老い花の姫

柚緒駆

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12.速過ぎる噂

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 芋の入ったスープとパンを忙しく口に詰め込みながら、リンガルは語った。

「戦が始まる、そんな噂をあちこちで聞きました。相手は外国じゃなくて王族の誰かだと。昨日ここのお屋敷に侵入した賊は、親王殿下のお命を狙っていたとも。とにかく昨夜くらいから話が広まっているようで、店は開いていないし、家の門はみんな閉まっているしで、食べ物を恵んでもらえるような雰囲気じゃありませんでしたね」

 賊の話はともかく、確かに昨日孤児院に行った時点でそんな噂が町にあったのなら、ライナリィが何か言っただろう。噂が昨夜から広がり始めたというリンガルの言葉にはうなずける。ただ。

「噂が広がるのが速過ぎるな。誰かが故意に広めようとしているみたいだ」

「それはあるかも知れません」

 と、リンガルはうなずく。その明解な態度がちょっと気に入らない。

「何でそう思った」

 俺の言葉にリンガルはこう応えた。

「戦の噂はここに来るまでの町や村でも聞いてました。しかし噂なんてものが広まるには時間がかかります。人間が歩くより先に広がるなんて、そうそうないはずなんですが、どう考えてもこの噂、アッシの足より速いんでございます。噂を書いた紙を馬か何かでバラ撒いてるんじゃないかってくらいで」

 なるほど物書きらしい言いようだ。しかし、もし本当にそうなら、噂を広めたヤツには何か目的があるはず。それは何だ。

 俺がそう考えたとき、扉がノックされる音。開けてみれば下女の一人が立っていた。

「どうかした?」

 俺がそうたずねると、下女はいささか気まずそうな顔でこう言った。

「バレアナ姫殿下からのご伝言がございます。昼食にはお客様とご一緒にいらしてください、ご挨拶がしたいので、とのことです」

「……そう、ありがとう。わかったってお伝えして」

「はい」

 頭を下げて下女は去った。俺は扉を閉めて大きなため息をつく。

 やっべえ。やっべえやっべえやっべえ、バレてんじゃん。何でバレた、って考えるのもおかしいか。スープとパンを持ってきてもらってるしな、リンガルの姿は見せてないけど下女連中だって気付くよな、そりゃ。ご注進に及ぶのだっているだろうし、俺がちょっと呑気過ぎたってことだ。

 さて、これはどうごまかしたものか。嘘をつくのは得意じゃない。どうせ顔に出るから意味もない。とは言え正直に話すのもなあ。「ご両親が殺されたかもしれませんよ」なんて、とてもじゃないが言えねえぞ。

「どうかされましたか」

 とリンガルはパンをむさぼり食いながらたずねる。いい度胸してやがんな、この野郎。

「おまえ、心臓に毛が生えてるとか言われたことないか」

 ジロリとにらんだ俺に、リンガルは頭を掻いて照れ笑いを見せる。

「いやあないですな。アッシは繊細なもんで」

 もしかしたら俺は繊細の意味を間違って覚えてるのかも知れない。しかしまあ、昼食まではまだ時間がある。それは後で考えよう。俺は再び椅子に座った。

「とにかく、続きを聞かせてくれ。戦の他に噂はなかったか」

「他に、と言いますと。たとえば」

 首をひねるリンガルに、俺はこう言った。

「そうだな、たとえば誰かが殺された、とかだ」



 静寂と怒号。空虚と混乱。町は混沌としていた。商店は軒並み店を閉め、大通りには人影もない。だが貴族の屋敷周辺には殺気立った人々が集まっている。大柄なザンバの乗ったロバは、トコトコと無人の道を駆けて行く。

「何じゃ、この様子は」

 そうつぶやきながら進むと、酒場の前の道に椅子を出して座っている小太りの男が一人。手にした酒瓶からちびりちびりと飲んでいるが、あまり楽しそうではない。見知ったそのヒゲ面にザンバは近付いた。

「レングリット」

「今日は休みだよ……何だ、ザンバさんかい」

「この町の様子はいったい何事だ」

 ロバのシウバから降りたザンバに、レングリットは座ったまま首を振る。

「それがよくわかりませんで。昨日の夜に変な噂が立ちまして、『戦が始まるらしい』ってね。けど所詮は酒場の噂だ、店の外まで出回るこたあないだろうって高をくくってたら、朝には町中がその噂で持ちきりなんですわ。商店街の連中はみんなビビっちまって、どこも店を開けない。なのに若いヤツらが貴族んとこに押しかけて戦の準備をしろとわめく。やってることがバラバラの無茶苦茶だ。先の戦が終わってこの方、こんなこたあなかったんだが」

 ザンバは腕を組んで、ふーむと考える。

「昨夜、酒場に怪しい者はいなかったか」

 これにレングリットは苦笑する。

「怪しいかどうかだけで言やあ、酒場に集まる連中なんぞたいてい怪しいでさあね。旅の連中もいましたしね、誰が変な噂の元かなんぞわかりやしませんぜ」

「ならば」

 ザンバはまた、ふーむと考える。

「怪しくない者はいたか」

 一瞬で酔いが覚めたかのようにレングリットは目を丸くする。

「怪しくない?」

「そうだ、おまえの目から見てまったく怪しくない者。酒場の客としては不似合いなくらいに普通な者はいなかったか」

 レングリットは記憶を探る。

「……一人」

「いたか」

 そうたずねるザンバに、自信なさげにレングリットはうなずいた。

「そう言やあ一人、店のすみっこに、どっかの大店でソロバンでも弾いてそうなヤツがいたような気が」

「見覚えのある客か」

「いや、そう言われれば初めて見る……初めてだよな、て言うか、アレ、顔が思い出せん」

「そうか、わかった。邪魔をしたな」

 ザンバは急用でも思い出したかのように再びロバのシウバにまたがる。

「もし他に何か思い出したら、お屋敷の若旦那様にお伝えしてくれ」

 そして呆気に取られているレングリットを置いて、シウバはまた走り出した。

――もしや

 ザンバの心には深い影が差す。まるであの日の亡霊のように。

――もしや、おまえの仕業なのか。アルバ
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