老い花の姫

柚緒駆

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48.霊峰の刀鍛冶

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 朝焼けに照らされる宮殿。寝室のベッドの中で黄昏の魔女ジルベッタは気付いていた。彼女が結界に空けた小さな隙間を通って、二人の道化がどこからか戻って来たことに。またウストラクト皇太子の命を受けて動いているのだろう。おそらくは、心穏やかになるような理由で宮殿を出入りしている訳ではあるまい。

 しかしジルベッタはそれを探ろうとはしない。彼女の仕事はこの宮殿、それも離れを護ること。より正確にはリネリア第二夫人とオブレビシア姫を護ること。宮殿を覆うように結界を張っているのは、あくまでその一環に過ぎない。必要なこと以外とは距離を保つ。それが長く生きるコツだと理解していた。

 だが、それでも生来の勘の良さはいまだ衰えを見せない。どうしても気付いてしまうのだ。ウストラクト皇太子が敵を作る行動を取っていることに。敵はいずれこの宮殿に押し寄せ、リネリアとオブレビシアを危険に晒すかも知れない。それを知りながら見て見ぬ振りをするのは正しいことなのだろうか。

「やれやれ、これじゃ小娘だね」

 この世に絶対の「正しさ」などあるはずがない。そんなものを求めて思い悩むなど、いい歳をしてどうかしている。どれだけの地位にあろうと、どれだけの能力を持とうと、所詮人は人。目の前の状況に応じて、その時点における最善を尽くすしかないのだ。

 と、そのとき。ジルベッタの脳裏にあのときのあの言葉がよぎる。白い魔剣を持った正体不明の男を迎え撃ったとき、確か相手はこう言って去った。

「小娘を斬る訳にも行かない」

 あの直後、オブレビシアが外に出て来た。てっきりそのことだと思っていたのだが、まさかあいつは。

 頭にカッと血が上る。けれど、すぐに冷静になった。こんなことを考えても意味がない。もう二度とアレと会うことはないのかも知れないからだ。なのに。根拠不明の胸騒ぎにジルベッタは思わず身を起こす。

 本当に、本当に自分は間違っていないのだろうか。これが最善なのか。本当に。



 岩と氷の上を風と雪が滑って行く。霊峰と呼ばれる高い山、山道からも山越えのルートからも外れた岩窟の中に響く槌音つちおと。ヤットコで挟んだ金属片を、虹色に輝く不思議な炎で熱して鎚を振り下ろす。外の寒さなど微塵も感じないかのように、老人の顔は汗だくだ。

 金属片は小指の半分ほどの大きさ。たいした物とは見えなかったが、老人は己の命を込めるかのように渾身の力で鎚を打つ。が、その手は不意に止まった。

 背後の闇を見つめる。何もない。誰もいない。と思いきや、そこに突然人影が。それも一人二人ではない。大小取り合わせて八人の大所帯。この時点で並みの術者でないのは明白だった。

 これが八人全員、転移魔法を使えたのだとしても、同時に跳ぶのは難しい。なのに八人のうち立っているのはただ一人。おそらくは一人で七人のオマケを連れて転移したのだ。それは見覚えのある男だった。

「またおまえさんでがすか」

 老人がつぶやくと、白髪の顔面包帯グルグル男は小さくうなずく。

「久しいな、ヘバ」

「暦の数字は知りやせんが、三十年ほどは経ってるはずでがしょう」

「たぶんそうだろうな」

「その割にゃ老けたようには見えねえでがすね」

「お互い様というヤツだ」

「それで」

 ヘバと呼ばれた老人は倒れ込んでいる七人を見やった。

「この連中は何でがすか」

「成り行きでな。それと」

 白髪の男はアルバを指さした。

「この男、魔剣が使える」

「そのようでがすな」

「何とかできるか」

「何とか、と言われましてもね」

「報酬は言い値で支払おう」

「言い値でがすか」

 ヘバは大層迷惑そうな顔で立つと、アルバに近付き、突然鎚で頭を殴った。

 カーン! という音と共に跳び上がるアルバ。

「何をす……ん?」

 さっきまで体を支配していた痛みも苦しみも消え失せている。手足に開いていた穴もない。ヘバは他の六人も次々に殴って行く。誰も彼もキツネにつままれたような顔を見合わせ立ち上がった。

 ヘバは改めてアルバの前に立ち、さも面倒臭そうにこう言う。

「これでようがしょう。ほんじゃ魔剣を見せてくんなまし」

 アルバはしばし困惑していたが、右手を振り、赤い魔剣を出してみせた。だがそのとき、白髪の男の右手から放たれた白い光が剣の形を取り、アルバの魔剣を打つ。すると赤い魔剣はいとも簡単に、ものの見事に粉砕され飛び散った。

 アルバも、他の六人も驚きに声すら出せない。

「どうだ」

 白髪の男の問いに、ヘバはため息をついた。

「まあ、魔剣っちゃあ魔剣でがすが、ほぼ缶切りでがすね」

「缶切りだと! 私の魔剣は」

「ド三流の刀鍛冶が打った失敗作でがすね」

 ヘバは荒ぶるアルバにそう言うと、左手のヤットコに挟んだ金属片を右手につかみ、顔の前でしみじみもったいなさそうに見つめる。そして突然ヤットコでアルバの右手首を捕らえ、そのまま引きずり倒した。

「アルバ!」

 他の六人が助けに入ろうとするが、白髪の男が立ちはだかり通さない。

 馬乗りになったヘバはアルバを押さえつけると、その右手のひらに、さっきまで鎚を打っていた小指の半分ほどの金属片を押し当てた。熱を持ったそれは、アルバの肉を焼きながら埋まって行く。

「ぐあぁっ!」

 苦悶の声を上げて暴れるアルバを、しかしヘバは簡単に押さえ込んでいた。

「少しくらい我慢せい。まったく堪え性のない小僧でがすね」

 やがて金属片は、アルバの右手の中に完全に埋まってしまった。

「こんなもんでようがしょう」

 アルバの右手首を固定していたヤットコを放し立ち上がると、煙の上がる右手を押さえながら体を起こしたアルバに、ヘバは面倒臭そうな言葉をかけた。

「どれ、魔剣を出してみんなまし」

 刹那、アルバの目に殺気が宿り、右手を前に突き出しながらヘバに向かって飛び出した。再び赤い輝きが剣を形作る。だが側面から白い魔剣が追いつき、アルバの魔剣を打ち据えた。アルバの体は宙を舞い、壁に叩き付けられる。

「こんなものなのか」

 白髪の男は不満げにそう言ったが、これにヘバはニンマリとうなずいた。

「こんなものでがしょうね」

 駆けつけた仲間に手を取られ、アルバはヨロヨロと立ち上がる。ヘバはたずねた。

「どうでがすかね、強くなった気分は」

「……強くなど」

 否定しようとするアルバを、ヘバは鼻先で笑った。

「しかし魔剣は砕けてないでがしょう」

 アルバが右手を見ればその通り、今度の魔剣は赤い輝きと剣の形を保ち、手の中にある。

「魔剣は強くなったんでがす、後は自分で強くなりなせえ」

  しばし新しい魔剣を見つめると、ヘバに問うアルバ。

「この剣なら、その白い魔剣も叩き折れるのか」

「そいつぁ無理でがすね。このレキンシェルは精霊王の爪からできた特別製。誰でも使える訳じゃあござんせんし、わっしの打った魔剣程度じゃ傷もつかんでがすよ」

 少し不満げなアルバだったが、続けてこうたずねた。

「私のこの魔剣に名前はあるのか」

「ありやすよ。魔剣ギルゾノーム、いい名前でがしょ。オメエさんにはもったいねえ」

 これに白い魔剣レキンシェルを持つ白髪の男は、僅かに眉を寄せる。

「えらく大仰な名前だな」

「名前くらいは偉そうにしやせんとね、他じゃ勝てねえもんで」

 ヘバは鎚で自分の肩をポンポンと叩いた。
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