビームはまた曲がった。そこには何も見えない。少なくともダラニ・ダラは何もしていない。なのにV字を描いたビームは、3Jを背中から撃ち抜いた。
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