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第一部
エンドライン 5
しおりを挟む母親は、俺を生んで数時間後に亡くなったと聞いている。難産だとは事前からわかっていたらしい。母の決断を、父は最後まで反対していた。
父は俺の存在を認めてくれはしなかった。
◇
か細く鳴るチャイムの音に気づいて目を開けた。いつの間にかソファにもたれてうたた寝をしていたようだ。ベランダの前にある洗濯籠を見て、干すのを忘れていたことを思い出す。
もう一回チャイムが鳴った。
休日の日暮れにここを訪れる存在なんて思い当たる節が全くない。通販も出前も頼んだ記憶はなかった。不思議に思いながらも、インターホンは面倒で直接玄関のドアを開けに行った。立っていたのは西川だった。
『よー、やっと開いた』
『……なんの用、』
『うん、トキに会う用』
『毎日会ってんだろ』
『や、今日は日曜だし、制服以外で会うのは初めてだろー』
立ち話もなんだから、と西川はずかずかと靴を脱いであがってくる。入っていいなんて一言も言ってないのに、自己中な奴だ。でも上がらせない理由も特にない。確かに、私服で学校のない日に会うのは初めてだ。長袖に色褪せたジーパン。西川のイメージどうりのラフさだった。
『すげー、ひれぇ』
そりゃそうだ。こんな部屋、一人暮らしにはでかすぎる。それは俺がここ数年で痛感していることだ。使われない部屋はただの物置、キッチンに置かれる四人掛けのテーブルなんてほこりがかぶっている。
そういうところを、果たして西川が気づいているのかどうか。いや、違うか。気づいているかというより、たぶん知ったんだ。
『かなり贅沢なんじゃなーい?俺も一人暮らししてぇ』
ソファに倒れ込みながら西川がした発言に確信した。
『家、行っただろ、』
『え?』
『今更しらばっくれんなよ、行ったんだろ、俺の家に』
ここじゃない、家。
父親のいる家。
西川は体を起こしてソファに座り直した。バツが悪そうな顔をしている。気楽でへらへらしている奴とは思えないほど、今は情けない顔をしている。少しくらいなら答えてやってもいいかもしれない。日曜に突然俺に会いになんかくる、西川だから。感情的にならずに言えるかもしれないと思った。
『まー確かに、行ったんだけど。トキはいないって。粘ったら、しぶくさってここの住所教えてくれた』
『でたのは?』
『おばさん。てかおばさんに見えなかったし。かなり若いよな、かぁちゃ、』
『親父の再婚相手。若いよ、三十だし』
『そっか』
『俺だけ別で暮らしてる』
『弟もいたんだ、』
『あ?』
思いも寄らぬ単語を聞いて、俺はあからさまに不機嫌な声になっていた。西川が驚いている。
少しくらい話をしてやってもいいかと思ってしまったことを、すぐ後悔した。
『え、五歳か、六歳くらいの、男の子が。え?親戚の子?』
ちっ、と舌打ちが出てしまった。
コーヒーフィルターが溢れたのを見て、お湯を注ぐ手を止める。
西川は、複雑な家庭環境とやらには免疫がなさそうに見えた。あの後数回訪れた西川の家は常に暖かい空気が流れていて、一緒にそこに住む人の気配があり、生活があるのがわかる。西川と幸希は仲が良かったし、行くたびに俺は羨ましいと思っていた。
幸せな家族。当たり前の、家族。
俺にはないから。
ないからこそ、憧れて、焦がれる。
どうしようもなく。
『てかさ、』
俺の淹れたコーヒーに一口も手をつけないまま西川が喋り始める。
『トキん家とここって、そんな離れてないじゃん。むしろ学校遠くなんのに、わざわざ一人暮らしって……』
『そうだよ』
『え?』
『だから、そういうこと』
邪魔なんだ。
俺はあの家にいちゃいけない。
それが決まりだから。
俺だってこっちのほうが楽だ。
ひとりでいたほうが、楽。
『簡単に言うのな、』
『もう慣れたよ』
『そっか』
西川は静かに俺を見てきた。
何を考えているのか、俺には読み取れなかった。正直、これ以上あまり家族のことを詮索されたくなくて、俺はわざと視線を外す。
『もういいだろ、帰れ』
興味本位で俺の住む場所が知れて満足だろう、と俺は自分と西川の分のカップを片付けようとした。
その左手首を、がっ、と唐突に掴まれる。西川は掴んだ手をじっと見つめている。左の中指と人差し指は、先程お湯をかけてしまい少し赤くなっていた。
ぴちゃり、とわざと響く音を出して、西川は俺の指を舐めた。背筋に鳥肌が立って、俺はその手をすぐ振り払おうとしたが、この前と同じで西川はびくともしない。
『……っ!お前、なにしてっ、』
『ねぇ、トキ』
ぎし、とソファが揺れる。
『気持ちいいこと、しようか』
俺の指を舐めながら西川が正面に来る。逃げようと腰を浮かせたが、大きい身体が前のめりになってキスをしてきた。声を上げる前に口を塞がれて、ソファに押し倒される。半袖とスラックスの間から手が入ってきて、直接肌を触られる。俺は思考が追いつかなくて、その成り行きに呆然とするしかなかった。
それでも、流れに逆らわなかった。
◇
『…いっ!…いてぇ、痛い…』
『え、これでもダメ?そんなに痛い?』
『無理……てか気持ち悪い…』
『もう少しだから、我慢してよ』
こういうことの為の器官じゃないんだから、かなり無理しないと入らないことぐらいわかるはずだ。
西川は結構な時間をかけて慣らしていたようだが、いざ入れるとなると俺の尻はすぐ悲鳴をあげた。
無理だと西川の胸を強く押し続けるが、全く止める気配がない。限界まできているそこに更に圧力がかかったとき、息ができないくらいの激痛が走った。
『…いっっ!…痛い…はぁっいた…い、西川…』
『うん、血ーでてる。痛いよねごめん』
『だ…ったら、…も、抜け…』
痛すぎて悲鳴を上げてしまいそうだった。余裕がなさすぎて、ぎゅっと強く目を瞑る。本当に切れたのだろうか。尻の後ろ側に濡れたような感じがある。西川のもので一杯に広がりきったそこに神経が行きすぎて、足の指に力が入ってしまう。圧迫しながらぬるぬると行ったり来たりを開始されて、ますます気持ちが悪い。
『トキの、折れてきちゃったね』
多少痛みに慣れてきた頃、西川は前後にゆっくり動きながら語りかけてきた。俺は深く呼吸をしながら目を開ける。入れる前に西川の手で高ぶっていた性器だったが、確かに萎えてしまっていた。
そりゃそうだろ。気持ちいいにはほど遠い。ただ痛いのを我慢しているだけ。西川の性器を出し入れしているだけ。
男同士のセックスなんて、もちろん初めてで。どうやったらこんなので達けるのか疑問だ。西川だって、俺の尻に突っ込んでなにが楽しいんだろうか。
『良いところがあったら、教えて』
西川は速度を均一にしながら、少しずつ角度を変えて突いてきた。俺が痛みに呻くと、慰めるように股間をしごいてくる。先走りがぐちょぐちょと鳴るたびにとてつもない恥ずかしさに襲われる。痛いのと気持ち良いのが交互にやってきて、生理的な涙が出てきた。
西川がおもむろに俺を横向きにさせて、左足を大きく上に持ち上げた。俺の腹に落ちる液体を触りながら、ひときわ深く腰を動かしてきた。
『っあ、ああっ、』
大きく体が震えた。全身に鳥肌が立ち、思わず声が出てしまった。俺はソファの縁を強く掴みながら、西川のそれから逃げるように上へずれようとする。
『だーめ』
涙で霞む視界の奥で西川がにやりと不敵な笑みを浮かべている。担いだ足をそのままにして、西川の上体が近づいてきた。左耳に息を吹きかけられて、またぞわぞわと肩が震えてしまう。耳たぶを甘噛みしながら西川は俺の先端を擦るのをやめない。
『やっと勃ってきたね。さっき反応したのどこらへん?ここ?教えてトキ』
充分固くなった股間から手を離して、更に西川が身体を密着させてくる。腰を掴まれて上に逃げられないようにされて、反応した場所を探し出すように出し入れを繰り返された。
たまに胸にも手が伸びて、敏感に立ちあがったそれもしごいたりつねったりされる。
『ほら、教えて』
『……無理……無理、』
『うーん、素直じゃないな』
「気持ち良いくせに」と耳の中に舌を入れられながら嘲笑されて、俺は思わず西川の顔を手で押し退けた。密着された身体は引き離せないが、耳元に篭る熱から少しだけ解放される。
『恥ずかしい?もっと、気持ち良くなっていいんだよ、』
頬を押しやる指先を嬉しそうに咥えて舌を絡ませてくる西川が煽情的すぎて、俺は思わず下腹に力が入ってしまった。西川が深い息を吐いてもう一度深く中に押し込んでくる。
その瞬間、俺は膝頭をびくびくと震えさせながら達ってしまった。
尻の穴で。西川に入れられて。
ひどく感じてしまっている。
滑稽で、情けない。
女を抱く前に男に抱かれた。
しかも相手は西川で。
完全に友人の枠を、嫌がらせや冗談の域を越えてしまっている行為なのに。
それなのに。
『トキ……気持ちいい?……』
俺の指を舐めながら顔を寄せてくる。指と唇に交互に口付けが降ってきて、俺ははしたなく喘いだ。西川の吐息が肌にかかると更に反応してしまう自分がいた。冷静さを保つことなどとうに不可能で、ただ快感だけに集中する。
中で蠢く異物感は消えないし、ふとした拍子に圧迫と痛みに支配されることもある。
なのにどうしてだろう。
『トキ…トキ…はっ、トキ…っ』
俺の名前を呼ぶ西川の切なそうな、苦しげな顔に目が釘付けになる。
余裕なく腰を打ち付けている西川が、俺の中で感じているのだと思うと堪らなかった。
半ば無理やり強要されたセックスを、受け入れている。
『でる、もぅでるっ』
高められた絶頂は、寸前で抜いた西川のそれと隣り合わせで白い液となった。
終わったあとの荒い息づかいの中、耳の近くで髪が触れる。西川は俺の足をおろし、背中に腕を入れて仰向けに戻した。左足は攣ってしまい、力が入らなかった。
西川は俺の首元に頭を乗せて全体重をかけてきた。紅潮した肌と肌がぴたりと合わさって同じタイミングで肺が上下する。
『……よかった?トキ』
俺は応える余裕がなかっただけなのに、西川は気に入らなかったのか、すぐ近くにある突起に舌を這わせてきた。口に含まれて歯を立てられ、俺は思わず西川の髪の毛を引っ張った。
『っ!お前!』
くすくすと笑いながら、額の汗を拭って、今度は俺の唇に噛みついてきた。
『また、しよーね』
あの言葉に、
俺は頷かなかった。
それでも一週間に一度くらいは俺の家でそういうことをした。
最初は痛すぎた行為も、きちんと慣らして上手くやれば気持ち良くなれた。
単に快感を得る作業だと思えば、あえて断る理由はなかった。
そうやって言い訳を作っていた。
頷かなかった?
違う、頷けなかった。
行為は受け入れられても、その先にある気持ちに気付きたくなかった。
だからすぐ、蓋をしたんだ。
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