もーきん ずばばばばーん!

柚緒駆

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嘘と本当

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 結局、僕は何もできなかった。あの後、囮の役すら奪われた僕は、一人でとぼとぼと帰宅した。そして今、真っ暗な部屋で何もできずに座り込んでいる。『彼』の目的は果たされたのだから喜ぶべきなのだろう。だが僕にはそれは難しいのかもしれない。

 自分は人として駄目なのだろうか、自分は誰の役にも立たないのだろうか、そんな考えが頭を巡る。そしてそんな事しか考えられない自分が嫌になる。僕は全ての自信を失いつつあった。いや、駄目だ駄目だ、一人で考えてちゃ悪い方にしか考えが向かわない。今はとにかく『彼』が戻るのを待とう。

 ガチャリ、と音がした。窓を見上げる。だが音は階下からだった。一階に降りると、台所のテーブルに母さんが突っ伏していた。流しに置かれたコップには水が半分入っている。

「ご飯食べた?」

 突っ伏したままそう問う母さんに、「うん」と答えた。

「ごめんね、明日はもう少し早く帰れるはずなんだけど」
「いいよ、無理しないで」

「夢一郎」
「ん」

「大学、行ってもいいんだよ。母さん大丈夫だから」
「……そう、考えとく」

 また本当の事が言えなかった。今の母さんに向かって、学校が嫌いだから大学に行きたくないとは言えない。だがそれでいいのだろうか。

 いつもそうだ。いつも僕の心は、ある時は「真実」を求めると言いながら、実際には「本当の事」から逃げようとしているのではないか。ああ、まただ。階段の途中で僕は頭を抱えた。こんな事ばかり考えているから、こんな事しか考えられないから僕は。

 カタリ、と音がした。今度は間違いなく二階からだった。思わず走り出しそうになる気持ちを何とか抑えて、僕はそっと静かに自分の部屋の前に立った。ゆっくりとドアを開ける。暗闇の中、なお黒い影が机の上にあった。

「おかえり」

 小さく声をかけ、そっとドアを閉め、部屋の照明を点けた。真っ白だった。真っ白い塊がそこに座っていた。パーカーもズボンもサングラスも、蜘蛛の巣と埃とで真っ白けっけになっていた。

「あー……」
「気にするな。問題無い」

 そう言うと『彼』は前足でサングラスをバッと取り、パーカーの胸のマジックテープをバリッと開け、ズボンから後ろ脚をズボッと引き抜き、全てまとめてゴミ箱に放り込んだ。

「スッキリしたわい」

 鼻っ面の埃をカーテンで拭きながら、『彼』は楽しげにそう言った。

「バッテリー、大丈夫だったんだね」
「ああ、さすが金持ちの家だな、腐るほどコンセントがある。屋根裏にまでコンセントがあってな、盗電し放題だったわ」

「そ、そりゃ良かった。で、収穫はあったの」

 すると『彼』は一瞬考えるような間を取り、

「まあな、あるにはあった」

 と言うなり、黙ってしまった。どうしたのだろう、何か僕がマズい訊き方でもしたのだろうか。いつもと同じだったと思うのだが。僕は言い方を変えてみることにした。

「でもよく見つからなかったよね、警備は大丈夫だったの」

「ふむ……監視カメラは廊下と広間にしか無いし、一応赤外線センサーはあったが、ワシは発熱を室温と同じに調整できるので引っかからんしな。そもそもコンピュータ自体が原始的だった。磁気テープ式のな。今の技術的には先端を行く設備なのかもしれんが、ワシの前ではザルの如きセキュリティだ」

 良かった。僕は話の内容よりも、『彼』が怒っていない事に安心していた。さっきはやはり訊き方が悪かったのだろうか。では次に何とたずねよう。僕が迷っていると、『彼』はやれやれと言った風に溜息を着いた。

「やはり、聞きたいか」
「うん、そりゃ」

「そうか、そうだな」
「なんだよ、もったい……ぶらないでよ」

 つい大声を出しそうになる自分を、必死で抑える。何故『彼』は教えてくれないのか、僕は苛立ち始めていた。

「もったいぶっている訳でも隠している訳でもない。どう説明していいのか、ワシも困っておるのだ。連中がしていることは大方わかった。だが何故そんなことをしているのか、理由が全くわからん。ただ……」

「ただ?」
「何と言ったかな、あの暴れていたウコッケイ」

 僕の心臓ははギクリと震えた。

「もーきんの事?」
「そうそう、もーきんと言ったか、アレは何かを知っておるはずだ」

「何かって?」
「それがわからんから困っている。そこでだ、今度あいつに会ったら、ここに連れてきて欲しい」

「え、会うの」

「止むを得まい。もしやすればワシと志を同じうする者やもしれんし、そうでなくとも、連中のあの派手な反応を見る限り、相当に核心に迫った何かを知っておる可能性がある。確かに、ワシの正体を明かすのはリスクが高いが、それだけの価値はあるはずだ」

「……」
「どうした、まだ気持ちでも悪いのか」

「大丈夫、何でもない」

 僕はそう嘘をついた。違う、一概に嘘とは言えない。気持ちは別に悪くなかったからだ。悪かったのは気分である。何故もーきんなのか。何故僕ではないのか。いや、わかっている。理屈では理解している。だが感情がそれを拒絶する。僕の疎外感は体の内側を黒く蝕んで行くようだった。

「とにかく、詳しい事はあのウコッケイに会ってからだな」

『彼』の言葉に、僕はうなずくと部屋の照明を落とした。まただ。また僕は「本当の事」から逃げ出してしまった。



 夜の軍本部で、ダチョウは頭を抱えていた。

「対象者三名のうち、二名までさらわれたというのか」

 コウテイペンギンはそんなものだろ、という顔でこう言った。

「しかし、さらって行ったのは『未知の第三勢力』だからね、当面の脅威とは言えない」

 オオワシは少々眠そうだった。

「まあ警察が全面的に向こう側だと判明しただけでも収穫だろう」
「そんなものが収穫と言えるか!」

 ダチョウは怒鳴りはしたものの、その怒りを部下にぶつける事はしなかった。ソファに座る三人の前で、シャモ中尉はまた直立不動の姿勢をとっていた。

 ペンギンは落ち着かない風に、お腹の前で翼をパタパタさせている。

「警察が向こうの手にあるというのは厄介だねえ、面倒臭いというか」

 オオワシはフフッと鼻を鳴らした。

「警察に任せろと言ってたのは君だったはずだが」
「ああ、あれは撤回するさ、すればいいんだろう」

 ペンギンは悔しそうに脚をバタバタさせた。その時、ダチョウの席の内線電話が鳴った。電話の向こうから甲高い声で状況報告が聞こえる。

「報告いたします。現在、当本部正門前に警察機動隊が集結中、バリケード設営の模様」
「第一戦車部隊を正門内側に移動させろ。砲門は相手に向けるな」

 ダチョウの指示に迷いは無かった。コウテイペンギンはまた落ち着かなそうに翼をパタパタしている。

「やれやれ、物騒な話だね」
「将棋だからな、相手に指されっぱなしでは負ける」

 欠伸あくびをしながらそう言ったオオワシの言葉に、四つ目の声が応えた。

「つまり私は将棋のコマという事ですか」

 三軍の長が部屋の隅にある椅子へ視線を集める。そこにはさらわれなかった三人目の対象者、ハチクマ先生が座っていた。

 ダチョウは大きくうなずいた。

「そういう事ですな。ご理解が早くて助かります。あなたの身の安全は軍が保障しますが、当面は行動の自由を制限させていただきます。どうかご了承ください」

 ビル街の真ん中で監視者のアヒル親子と接触した直後、ハチクマ先生は私服の軍関係者に同行を求められた。疑わなかった訳ではない。しかし小国財閥の意向なら警察が動くのではないか、そう思ったハチクマ先生は、乗りかかった船、いや、毒を喰らわば皿までと同行に同意した。

 そうしたらあっさり軍本部に連れて来られ、入念なボディチェックや本人確認などのあと二時間程放置されて、やがてこの部屋に通された。その直後にシャモから三軍の長への報告で、圭一郎とコロが何者かにさらわれた事を知らされたのだ。

「それは構いませんが、私ではコマとして力不足ではありませんか」

 ハチクマ先生は謙遜と見せかけて、ちょっと鎌をかけてみた。

「ご心配には及びません。歩のない将棋は負け将棋といいますしね」

 コウテイペンギンは軽く口元を緩めた。

「まあ、あなたがご存じの事は我々も既に知っております。おそらく相手方も充分承知している事でしょう。ただ大事なのは、あなたがここに居るという事実です。あなたがいるのだから、他の二人も居るかも知れない、と思わせる事が重要なのですよ」

 自分達が知っている事は具体的に何一つ話さず、それでいてこちらが納得せざるを得ないよう状況を説明している。さすがに圭一郎を相手にするようには行かないな、とハチクマ先生は思った。

「未確認知的生命体というのには興味ありますがね」

 オオワシはそう言うとニヤリと笑い、ペンギンとダチョウがギロリと睨んだ。なるほど、コロについては軍でもそれ以上の事はわからないという事か。



 某所地下にある雉野真雉の寝所は、三十畳程の正方形の和室であったが、その中を見られる者は、ごく限られた世話者数名だけであった。寝所を取り囲むふすまと襖の間には、カミソリの刃一枚入る隙間も無く、さらにその内側には分厚い遮光カーテンが掛けられていると言う。暗闇を閉じ込めたが如きその部屋の前に、警護隊長が一人訪れた。

「機動隊の配置、完了しました」

 襖の向こう側から、微かな返答があった。

(うむ)

「明朝、犯罪容疑者三名の引き渡しを、軍本部へ非公式に要請いたします」

(うむ)

「なお例の未確認生物ですが、アオサギに確認したところ、身長十五センチ程度のヒトガタとの事です」

(!)

「……真雉様?」

(よい、行ってよい)

「はっ」

 警護隊長が姿を消してしばらく後、暗黒の詰まった襖の向こうから、すすり泣くような声が漏れ聞こえたという。
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