老い花の姫

柚緒駆

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69.戦乙女

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 風の大精霊リムレモの放つ風の槍を、ランシャの魔剣レキンシェルは簡単に受け止め、打ち砕いた。ランシャはそのまま前に出ようとするが、圧縮された空気の壁が立ちはだかる。だがランシャを弾き飛ばそうとしたそれを、白い魔剣は一撃で両断した。

 リムレモは後退しながら回り込む。ランシャの魔剣は動きを止めた。相手がバレアナたちを背後に回したからだ。ランシャの後ろからはクモが斬りかかるが、魔剣レキンシェルは意思ある物のように四本の曲剣を弾き、当の持ち主は顔さえ向けない。

「これは、見下されてんのかな」

 クモは右手の人差し指を小刻みにクルクル回した。リムレモが前に出ようとするのを、突然現われた分厚い氷の壁が阻む。

人造人間ホムンクルスか」

 ランシャは背を向けたままで言う。

「哀れな」

「……哀れ?」

 クモの笑顔が僅かに引きつる。氷の壁はリムレモの風によって削られ砕かれた。だがその前にランシャはまた氷の壁を作る。

「人から生まれた人ならざる者が人の姿を取らざるを得ず、できるのは人の奴隷となるか人を取って喰らうかだけ」

 リムレモはまた風で氷の壁を削って砕いた。だがその瞬間、周囲に飛び散った氷片がリムレモの周囲に集まり、再び凍結する。リムレモの体は氷の中に閉じ込められた。

「ちぃっ!」

 クモは両手の人差し指をグルグル回す。だがリムレモはもう動けない。

「氷の中に風は吹かない」

 ランシャはようやくクモを振り返った。

「氷から逃れる方法はあるが、十分に操り切れないおまえには無理だ。諦めろ」

 ハッタリの可能性はある。あるのだが、クモにはどうしてもそう思えなかった。根拠はない。しかしこれまで生きてきて、根拠のある戦いを何度しただろう。直感こそ真理に至る最短距離、クモはそう信じている。すなわち。

 あの風の大精霊はもうダメだ。他の手を考えねば。クモは即断した。

 と同時に、バレアナやロン・ブラアクたちが姿を消した。魔王フルデンスと共に。



 ランシャの頭の中に声がする。

――おい、逃げやがったぞ、あの魔族

「構いはしない」

 最初から当てにはしていないのだ、と言わんばかりのランシャの視界では、クモが祭壇まで跳んで後退した。

 その向こう側には大きな炎が上がる。ジュジュの爆炎魔法だ。しかし虹色に輝く壁がこれを跳ね返す。ゲンデウス三世の首にはまだ遠いか。

――国王の首なんぞ獲ったってしゃあないだろ。アイツらにはあの人造人間の相手させればいいんじゃねえの

「人間は仕方のないことにこだわるものだ」

 頭の中の声にそうつぶやくと、ランシャは走った。



 バレアナとロン・ブラアクたちが姿を現わしたのは、リルデバルデの屋敷。

「……引見室?」

 周囲を見回すバレアナに、椅子に座る人影が応えた。

「左様でございます、姫殿下」

 占術師フロッテン・ベラルドは、さも当然といった顔――毛だらけで顔は見えなかったが――でそう言った。

 ロン・ブラアクはつぶやく。

「ぴーちゃん」

 補佐官のヘインティアがうなずいた。

「御意。では急ぎ帰領の用意をいたしましょう」

「それはおやめなされ」

 フロッテン・ベラルドが静かな声で止める。

「ロン・ブラアク殿下、せっかく助かった命を無駄にするものではございません」

 ヘインティアがフロッテン・ベラルドをにらむように見据えた。

「どういう意味でしょう」

「現在、殿下の御領地は敵の手に落ちております」

「敵? 国軍が動いたとでもいうのですか。しかし」

 それなら動きが速すぎる、そう言おうとしたヘインティアにフロッテン・ベラルドは首を振る。

「北の帝国ゴルッセムが侵攻しております」

 これにはヘインティアも、そしてロン・ブラアクも目を丸くした。

「まさ、か。そんな馬鹿な!」

「ぴーちゃん!」

 しかしそれには応えず、フロッテン・ベラルドはバレアナに顔を向ける。

「姫殿下。ただちに北の境界に軍勢を差し向けることを具申致します」

 バレアナの逡巡は一瞬。

「……四本槍を召集しましょう」

 そう言いながら、もう一度引見室の中を見回す。

「ところで、スリングはいまどこに」

 シャリティもハッとしたように辺りを見回した。

「フルデンスがいない」

「この世界は常に流れ、変化し続けるものにございます」

 フロッテン・ベラルドは言う。

「いますべての流れは世界樹の元に」



 祭壇に立つオブレビシア姫の頭上で、虹色の光は王冠の如く輝き、そこから三本の虹色の槍が宙に浮かんだ。槍の先端には戦斧が姿を現わし、中程には手が、腕が、肩が、やがて甲冑を身にまとい、背中に翼の生えた戦乙女いくさおとめが三人出現した。

 一人はアルバとジュジュに向かい、二人がランシャに向かう。

 ランシャは魔剣を水平に振った。二人の戦乙女は氷の塊に閉じ込められたかに見えたが、これを一瞬で打ち砕く。

 戦斧がきらめき振り下ろされた。かわしたランシャの下方向で椅子が砕け床に亀裂が走る。もう一人の戦乙女が急迫し槍先で突いたのを魔剣は受け止め綺麗に流した。はずだった。しかしランシャの腕には傷口が開いている。衝撃波の生まれるような速度ではないはずだが。

――なるほど、この内側じゃ向こう有利に物理法則も曲がる訳だ

 頭の中の声に返事をしている余裕はない。二人の戦乙女は左右に分かれ、呼吸を合わせて斬撃を繰り出す。かわそう流そうなどとすれば手傷を負う。一つ一つは小さな傷でも、塵も積もれば山となるのだ。ならば確実に捉え、弾き返さねばならない。相手に対する攻撃は、その後の話となる。

 向かって右側の戦乙女が前に出た。一人で仕留める気か。いや違う。速度を上げランシャの横を通り過ぎた。前後で挟むつもりなのだ。

――マズいぞ!

 ランシャの頭の中に声が響いたとき。

 後ろに回り込もうとした戦乙女が、強烈な一撃に弾き飛ばされた。魔蛇の尾をマトモに食らったのだ。巨大な黒い蛇の頭で、魔王フルデンスは周囲を睥睨へいげいしている。

「驚いたかい?」

 これにはさしものランシャも思わず呆れた。

「何をしに戻って来た」

「こう見えて、わらわは根に持つ方なのだよ」

 フルデンスは扇で口元を隠す。

 そして。

「イチジク人参お猿の尻尾、五臓六腑で七転八倒、鳴いて血を吐けホトトギス!」

 氷の塊に閉じ込められた風の大精霊リムレモの隣で声がする。分厚い氷に亀裂が走り、上半分が砕け散った。途端、リムレモが大あくびをするように口を開けば、そこから人魂のように湧いて出る銀色の球体。しかし直後、リムレモの身代わりのように氷に閉じ込められ、床に落ちた。

「さて、と」

 スリング・リルデバルデは小さく苦笑している。

「改めて戦闘開始かな。ボロボロだけどさ」
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