強請り屋 静寂のイカロス

柚緒駆

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双生児事件

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 それは空の高く晴れ上がった、気温も十五度を超えた十二月の暖かいある日。都心部の国道沿いのオープンカフェに、五味民雄の姿があった。ヨレヨレのグレーのスーツに黒のネクタイ、ボサボサ頭に無精髭を生やした三十がらみの男の姿は、小洒落たその場所にはいささか不似合いに見えた。

 白いテーブルと椅子の並ぶ真ん中辺り、道路に背を向けて座り、苦そうな顔でブラックコーヒーを飲む手には、今朝の新聞。開かれた社会面を大々的に飾るのは、相も変わらず双生児事件であった。


 ここしばらくマスコミを騒がせ続けるこの事件、発端は農業用水池の土手から犬の死体が発見された事である。大型のジャーマンシェパードを埋めたと見られるその場所から毒物が検出された事により、警察は毒物及び劇物取締法違反容疑で、一年ほど前まで大型犬を飼っていた、近所に住む七十五歳の矢木源太郎を逮捕した。犬を殺して埋めたと考えられたのだ。だがその後、事態は急転する。

 矢木源太郎には大二郎という双子の弟がおり、一年ほど前から行方不明になっている。ちょうど源太郎が犬を殺した頃だ。何らかの関係があるのでは、と調べた県警本部は驚愕した。実は源太郎として逮捕された男こそ、矢木大二郎その人だったのだ。双子の弟が兄とすり替わっていたのである。つまり本当に行方不明なのは、兄の矢木源太郎だった。

 これにマスコミが飛びつかないはずがない。江戸川乱歩の『双生児』を思わせる奇怪な事件に、日々報道は過熱して行く。テレビも新聞も連日トップで報じ、インターネットの掲示板やSNSには、この事件の真偽不明な情報が大量に流れ出した。そして警察の不甲斐なさが騒動に拍車をかける。

 捜査本部は兄の行方を大二郎に問い質(ただ)した。しかし一切黙して語らず、自白を引き出せないでいた。源太郎の家はもちろん、かつて大二郎が住んでいた場所も、天井裏から床下の隅々まで調べたが何も見つからない。担当刑事の心証的には、源太郎は殺されている可能性が高かった。マスコミを筆頭に、世間もそういう前提でこの事件を見ている。だが死体がなければ容疑を固めるのは難しい。再逮捕を繰り返すにも限界がある。勾留期限も近付き、県警は焦っていた。



 原樹敦夫は県警捜査一課の刑事である。その百八十五センチを超える、ラグビーで鍛え上げた岩のような巨体は、誰の目にも荒事向きと映った。だが刑事の仕事にもイロイロある。今日、原樹の班は朝から溜まったデスクワークを片付け、ようやく終えていま昼食を摂りに出てきたのだ。

 隣を歩くのは直属の上司、築根麻耶警部補。濃いブラウンのスーツに、派手に染めた長い金髪を後ろで団子にまとめ、頭一つ分大きな原樹を従えて颯爽と街を歩いている。すれ違う男たちが揃って振り返るその容姿は、しかしアクリル樹脂と陰口を叩かれる程の強靱さを秘めていた。

 子供を産んだばかりの妻には内緒にしているが、原樹は築根の隣を歩くのが、ちょっと嬉しい。浮気ではない。ないのだけれど、何だか得をしたような気分になるのだ。もちろんそんな気持ちなど、築根は知らない。だがそれで良い。それが男の純情というものなのだ。と、心の中で大きくうなずく原樹の隣から、築根の姿が消えた。慌てて振り返ると、後方で立ち止まり何かを見つめている。

 そこにあるのは道路沿いのオープンカフェ。白い椅子やテーブルが並ぶその真ん中辺りに、ヨレヨレのグレーのスーツを着た、ボサボサ頭の男が後ろ向きに座っていた。築根はその背中に真っ直ぐ向かう。

「あ、あの警部補」

 原樹が声をかけたのと、築根が足を止めたのは同じタイミング。

「珍しいな、こんなところで」

 築根に声をかけられて、ボサボサ頭の男は振り返る前に、まず舌打ちをした。そして築根に向けた横顔には、原樹も見覚えがあった。

「あ、おまえ。五味」

 五味民雄。県内某市で興信所を経営する、まあ平たく言えば私立探偵であるが、警察界隈では別の呼び方で通っていた。

「おまえ、また誰か強請(ゆす)ってるんじゃないだろうな」

 そう、五味の通称は『強請り屋』である。前科こそないが、他人の弱みを握って金をせびる、ダニのような男として有名だった。しかし原樹の声に五味は眉を寄せる。

「馬鹿デカい声で、人聞きの悪い事言わんでもらえますかね」
「何だと」

「よせ、原樹」

 呆れたような顔の築根に止められて、原樹は不満げに鼻息荒く口をつぐんだ。実際のところ不満なのだ。なぜ築根はこんなクズに親しげに話しかけるのか。その優しい微笑みはどういう訳だ。

「今日はジローは一緒じゃないのか」

 築根の問いに、五味はぶっきらぼうに答えた。

「こんな面倒臭い場所になんぞ、連れて来ねえよ」
「そうだな。ここは県警本部に近い。おまえにとっては面倒臭い場所のはずだ。しかも禁煙地区でタバコが吸えない。よくそんな所に来る気になったな」

「職務質問ですか。悪いけど守秘義務があるんでね、何も話せないですよ」

 五味は明らかに築根に苛立っていた。吐き捨てるような言葉が心情を物語っている。

「アンタらはまたどうせ、人殺し捕まえに行くんだろ。油売ってていいのかよ」
「悪いが、いまは休憩中だ。公僕だって昼食くらいは食べる」

「じゃあ、さっさと食いに行けばいいだろ」

 すると築根は静かに腕を伸ばした。そして五味の持っていた新聞を指さす。

「昼からは、この事件の捜査の応援なんだ」
「あっ、警部補それは」

 慌てる原樹に、築根はイタズラっぽい小さな笑顔を返した。

「どうせマスコミにはバレる事だ。構わないよ」

 五味も困惑した顔で築根を見上げている。

「何考えてんだ」
「おまえ、この事件どう思う」

 五味は新聞に目を落とす。そこに見えるのは、双生児事件の記事。

「どうって、別にどうも思わねえよ」

「マスコミは、当初から死体なき殺人事件だと報じている。実際のところ警察もその線で捜査しているんだが、どうにも証拠がない。普通に考えれば、死体がどこかにあるはずだ。だがどこからも見つからない。何故だと思う」

 その築根の優しげな口調は、どこか挑戦的な響きを持って原樹の耳に届いた。

「死体はどこにある。おまえが刑事なら、どこを捜す」

 五味は呆気に取られた顔で、一つ溜息をついた。そして頭を掻くと、面倒臭そうな口調でこう言った。

「どこも捜さねえよ」
「どこも?」

 その答にはさすがの築根も驚いたのだろう、目を丸くして五味の顔を見つめた。五味は続ける。

「オレなら、ポストに廃品回収業者のチラシが入ってたかどうか調べるな」

 原樹の脳裏に映像が浮かんだ。自宅のポストにも、家電製品やバイクを回収する業者のチラシがときどき入っている。不要品にそのチラシを貼り付けて回収日に出しておけば、業者が勝手に持って行ってくれるのだ。

「その業者が怪しいと言うのか」

 築根の声のトーンが下がった。顔に緊張が浮かんでいる。しかし五味は鼻先で笑った。

「いいや。ただ充電式のチェーンソーが回収されてるかも知れないだろ」

 その一言が築根の笑みを完全に消し去った。全てを察したのだろう。だが原樹にはよくわからない。

「あの、警部補。いったいどういう……」
「何故だ。便利だからか」

 しかし築根は答えず、五味を見つめる。五味は面倒臭そうにうなずいた。

「そういう事だろうな。腕力のない年寄りが、人の死体を一つ隠すのは大変だ。隠し場所まで運ぶだけでも一苦労だし、穴を掘って埋めるにせよ、重りをつけて海に沈めるにせよ、一人じゃ難しい。だとしたら共犯者がいるかも知れん」

「いや、それは」

「そう、共犯を作るってのは、それだけバレやすくなるって事でもある。ここまで用意周到なジジイが、そんなリスクを取るかどうか。だがもし死体を一人で扱うんなら、小さく細かくしなきゃならない。だからといって、手ノコで死体をバラバラにするのは、時間的にも体力的にもしんどいだろ」

「ルミノール反応は」築根は食い入るように五味をにらみつける。「矢木の家からは血液反応が出ていない。チェーンソーで死体をバラバラにしたのなら、大量の血が飛び散るはずだ」

「そんなもん、壁やら天井やらにゴミ袋でも貼り付けておけばいいだけだろ」
「バラバラにした死体はどうする」

「死体の断片はスーパーのレジ袋にでも入れて、後は壁に貼り付けたゴミ袋やら、返り血を拭き取ったタオルやら、全部まとめて燃えるゴミの回収日に出せば、綺麗に焼いてくれる。葬式もいらねえって寸法だ」

「だが一度に出せばバレる」
「だったら何回かに分けて出せばいい。そこまで頭の悪いジジイじゃねえだろ」

「なぜ充電式なんだ」
「エンジン式じゃ、音で近所にバレるじゃねえか。町中でチェーンソーを廃品回収に出すなんて滅多にないはずだ。業者も憶えてるんじゃねえかな」

 その言葉を最後まで聞かず、築根は猛然と振り返った。

「行くぞ、原樹!」
「あ、ちょ、警部補、昼飯は」

 走って行く築根を、原樹はダッシュで追いかけた。
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