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突き付けられた言葉

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「エリー様が落ち着かれましたら、まずはエカトスとの協議内容を確認したほうが良さそうですね。怪我についてはその後にゆっくりとご説明いただきましょう」

ディルクも勿論エリーの軽率な行動について腹を立てているが、エルヴィーラの淡々とした声を聞けば、後でどれほど絞られるか容易に想像がつき、わざわざ叱らなくて良さそうだと思えてくる。

「くっ……我が君の優しさにつけ込むなど卑怯な……」

二人がいなくなったあと、膝をついて苦悶の表情を浮かべるベンノは奥歯を噛みしめながら誰もいない空間を睨みつけている。
少し前までどこかギクシャクした雰囲気であったが、最近は更にエーヴァルトへの心酔を深めたようだ。

(とは言えいい加減したほうがいいと思うが)

幼少の頃から一人で世話係として仕えているのだから、そう簡単に切り替えられるものではないのだろうが、エーヴァルトとてもう大人なのだ。新しい感情が芽生え始めたことを喜び、少し離れた位置で見守るぐらいの距離が適切なのではないだろうか。

もっとも正直に告げれば殺されないにしろ、仇敵とばかりに殺気を向けられるのは想像に難くないので口にはしないが――。

「ベンノ様、エリー様にそのような下心はございません。それに先に触れたのは魔王陛下の方かと。女性との距離感について少しご考慮頂ければと存じます」

ディルクの耳には確かに空気が凍り付く音が聞こえた。

「ほう、人間風情が我が君の行動に文句をつけるか」
「文句ではなく進言です。人間の、特に貴族社会のルールではございますが今後外交を行う上で大切なことです。未婚の男女が過度に触れ合うことははしたないこととされておりますから」

先ほどの抱擁は男女のそれではなかったが、神殿育ちのエルヴィーラにとっては許容できない行為だったようだ。ディルクもエーヴァルトの行動に目を瞠ったものの、それだけ心配だったのだろうとそれ以上気に留めなかった。
マナーということならエルヴィーラの言い分は正論ではあるが、残念ながらベンノの神経を逆撫でする行為でしかない。

「二人とも少し落ち着いてくれ」

仕方なく仲裁に入ると、何故かどちらからも不満そうな表情を向けられる。

「我が君を侮辱されて落ち着いてなどいられるものか!そもそもお前があの小娘をしっかり管理していないせいだろう」
「魔王陛下に他意はないとはいえ、本来あのような場合お止めするのが護衛騎士であるディルク様の役目ではないのでしょうか?」

(余計な口を挟むんじゃなかった……)

すぐさま後悔することになったディルクは、エーヴァルトが呼びにくるまで二人か延々と責められることとなった。



「提案に乗るか確率は半々だけど、アランは話が通じそうな相手だったよ。聖石を見せた時もどちらかと言えば嫌そうな顔をしていたしね」

ベルガー辺境伯の次男であるアランは、辺境伯の代わりに領主代行を務めているほど聡明な人物だ。人当たりもよく領民からも慕われているという評判がなければ、エリーを一人で送り出すことはなかっただろう。

「贈り物が気に入らなかったということかな?でもエリーは彼を評価しているんだよね」

首を捻ったエーヴァルトにエリーは少し困ったような笑みを浮かべた。

「貴重な贈り物を渡されたせいで無下に扱えない相手になったからだよ。聖石が値上がりした今、別の供給源は用意しておきたいところだけど、シクサール王国の不興を買うわけにもいかないからね。おまけにシクサール王国が討伐の準備をしている可能性を示唆したから今頃大忙しだと思うよ」

話すべきことは全て伝え終わったようで、エリーは林檎のマフィンを自分の皿に移してかぶりついている。部屋に入ってすぐにテーブルの上に用意されているのに気づいていたが、報告を終えるまでは我慢していたようだ。
見た目は素朴だが甘すぎず、加熱した林檎の風味がお気に入りだというエリーは幸せそうに口元を緩めていて、エルヴィーラも紅茶のお代わりを注ぎながら目元を和らげている。

(無事に戻ってきてくれて良かった……)

ずっと張り詰めていた緊張が解けて、ようやく心が緩む。信用していない訳ではないが、エリーは頑固なところがあり、状況によっては感情を見せないよう隠すことも上手い。だからこそ本当に一人で抱えていないか、困ったことがないかと観察するようになった。
不意にエリーと目が合うが、口の端に付いたマフィンの欠片を指で示してやるとナプキンで口元を拭っている。

そこからは今後についての意見やシクサール王国の現状について話が出たが、そう長くは掛からずにお開きとなる。
その間特段気になるようなことも、違和感を覚えているようでもなかったのでディルクはすっかり油断していた。

部屋に戻るなりノックの音が聞こえてエリーが訪ねてきたとき、表面上は平静を装ったもののディルクはどこか居心地の悪さを感じていた。
ベンノやエルヴィーラから言われた言葉を反芻しそうになったが、それは悪手だと気づいて代わりにエリーに訊ねた。

「で、どうしたんだ?エルヴィーラと話があるんじゃなかったのか?」

話し合いという名のもとの説教だが、心配を掛けたという自覚があるエリーが逃げ出すとは思えない。いつもは真っ直ぐに見てくるくせに、視線が定まらず迷っているような態度のエリーに何かあったのかと不安が落ちる。

「……私がいない間に何かあったか?上手く言えないけど、何か変な感じがする」

野生の勘というのか、ちょっとした雰囲気を感じ取る能力に長けているのだろう。エリーのこういうところが油断ならないのだ。だが今回に関してはディルク自身の問題であるし、エリーに伝えるつもりもない。

「大したことじゃない。ベンノとエルヴィーラの仲裁に手を焼いたぐらいだ。あいつらは自分の主人のことになると譲らないからな」

そのことで疲弊したのも本当のことだし、うんざりした声音も心からのものだ。それを聞いたエリーは納得した表情で、くすりと笑い声を漏らした。

「それは大したことだと思うよ。それならゆっくり休んだ方がいいな。邪魔してごめん――心配かけたのも悪かった」

気に掛かっていた原因が分かりほっとしたのか、エリーはそれ以上追求することもなく部屋から出て行った。
残されたディルクは先ほどまでエリーが座っていた場所――僅かに温もりが残るベッドの端に腰掛ける。

寝るためだけの部屋だからとソファーや机などは置いていない。座る場所がないとはいえ、躊躇いもなく異性の部屋でベッドに腰を下ろすのだから、男として見られていないことは間違いないだろう。それで構わないはずなのに、二人から突き付けられた言葉に動揺した自分が情けなくて自嘲的な笑みがこぼれた。

『あれだけの執着を示しておいて野放しにするな』
『負い目を感じるからと言って向き合わない理由にはならないと思います』

彼らの言葉は正しいが、それはあくまでもディルクの問題だ。だからこのままの距離で見守ると決めたのに、ふとした調子に心が揺れる。

(大切だからこそ幸せを願い、手を伸ばすことを止めたのは他ならぬ自分自身だと言うのに)

温もりのないベッドに仰向けになりディルクは疲れ切った心を休ませるために目を閉じた。
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