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悲しさの理由

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瑛莉がエルヴィーラの不在に気づいた時には既に半日ほど経っていた。戻ってこないことに少し違和感を覚えたものの、休んでいるのだろうと深く考えなかった自分が恨めしい。
昼前に目覚めたソフィアと食事を摂りながら話を聞いているうちに、既に事情を打ち明けていたことが判明したのだ。

何も聞かされていなかったことに胸騒ぎを覚え、再度ソフィアに話を聞いた瑛莉は部屋の前にいたベンノを無視してエーヴァルトの元へと向かった。


「……どういうことだ」

怒りに声が震えるのが自分でも分かった。感情的になっても良いことなど何もないと自分を落ち着かせようとしても上手くいかない。

気まずそうなエーヴァルトと対照的にディルクの感情を削ぎ落とした顔に心が波立つ。
見覚えのあるその表情は、約束を破り逃亡した時と同じだった。

「最初に伝えておくが、今回お前の身代わりを申し出たのはエルヴィーラからだ」

淡々としたディルクの声に苛立ちが増す。無言で続きを促せばディルクは同じ口調で説明を始めた。

「今回の件はおかしな点が多い。本気で脅迫するつもりならもっと他に方法があったはずだ」

ソフィアが一人で森まで辿りついたことも、魔物に遭遇しなかったことも運が良かっただけに過ぎない。保護した際に周囲に人の気配はなかったことから監視も付いていなかったはずだ。人質を盾に聖女を呼び寄せるには随分杜撰なものだった。

言い方は悪いが、そもそも少年一人の命と聖女では釣り合いが取れないのだ。
本気で取り返そうという気があると思えないことから、他に目的があるのではないかという結論に達した。

「ただの様子見や嫌がらせだとしても稚拙過ぎるし、何かのカモフラージュではないかと考えている。シクサール国王陛下はこのようなことに加担するような方ではないし、神殿側の独断だとしてもあの神官長が意味のないことをするとは思えないからな」

「だからと言ってエルヴィーラを潜入させる理由にはならないはずだが?」
「お前よりはなるな」

エルヴィーラはフリッツが監禁されているスファリの神殿に、ロドリーゴと共に何度か足を運んだことがあるらしい。ロドリーゴの生まれ故郷であり、副神官長として王都に来るまではそこで務めを果たしていたためだ。

内部構造に詳しい人間の方が目的を探るために立ちまわりやすい。さらに神殿内にはロドリーゴを慕う敬虔な信徒がいて、いざという時には助けを求めることが出来る。

「……それでも安全とは言えないだろう」
「安全を最優先するのなら何もしないのが一番だっただろうが、お前は納得するのか?」

フリッツを見捨てられないのなら駄々を捏ねるなと言われた気がして、瑛莉はディルクを睨んだ。心の片隅でディルクの言い分に納得している自分がいたが、それでも気持ちは収まらない。

「――ディルク」

取りなすように声を掛けるエーヴァルトを手で制して、ディルクは瑛莉から目を離さずに変わらぬ口調で告げた。

「もう既にエルヴィーラはスファリにいる。お前が動けばエルヴィーラを危険に晒すことになるぞ。今回ばかりは大人しくしておくんだな」

一方的な物言いと冷ややかな口調は取り付く島もない。込み上げる感情を呑み込んで瑛莉は部屋から出て行った。



こうやって部屋に閉じこもっても仕方がないのだと分かっている。だが行き場を失くした感情をやり過ごすには時間が必要だった。押し寄せる感情に心を揺らしていると、控えめなノックの音がした。

遠慮がちなその様子に姿を見なくても訪問者が分かる。今は会いたくないなと思うが、そういう訳にもいかないだろう。
それでも返事をせずにいると、躊躇いがちに扉が小さく開いて声が聞こえた。

「エリー、少しだけ話せないかな?」

気遣わし気な響きに瑛莉は諦めてエーヴァルトを招き入れることにした。

「今回の件だけど……」
「分かってるよ。私のためなんだろう?だから怒ってない」

良い出会い方ではなかったが、妹想いの優しい少年を見捨てたくはなかった。そんな瑛莉の行動を予測して行動してくれたことも、出来る限りの配慮をした上でエルヴィーラの意志を尊重し送り出したことも理解はしている。

「うん、僕もエリーが怒っているとは思っていないよ。エリーは何が悲しかったの?」

思わず顔を上げれば、ラベンダー色の瞳はとても穏やかで、胸がぎゅっと苦しくなる。いつも救ってくれていた人と似た眼差しに自然と言葉が漏れた。

「私が子供だから、ディルクにあんな言い方をさせてしまった……」

ディルクが敢えて突き放すような話し方を選んだのは、エルヴィーラやエーヴァルトへ否定的な感情を抱かせないため、瑛莉の怒りを自分だけに向けさせるためだろう。

優しい人にそんな風に気を遣わせたことが、そして子供扱いをされたことが惨めでならなかった。努力を重ねて大人になったつもりでいたのに、結局はまだ無力で弱い子供なのだと思い知らされるようで苦しくなる。
そんな精神状態から、同じように守ってくれた「先生」にも嫌な思いをさせてしまった過去を思い出してしまっていた。

(だからこそこれ以上他人に甘えず一人で生きていけるよう頑張ってきたのに、結局まだ届かないままだ……)

「エリーが子供だなんて誰も思っていないよ。今回は僕らが勝手に気を回した結果、エリーに嫌な思いをさせてしまっただけだ。自分が逆の立場だったらと考えてみればすぐ分かることなのに、ごめんね」

静かな声は後悔を含んでいて、自分の内側に意識を傾けていた瑛莉は顔を上げる。

「話し合いの場を持たないのは良くなかった。除け者にされたようで気分が悪かっただろう?」

疎外感を抱かせてしまったことを申し訳なく思っているエーヴァルトとは少し認識のずれがあるようだ。確かにそういった要素もなくはないが、主な要因はそこではない。
上手く伝わっていない気がして言葉を重ねようとした瑛莉はふと思いついた。

(誰にも話してなかったけどエーヴァルトなら聞いてほしいかも……)

「――元の世界に大切な人がいたんだ」

前置きもなく話し始めた瑛莉に、エーヴァルトは少し驚いたような表情を浮かべたが、続きを促すように小さく頷いてくれた。
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