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59.優しい悪魔
「しわがれた声の馬盗人であり三十の軍団を率いるヒメモリバト、虚妄の弁舌家にして序列第四十四位の地獄の公爵、いまここに現われ我が願い叶えたまえ、シャックス」
ジュジュの召還呪文に空間が縦に割れ、隙間から飛び出したものは。
鳥。何の変哲もないハトだった。だがその口から、低い男の声が出る。
「何ぞ?」
シャックスの見つめるジュジュは、もうボロボロだった。ゼーゼーと死にそうな息を吐き、穴や切れ目だらけの服からのぞく腕や脚には、いくつもの傷やアザ。黄昏の魔女ジルベッタとの実力差を物語る。あんな怪物と出くわして、生きているのが不思議なほど。相手が突然姿を消してくれたから、いま息をしているのはそれだけの理由である。
「何ぞ?」
ハトの姿の悪魔シャックスがもう一度たずねる。ジュジュは暗い馬小屋の隅で息を整えこう言った。
「シャックス、この宮殿にいる兵士の目と耳を封じて」
「それだけぞ?」
「ウストラクトの居場所を教えて」
「それだけぞ?」
「そう、それだけでいいの」
するとシャックスは翼を広げて三度羽ばたく。ジュジュの目の前に白いネズミが現われた。低い男の声は言う。
「我が使い魔ぞ。ついて行けばウストラクトにたどり着くぞ」
「ありがとう、シャックス」
だがハトは首をかしげる。
「我が嘘をついているとは思わぬのか」
「そのときは運がなかったって諦めるわ」
ジュジュは大きな咳をした。口の中に血の味が広がる。内臓をやられているのかも知れない。
「回復魔法を使わぬのか」
「いま回復魔法を使っちゃったら、最後の一撃が放てなくなるから」
シャックスはしばしジュジュを見つめると、また翼を広げ、今度は五回羽ばたいた。丸々と太った黒い猫が現われ、あっという間に白いネズミを一呑みにする。
「仕方ない、これを使わせてやるぞ」
「ありがとう、優しいのね。そういうとこ好きよ、シャックス」
「宮殿の中の兵士はすべて目と耳を封じてある。行くが良い。戦士に栄光あれ」
そう言うとハトの形をした悪魔は霧のように姿を消した。黒猫が一歩踏み出し、ジュジュを振り返って鳴く。
狙うはウストラクト皇太子のみ。それまで持って、私の体。ジュジュは黒猫にうなずくと、よろめきながら歩き始めた。
山のような巨漢がウストラクト皇太子の部屋に入った。亡霊騎士団の一人、デムガンである。
二十年前、国境近くの村に育ったデムガンは、国軍の戦士募集に応じた。村を代表して。腕っ節には自信があったし、自分が行けばそれ以上村の若者が戦場に駆り出されることもないだろう。収穫を控えた村には人手が必要だ、そう考えての行動だった。村の住民たちも皆、デムガンの旅立ちに手を振ってくれた。しかし。
戦争中、村が敵に占領されたとき、村の連中はデムガンの家族を敵に差し出した。服従を示し安全を確保するために。戦争が終わってデムガンが村に戻ったとき、家族も、家も、跡形もなかった。父も、母も、十五歳だった妹も、墓にすら入れられず、野山に白骨をさらしていたのだ。
デムガンは村中に火を放った。怒り狂ったデムガンの前に立ちはだかる勇気を持つ者など、村には誰一人いなかった。
あれから二十年、やっとここまで来た。ここまで来れたのだ。それなのに。
目の前にはウストラクトがいる。それを護るような位置に呆然と立つ兵士が一人。だがこいつだけじゃない。闇の中に、敵に回ったキリカがいる。おそらくは顔を見せたまま。姿は認識できなくても足音までは消し去れない。だから接近されれば一撃を食らわすことはできるが、相手が止まると途端に居場所がつかめなくなる。
「無駄だよ」
ウストラクトは静かに言った。
「私にたどり着く前に、君も毒獣になる」
「うるせえ黙れ!」
デムガンが怒鳴ったと同時に背後に迫る足音。
「クソぉっ!」
振り向きざまに放った拳に当たる感触はない。かわされたか。
足がふらつく。ジルベッタと名乗る魔女との戦いで、デムガンは消耗していた。命が惜しい訳ではない。キリカなど放っておいてウストラクトを殺すことだけを考え行動することも確かにできる。
ただ、キリカがもし本当に毒獣となってしまったのなら、その首を落としておかなければ。自分が死んでも、誰か、そうアルバかジュジュがこの部屋にたどり着くかも知れないのだ。そのときキリカがここにいたのでは、無意味な被害が増えてしまうではないか。
また足音が消えた。このままでは、このままではいけない。デムガンの心に焦りが生まれたとき。
闇の中を手斧が飛んだ。湿った鈍い音を立てて、手斧が宙に留まる。その下に、人の形が姿を現わした。キリカだ。手斧はキリカの額を割り、頭部に突き刺さっていた。
入り口扉の前に、肩で息をつく片腕の人狼の姿があった。
「ノロシ!」
「気ぃ抜くなよ、旦那」
ズタボロにやられた様子のノロシ――やはりジルベッタに遭遇したのだろうか――は、手斧をもう一本手に持ち歩いてくる。
「状況はわからんけど、キリカのニオイがキリカじゃねえぞ」
一方のキリカは頭に手斧を突き立てながら、それでも倒れず立っている。
デムガンはノロシの隣に回り、うなずいた。
「ああ、キリカはもういない」
「そっか。じゃあ楽にしてやらんとな」
ノロシが手斧を構える。
額を割られたキリカは、もはや誰にも記憶できない顔ではなくなった。ウストラクトの前には、そんなキリカと若い兵士の二人だけ。
デムガンは言った。
「一気に決めるぞ」
ノロシが微笑む。
「お互い、もう体力ないみたいだしな」
そのまま間を置かずに飛びかかっていたなら、ウストラクトの首を獲れたのかも知れない。だが人間離れしたノロシの聴覚が、背後から迫る大勢の足音に気付いてしまった。
振り返れば血の気を失った何人もの兵士たち。ウストラクトの前に立つ兵士と、そしてキリカとも同じニオイがする。だがノロシとデムガンが言葉を失ったのは、それが理由ではない。
兵士たちの前に、先導するように小さな影が二つあった。デムガンとノロシが見間違えるはずもない。それはヒノフとミノヨ。
キリカと同じニオイをさせて。
ジュジュの召還呪文に空間が縦に割れ、隙間から飛び出したものは。
鳥。何の変哲もないハトだった。だがその口から、低い男の声が出る。
「何ぞ?」
シャックスの見つめるジュジュは、もうボロボロだった。ゼーゼーと死にそうな息を吐き、穴や切れ目だらけの服からのぞく腕や脚には、いくつもの傷やアザ。黄昏の魔女ジルベッタとの実力差を物語る。あんな怪物と出くわして、生きているのが不思議なほど。相手が突然姿を消してくれたから、いま息をしているのはそれだけの理由である。
「何ぞ?」
ハトの姿の悪魔シャックスがもう一度たずねる。ジュジュは暗い馬小屋の隅で息を整えこう言った。
「シャックス、この宮殿にいる兵士の目と耳を封じて」
「それだけぞ?」
「ウストラクトの居場所を教えて」
「それだけぞ?」
「そう、それだけでいいの」
するとシャックスは翼を広げて三度羽ばたく。ジュジュの目の前に白いネズミが現われた。低い男の声は言う。
「我が使い魔ぞ。ついて行けばウストラクトにたどり着くぞ」
「ありがとう、シャックス」
だがハトは首をかしげる。
「我が嘘をついているとは思わぬのか」
「そのときは運がなかったって諦めるわ」
ジュジュは大きな咳をした。口の中に血の味が広がる。内臓をやられているのかも知れない。
「回復魔法を使わぬのか」
「いま回復魔法を使っちゃったら、最後の一撃が放てなくなるから」
シャックスはしばしジュジュを見つめると、また翼を広げ、今度は五回羽ばたいた。丸々と太った黒い猫が現われ、あっという間に白いネズミを一呑みにする。
「仕方ない、これを使わせてやるぞ」
「ありがとう、優しいのね。そういうとこ好きよ、シャックス」
「宮殿の中の兵士はすべて目と耳を封じてある。行くが良い。戦士に栄光あれ」
そう言うとハトの形をした悪魔は霧のように姿を消した。黒猫が一歩踏み出し、ジュジュを振り返って鳴く。
狙うはウストラクト皇太子のみ。それまで持って、私の体。ジュジュは黒猫にうなずくと、よろめきながら歩き始めた。
山のような巨漢がウストラクト皇太子の部屋に入った。亡霊騎士団の一人、デムガンである。
二十年前、国境近くの村に育ったデムガンは、国軍の戦士募集に応じた。村を代表して。腕っ節には自信があったし、自分が行けばそれ以上村の若者が戦場に駆り出されることもないだろう。収穫を控えた村には人手が必要だ、そう考えての行動だった。村の住民たちも皆、デムガンの旅立ちに手を振ってくれた。しかし。
戦争中、村が敵に占領されたとき、村の連中はデムガンの家族を敵に差し出した。服従を示し安全を確保するために。戦争が終わってデムガンが村に戻ったとき、家族も、家も、跡形もなかった。父も、母も、十五歳だった妹も、墓にすら入れられず、野山に白骨をさらしていたのだ。
デムガンは村中に火を放った。怒り狂ったデムガンの前に立ちはだかる勇気を持つ者など、村には誰一人いなかった。
あれから二十年、やっとここまで来た。ここまで来れたのだ。それなのに。
目の前にはウストラクトがいる。それを護るような位置に呆然と立つ兵士が一人。だがこいつだけじゃない。闇の中に、敵に回ったキリカがいる。おそらくは顔を見せたまま。姿は認識できなくても足音までは消し去れない。だから接近されれば一撃を食らわすことはできるが、相手が止まると途端に居場所がつかめなくなる。
「無駄だよ」
ウストラクトは静かに言った。
「私にたどり着く前に、君も毒獣になる」
「うるせえ黙れ!」
デムガンが怒鳴ったと同時に背後に迫る足音。
「クソぉっ!」
振り向きざまに放った拳に当たる感触はない。かわされたか。
足がふらつく。ジルベッタと名乗る魔女との戦いで、デムガンは消耗していた。命が惜しい訳ではない。キリカなど放っておいてウストラクトを殺すことだけを考え行動することも確かにできる。
ただ、キリカがもし本当に毒獣となってしまったのなら、その首を落としておかなければ。自分が死んでも、誰か、そうアルバかジュジュがこの部屋にたどり着くかも知れないのだ。そのときキリカがここにいたのでは、無意味な被害が増えてしまうではないか。
また足音が消えた。このままでは、このままではいけない。デムガンの心に焦りが生まれたとき。
闇の中を手斧が飛んだ。湿った鈍い音を立てて、手斧が宙に留まる。その下に、人の形が姿を現わした。キリカだ。手斧はキリカの額を割り、頭部に突き刺さっていた。
入り口扉の前に、肩で息をつく片腕の人狼の姿があった。
「ノロシ!」
「気ぃ抜くなよ、旦那」
ズタボロにやられた様子のノロシ――やはりジルベッタに遭遇したのだろうか――は、手斧をもう一本手に持ち歩いてくる。
「状況はわからんけど、キリカのニオイがキリカじゃねえぞ」
一方のキリカは頭に手斧を突き立てながら、それでも倒れず立っている。
デムガンはノロシの隣に回り、うなずいた。
「ああ、キリカはもういない」
「そっか。じゃあ楽にしてやらんとな」
ノロシが手斧を構える。
額を割られたキリカは、もはや誰にも記憶できない顔ではなくなった。ウストラクトの前には、そんなキリカと若い兵士の二人だけ。
デムガンは言った。
「一気に決めるぞ」
ノロシが微笑む。
「お互い、もう体力ないみたいだしな」
そのまま間を置かずに飛びかかっていたなら、ウストラクトの首を獲れたのかも知れない。だが人間離れしたノロシの聴覚が、背後から迫る大勢の足音に気付いてしまった。
振り返れば血の気を失った何人もの兵士たち。ウストラクトの前に立つ兵士と、そしてキリカとも同じニオイがする。だがノロシとデムガンが言葉を失ったのは、それが理由ではない。
兵士たちの前に、先導するように小さな影が二つあった。デムガンとノロシが見間違えるはずもない。それはヒノフとミノヨ。
キリカと同じニオイをさせて。
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