強請り屋 静寂のイカロス

柚緒駆

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正しい幸せ

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「仏法こそが正義。仏道こそが正道。自然信仰など浅薄で短絡的なオカルティズムに過ぎません。人は理性を持つ存在です。理性によって己を律せねばならないのです。自然の営みはすべて物理法則の内側にあり、そこに神を見る必要などないと断言して良いでしょう」

 天晴宮日月教団の、信者のほとんど九割以上は在家だ。総本山にいる出家信者は二十人ほど。そのすべてを二階大広間――ホテルだった頃には結婚式場だったらしい――に集め、給孤独者会議(凄く言いづらい)の殻橋さんは、うちの教団を全否定した。

「アニミズムなど、まやかしです。それに基づく宗教など、邪教と言って差し支えない。しかしご安心ください。邪教徒であるみなさんにも救いはあります。ただちに仏道に帰依しなさい。ひとえに仏法による救いのみを求めるのです。さすれば皆様の魂は輪廻の輪を外れ、解脱への道を辿ることでしょう」

 スポットライトを浴びながら、演壇の上から託宣を下すかのように語る殻橋さんに対し、信者のお爺ちゃんお婆ちゃんは、困ったような顔を浮かべた。

「仏様なら、部屋に仏壇がありますが」

 そうおずおずと話したのは、信者会のリーダーを務めるお婆ちゃん、羽瀬川つや子さん。すると殻橋さんは、さも面白そうな顔をした。

「ほう、この天晴宮日月教団の信者として出家しながら、仏壇は捨てなかったのですか。それは何故」
「何故って、代々引き継いだ大事な物ですし、ここの教祖様は、ご先祖を祀るのは良い事だと言ってくださいますから」

「不思議に思いませんでしたか」
「は?」

 その言葉の方が不思議だ、羽瀬川さんはそんな顔をした。でも殻橋さんは、追い打ちをかけるように言葉を続けた。

「自分たちの教団内部に迎え入れておきながら、他の宗教の信仰を容認する。何故そんな事が可能なのでしょう。寛容だから? 懐が深いから? 平和的だから? いいえ違います! それは哲学の欠如なのです!」

 殻橋さんは断言した。でも羽瀬川さんたちには、よくわからない。

「哲学の欠如は難しいですか? ならば信念の欠如と言い換えても良いでしょう。理念の欠如と言っても良いですし、正義の欠如と言っても良い。とにかくそんな宗教は碌なものではないのです。何故なら信者に対して正しさを提示できないのですから!」

 羽瀬川さんたちの背後には、給孤独者会議のスキンヘッドの人――道士と言うらしい――が五人ほど並んでいたのだけれど、殻橋さんが何か言うたびに、うなずいたり拍手をしたりと忙しい。

「これが仏道であれば! 我ら給孤独者会議であれば、あなた方に正しさを教えられるものを! 人が生きる上でのいかなる苦難を前にしようと、仏道に帰依した者には正しき歩むべき道が指し示されるのです。なのにあなた方は、それを選ぼうとしない。くだらぬ邪教に取り込まれ、幸せごっこに喜んでいる。本当の正しい幸せが、すぐ近くにあるというのに! これを悲劇と呼ばずして何と呼びましょう!」

 そこまで話すと演壇の下に興味を失ったのか、殻橋さんは後ろを振り返り、演壇の壁際にいる私たちを見つめた。

「あなた方も同じです。邪教を邪教と知らず、親から引き継いだ、ただそれだけを理由に悪徳を垂れ流す。偽りの種を撒き、災いの芽を吹かせる。これぞ呪い! まさに呪われた血筋!」

 そして朝陽姉様に手を差し出す。

「ああ私ならば、あなたにかけられた呪いを解いて差し上げられるのに」

 そのときの朝陽姉様の表情。何かを見つけた子供のような顔をしていた。

「そのくらいにしていただけませんか、殻橋さん」

 朝陽姉様の隣で渡兄様の車椅子を支えながら、風見さんが言った。その顔は明らかに怒っている。

「あの、若先生、この方たちはいったい」

 若先生とは渡兄様の事だ。羽瀬川さんたちはすっかり困惑していた。そりゃそうだろう。自分たちの信じている宗教が、しかもその総本山で、ある日突然乗り込んできた初めて顔を見る人に、全否定するどころか邪教扱いまでされたのだから。怒って暴れ出さなかったのは理性的だ。言葉の暴力を振り回すより余程。

 渡兄様は静かな微笑みをたたえて、優しく両手を動かした。風見さんが訳す。

「この人たちは、我々と友好を結びに来られたのです」
「友好……?」

 羽瀬川さんたちは絶句した。私も言葉を失った。あれで友好って。侵略の間違いじゃないの。風見さんの、渡兄様の言葉は続く。

「今後、この人たちにお世話になる事も多いでしょう。驚いたかも知れませんが、必ずや将来この教団のためになる事です。いまは自重してください」

 そして渡兄様は、車椅子の上で深々と頭を下げた。その姿に反論できる人は、そこには誰もいなかった。


 そのすぐ後、和馬叔父様の部屋で、私は子細を説明された。

「ええっ、私が教祖に?」
「そうだ。僕も驚いたよ、朝陽も天成も反対するものだとばかり思っていたのに、『本人がそう望むのなら』と、すぐに納得してくれた」

「待ってよ、私そんなの望んでない」

 すると和馬叔父様は嬉しそうに笑った。キャスター付きの椅子がクルリと回る。

「大丈夫、心配するな。面倒な事は、すべて僕が引き受けてやるから」
「違う、そういう事じゃなくて」

「まあまあ、来月まで待て。新年になれば、すべてバージョンアップされる。そうしたら、おまえも乗り気になるさ」
「バージョンアップ?」

「そうだ。来年一月一日をもって、天晴宮日月教団は、給孤独者会議系列の仏教教団に生まれ変わる。その初代教祖がおまえだ」

 二の句が継げないというのは、こういう事だろうか。しばらく口をパクパクさせて、私はようやくこう口にした。

「……それ、一体どういう事」
「どうという事はない。給孤独者会議から派遣された代表役員を、うちの教団が受け入れる。うちは今後、給孤独者会議の指示の下で宗教活動を続ける訳だ」

「それってつまり、教団を売ったって事?」
「そうだよ。買収されたんだ。企業ならよくある話さ」

 和馬叔父様は当たり前のような顔でそう答えた。

「羽瀬川さんたちは? 信者の人たちはどうなるの?」
「そりゃもちろん、いままで通り居てもらっても構わないよ」

「そうじゃなくて! あの人たちの気持ちはどうなるの」

 すると和馬叔父様は、呆れたように溜息をついた。

「そんなのは、おまえが考えなくてもいい事だろ」

 違う! 違う! 違う! どうして言葉が通じないの。どうして心が通じないの。やっぱり狂っているんだろうか。それともうちの家系は、本当に呪われた血筋なんだろうか。私は絶望的な気持ちになって、和馬叔父様の部屋を飛び出した。
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