引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景

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心地よさと不安

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ジョナスから促されるままに部屋を出た透花は、徐々に後悔していた。どこに行くか告げられていないものの、そこには間違いなくフィルがいるだろう。
ジョナスは気にする必要がないと言うが、一体どんな顔をして会えば良いのか分からない。

「引き返しますか?」

半歩前を歩いていたジョナスが、足を止めて静かな瞳で透花を見つめている。そこには何の感情も窺えないが、どこか気遣いのようなものが感じられた。

(引き返したいとは思うけど……)

透花が頷けばジョナスはきっと部屋まで送り届けてくれるだろう。だがこの機会を逃してしまえば、自らの意思でフィルに会いに行けないような気もしていた。

「これは俺の独断ですので、御子様をお連れしなくても問題はありませんよ」

透花の葛藤を見透かすように言葉を付け足すジョナスに、透花は疑問に思っていたことを口にした。

「ジョナス先生はどうして私に会いにきたんですか?」

ジョナスはフィルの補佐役で、基本的にはフィルの命令でしか透花と関わることはない。だが今回のことはフィルの指示でないと明言されれば、どうしても気になってしまった。

「勝手ながら過去の自分と少し重ねてしまったから、というのが一番大きな理由でしょうね。主人に仕事をして欲しいという理由もなくはないのですが」

孤児院で育ったジョナスは家族との縁が薄いのだろうと何となく察していた。だがそれが理由だと言うのは少し違和感がある。ジョナスを疑うわけではないが、普段のジョナスの言動と一致しないのだ。

「俺はフィル様に取り立ててもらった立場ですが、あの方を信用するまで一年ほどかかりました。こういうことは他人がとやかく言っても無意味ですし、本人の選択だということも重々承知しています。ただ大抵の場合、知ることは知らないことよりも選択肢が広がりますから」

フィルを信用していなかった期間をジョナスは後悔しているのだろうか。透花は遠慮のない会話を交わし公私ともに良好な関係の二人しか知らないが、出会った当初は違ったのかもしれない。
そんなジョナスの想いに背中を押されるように、透花は再び歩き始めた。

扉を開ける前に、ジョナスは人差し指を口の前に立てた。静かにするように、という合図は共通なのだなと変なところで感心しながらも、鼓動が早くなるのを感じる。

「ただいま戻りました」
「……ああ。レビノス伯爵に書状を送ってくれ。彼は珍しい魔道具について造詣が深かったはずだ」

ジョナスの目配せにより背後から室内を窺えば、大量に積み上げられた本の中で一心不乱に何かを書き綴っているフィルの姿があった。

「休憩は取られましたか?少しは休まないと効率が落ちますよ」
「休んでいる暇などない。こうしている間にも、トーカが傷ついているというのに」

(私が……?)

傷つけたのは透花の方なのだ。それなのにどうしてフィルはそんな風に思っているのだろう。
当惑する透花をよそにジョナスは会話を続けている。

「居場所を感知する魔道具なんて一朝一夕に作れるものではありません。いっそ鈴でも身に付けておいたらいかがですか?」
「そんな取り外し可能なものに意味はない。今の僕には信用がないのだから、トーカを怖がらせないためには必要だ」

居場所を知らせるために鈴をつけるのは自分なのだと思いきや、どうやら逆らしい。とはいえ透花は基本的に御子専用の住居エリアから出ないため、フィルが来なければ顔を合わせる可能性などほぼないはずだ。
そんな透花の内心を読み取ったようにジョナスはフィルに訊ねた。

「怖がらせたくないのであれば、御子様に会いにいかなければ済むことでは?」

ペンを動かしていた手がぴたりと止まる。

「…………それがトーカの望みならそうする。トーカの気持ちを考えずに気持ちを告げたのは僕だ。友人だと信じていた相手が別の感情を抱いていたのだから、裏切られたと思うのも無理はない」

より深く俯いてしまったフィルの表情は、透花の位置からは見えない。だが痛切な想いが込められた声に心が騒めいて、透花は無意識のうちに一歩前へと足を踏み出す。

「それでもトーカを護るのは僕の役目でありたい。側を離れたせいで彼女を失うなんて二度と御免だ。隣にいられなくても、トーカが幸せでいられるならそれでいい。どうしようもないぐらい大好きで大切なんだ。だから――」

ようやく顔を上げたフィルは瞠目したまま、固まっている。ジョナスに話しかけていたはずなのに、この場にいないはずの透花が目の前にいたのだから当然の反応だろう。

透花としても、フィルにどう声を掛けていいか分からず、しばし二人は無言で見つめ合っていた。
我に返ったのはフィルのほうが早かった。立ち上がりかけて、その勢いに驚いた透花が肩を震わせた途端に、即座に座りなおす。

「ジョナス!」
「フィル様のご様子に気を取られてうっかり失念しておりました。お茶の準備をして参りますので、失礼いたします」

全く悪びれる様子もなく告げたジョナスがさっさと部屋から出て行くと、小さな溜息が聞こえた。

「……ジョナスが余計な事を言ったのだろうけど、トーカは何も気にしなくていいから。悲しませて、傷つけたのにごめん。こんな醜態まで晒して、本当に僕は情けないね」

騙すような形でフィルの心情を聞いてしまったのは透花なのに、こんな時でもフィルは誠実な対応を取ろうとするのだ。

(責められたって仕方ないのに、フィ―はいつも私を甘やかしてくれる)

落ち着かないのに嬉しくて、心地よさと不安の間で心が揺れるのは今も変わらない。だけど逃げたくないと思ってしまった。向き合うのは怖いのに、ここで逃げてしまえば大切なものを失ってしまう気がする。

「フィーは情けなくなんかない。酷いこと言ってごめんなさい。……怖かったの」
「うん。トーカは……僕がいないほうが、僕以外の者に世話をしてもらう方がいい?」

どう説明していいか迷っていると、フィルから不安そうな表情で切り出された。真面目で優しくて、思いやりがあって、とても愛情深い人。

「フィーのことが好きなのに怖いの。これ以上幸せになったら、悪いことが起きるんじゃないかって。もしフィーから嫌われてしまったら、きっともう耐えられない」

想像するだけで目頭が熱くなるぐらい、透花は弱くなってしまった。失った時のことを考えて手を伸ばさないのは愚かなことだろう。
今でさえフィルの側は心地よくて安心できるのに、これ以上望めば離れられなくなる。

「どうしたらトーカを嫌いになれるのか分からない。ねえ、トーカ。怖いことからは僕が護るよ。トーカがいつか他の場所で生きていくことを望んでも、他の人を選んでも、僕はずっとトーカの味方であり続けるから。僕にトーカが幸せになるための手伝いをさせて」

フィルは透花の欲しい言葉ばかりくれるのに、自分は何も返せない。

「でも、フィーの気持ちを利用するみたいなことしたくない」
「それが僕の望みなのに?トーカが笑っているだけで僕は幸せなんだよ。もちろん同じ気持ちを抱いてくれれば嬉しいけど、それは望み過ぎだからね」

御子として以外何の価値もない透花にフィルはまるで宝物のように扱ってくれるのだ。友情なのか恋情なのか分からないが、フィルといたいと思う気持ちは変わらない。

「……フィーと、一緒にいてもいいの?」
「勿論だよ」

惜しみなく差し出される優しさに、喜びと罪悪感を覚える。それでも透花はフィルの側にいたいという望みを捨てることが出来なかった。



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