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これからの日々
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深い森の中をアランは一人で歩いていた。連れてきた護衛は森の入口で待機している。木々の切れ目から零れる陽光や、さらさらと音を立てる葉に大切な面談の前だというのに心が和んだ。
「あ、アラン様だ」
快活な少年の声にアランの顔に自然と笑みが浮かんだ。
「こんにちは、フリッツ君。仕事は順調かい?」
「もちろんさ。アラン様の顔だってちゃんと覚えていただろう!」
人の名と顔を記憶するのはお手の物だと得意げなフリッツだったが、その頭に手を乗せられると、ぴしりと背筋を伸ばした。
「……顔だけで判断するのは危ない」
人形のような無機質な表情だが、特に機嫌が悪いわけではなくこれが通常らしい。
「お久しぶりです、ネイド殿。魔王陛下に拝謁のため参りました」
ネイドの瞳孔が縦長に変化したかと思うとすぐに元に戻り、こくりと一つ頷く。入国の許可が出て無意識に安堵から小さな溜息が漏れた。
ネイドは蛇の獣人で聴覚、嗅覚が優れているため変装を見破るだけでなく、悪心を抱く者も敏感に察知できるらしい。
魔王陛下の力が安定してきて、動物の姿から人型になれる魔物も増えてきて通常の魔物と区別するために、彼らは獣人と呼ばれている。同じ種族の魔物とは意志の疎通が出来るため、揉め事が生じた時には獣人が間に入って仲裁する仕組みを構築しているそうだ。
「ネイドさん、剣術の稽古をつけてよ。俺もっと強くなりたいんだ!」
真剣な表情の中で目を輝かせるフリッツに、ネイドは嫌がる素振りもなく相手をしている。子供だからと言ってそう簡単に順応できるわけでもなく、少しずつ互いに歩み寄った結果なのだろう。徐々に移民を受け入れているそうだが、それぞれの文化や考え方など種族間の違いを埋めていくには時間が掛かる。
それでも新しい国が形づくられていく様子をどこか羨ましく思いながら、アランは城へと向かった。
「アラン殿、遠路はるばるよく来てくれたね」
「魔王陛下に拝謁賜りましたこと、身に余る光栄でございます」
玉座などではなく、対面のソファーに腰掛けて魔王陛下は優雅な微笑みを浮かべている。その隣にいるのは、世界中で最も有名な女性と言っても過言ではないだろう。
「聖女様におかれましても、お元気そうで何よりです」
「もう聖女じゃないって何度言ったら分かるんですか」
およそ三ヶ月前、神殿の最高責任者である神官長の策略でエリーは命を失いかけた。それにより聖女の力を失ったと聞いているが、未だにアランは半信半疑でいる。
子供を人質にした悪辣な手口、女神の恩寵である聖女の暗殺未遂、そして貴重な力の損失に神殿は言うに及ばず、シクサール王国にも世界中からの非難が殺到し、一時期は国の存亡も危ぶまれたほどだ。
現国王の政治的手腕とこれまでの功績がなければ、統治者のすげ替えは免れなかっただろう。後継である王太子も身分ゆえの傲慢さが消えて、熱心に政務に取り組むようになったと聞く。
(それもきっとこの方の影響なのだろう)
アランもまた聖女に感謝している人間の一人である。
交易相手としてエリーがエカトス連合国を選んでくれたおかげで、他国よりも遥かに有利な条件で聖石の安定した供給が見込めるようになったのだ。
たとえ聖女でなくなったとしても、彼女の与える影響力とその聡明な頭脳と行動力に敬意を込めて、アランは聖女と呼ぶのだった。
「お疲れ様、エリー。一緒にお茶を飲んでいかない?」
アランとの面談を終えると、エーヴァルトから声を掛けられた。何か話でもあるのだろうかと快諾すれば、ティーポットを手に取り瑛莉のカップに注いでくれる。
カップがソーサーに触れる音だけが聞こえる静かで穏やかなひと時に、心と身体が緩んでいく。そうして瑛莉はエーヴァルトが自分のために時間を取ってくれたのだと気づいた。
この一ヶ月、ずっと迷っていて誰にも相談できずにいたことを、勘のいいエーヴァルトにはとっくに見抜いていたのだろう。
それでも敢えてそっとしておいてくれた心遣いが嬉しくて、瑛莉はエーヴァルトにありがとうの気持ちを込めて小さく微笑んだ。
往生際悪く、うだうだと悩み続けている瑛莉のために話しやすい環境を整えてくれたのだから、いい加減向き合わなければいけない。
「……少しの間、旅に出ようと思ってるんだ」
反対されるとは思っていないが、つい反応を窺えばエーヴァルトは安心させるように頷いて瑛莉の言葉を待っている。
「聖女の力も使えなくなったことだし、何かしらの知識や技術を身に付けたくて。一人で生活していけるようになりたいから」
それは紛れもなく本心ではあるものの、どこか言い訳のように聞こえてしまうのは自分だけだろうか。
それ以上空虚な言葉を重ねることができず口を噤んだ瑛莉にエーヴァルトは小さく笑った。意味ありげなその表情は、聖女の力を瑛莉がどう考えているか知っているからだろう。
死の直前に瑛莉が本能的に求めたのは、エーヴァルトの魔力だった。火事場の馬鹿力というのか、これまでの記憶が瞬時に思い浮かんで、瑛莉は答えを掴み取ったのだと思っている。
初代聖女も異世界から来た人間だが、最初から特別な力を持っていたわけではなく、魔王が魂の欠片を渡したから、聖女は癒しと浄化の力を得たのではないかというのが瑛莉の仮説だ。
そして聖女も魔王と同じくその魂の欠片を受け継いだ子供で、召喚されることで魔王の魂が反応して力が使えるようになるのではないだろうか。
聖女とはいわば濾過装置のようなもので、魔石を聖石に変換する過程で魔力を体内にため込み、治癒を行う際にはその魔力を消費している。体内に魔力がない場合は恐らくだが、自分の命を削ってしまうため、瑛莉が力を使おうとしても上手く行かなかったのだろう。
魔力そのものを一気に取り込めば身体に負荷が掛かり危険だったのだろうが、以前逆の立場で瑛莉がエーヴァルトをゆっくり浄化した経緯があったからか、エーヴァルトも同じように瑛莉に魔力を与えてくれたそうだ。
とはいえ危険な状態にあった弊害か、以前のように力を使うことが出来なくなった。もう少し時間が経てば改善するかもしれないが、瑛莉自身が聖女であることを望んでいなかったため、力を失ったことを周知したのだ。
「今のままでもエリーは十分に僕の補佐として務めてくれているけど、学びたいことやしたいことがあるなら、止めはしないよ。でも女性の一人旅は危ないと聞くし、護衛としてディルクを連れていってはどうかな?」
「…………エーヴァルト」
恨みがましい視線を送れば楽しそうに笑っているため、故意なのだろう。打ち明けたつもりはなかったが、最近の自分のポンコツ具合を見れば気づかないほうがおかしい。本人に気づかれるのも時間の問題だと思ったからこそ、旅に出ようと決めたのだ。
「どうして言わないの?結果はどうあれ我慢しているのはエリーらしくないね」
「……言えるわけないよ。そんなの脅しと同じだろう」
自分を庇って重傷を負った相手から好意を伝えられても困らせるだけだ。今も責任と後悔を抱えているディルクにこれ以上余計な重荷を背負わせるわけにはいかない。
瀕死の重傷を負った瑛莉が目覚めるまでの八日間、ディルクはずっと側を離れなかったそうだ。意識はほとんどなかったが、それでも僅かに意識が浮上した時に聞こえてきたのは謝罪の言葉ばかりで、悔恨に満ちた響きを思い出すと今でも胸が詰まる。
「傍にいたいけど、縛り付けたくない。…一緒にいると幸せなのに伝えられないことが苦しくて、気づかれてしまうのが怖いんだ」
弱音とともに涙がぽたりと零れた。
「……エリー」
何処からともなく聞こえてきた声に顔を上げると、窓を背にしてディルクが立っていた。たった今現れたにしても、そこまでの距離を気づかずに移動するのは不可能だ。呆然と目を瞠っていると、エーヴァルが僅かに肩をすくめて立ち上がった。
「流石に声を出したら認識阻害の効果は消えちゃうね。あとは二人で話すといいよ」
普段と変わらない口調でそう言い残すと、エーヴァルトは部屋から出て行ってしまう。扉の閉まる音でようやく状況を理解した瑛莉の顔からは血の気が引いた。
(名前は……かろうじて出していなかったはず。だけど、気づかれてもおかしくはない……)
「エルヴィーラとフリッツを救出したら、話したいことがあると言っていたのは覚えているか?」
突然のディルクの質問に戸惑いながらも、無言で頷く。
「エリー、俺はお前が好きだ」
(……やっぱりさっきの話を聞いていたから)
責任感からそう言ってくれただけじゃないか、そう思ってしまった。それなのに本心であってほしいと願っている自分がいて、何だかとても惨めだ。
「今は信じられなくてもいい。エリーがエーヴァルトに惚れているなら困らせるだけだと自制していたからな。だがこれからは遠慮なく口説かせてもらう」
「く、口説くって……え、何でエーヴァルト……?」
いつになく動揺していてディルクの言葉に理解が追い付かない。
「エーヴァルトの前では恥じらいを見せたり、やたら素直な態度だったじゃないか。あいつはいい奴だしエリーが惹かれるのも無理はないと思うだろう」
「だって、エーヴァルトは先生に似ていたから」
そう言ってから、ディルクには「先生」のことを話していないことに気づいたが、僅かに細められた瞳が不機嫌そうに見える。
「以前、力を使い過ぎて倒れた時に縋るように呼んでいたな。……大切な相手だったのなら尚のこと、好意を抱いても不思議じゃないだろうに」
拗ねた口調はまるで嫉妬しているかのようで、瑛莉は自分を戒めながら否定した。
「先生はずっと私を助けてくれた恩人で大切な人だけど、そんなんじゃないよ。父親がいなかった私にとっては、理想のお父さんみたいな人だった」
自分の家族のことを話すのは、この世界に来てこれが初めてかもしれない。相手がいなかったのではなく、自分で壁を作っていたというのが正しいのだろう。
「それは……エーヴァルトには言うなよ?流石に落ち込むだろうからな。俺はお前の父親ではなく恋人になりたいから、その先生とやらに似てなくて良かったと考えるべきか」
「っ――」
ふわりと優しい笑みを浮かべて瑛莉を見つめるディルクの瞳は甘やかで、視線一つでこれほどまでに想いが伝わるのだと思い知らされる。
(どうしよう、じゃあ本当に……?ディルクの言葉を信じていいということ?)
どうしていいか分からずにディルクを見ると、虚を突かれたような表情に変わる。どうしたのかと声を掛ける間もなく、伸ばされた腕に引き寄せられた。
「ああもう、可愛すぎるだろ!他所でそんな顔は見せるんじゃないぞ」
自分がどういう顔をしていたのかなんて分からないが、情けない顔をしていたはずだ。それなのに可愛いと言われて、さっきから熱を感じていた頬がさらに熱くなった。シャツ越しにディルクに伝わっているのではないかと思うと気が気ではない。
「はは、耳まで真っ赤だな」
弾むような口調は楽しそうで、瑛莉は恨みがましい気持ちでディルクを睨む。それなのに慈しむようにそっと頬に触れるのだから、文句が言えなくなってしまう。
「本当は想いを告げずに、ただお前を側で守る許可を得ようと思っていた。もう二度と……あんな風にお前を失いそうになるなんて耐えられなかったからな」
助かったのは幸運でしかなく、エーヴァルトがいなければ間違いなく命を落としていた。
「……力がなくなったから、もう無理はしないし出来ないよ。だから……責任を取ろうとか、思わなくていいから」
自分で発した言葉に泣きそうになる。ディルクから想いを伝えられて嬉しく思ったはずなのに、傷つきたくないからと思わず距離を取ろうとしてしまった。
「責任を取るという名目でエリーの側にいられるならむしろ役得だな。必ず幸せにすると誓うから、俺とずっと一緒にいてくれないか?」
ずっと叶えたい願いがあった。
『「先生」と「りっちゃん」のように、いつか自分を愛してくれる人と幸せになりたい』
お前なら大丈夫だ、と「先生」が背中を押してくれた気がした。
「ディルク、好き。私もディルクと一緒にいたい」
嬉しくて心がほかほかと温かいのに、涙が止まらない。
背中に回された腕の力強さに、瑛莉は安心感と心地よさと安心感に包まれていた。
「……よろしかったのですか」
緊張した様子で尋ねるベンノにエーヴァルトは苦笑した。
「僕はエリーもディルクも大好きなんだよ」
そう言って微笑めば、ベンノはそれ以上何も言わなかった。エリーに恋心を抱いていたかと言えば、分からないというのが正直なところだ。恩人であり特別な存在だが、独占したい気持ちはなく、強いて言うなら妹のような感覚に近い。
そんなエリーと友人のディルクは変なところでよく似ていて、お互い気を遣い過ぎて擦れ違ってしまっているのを見兼ねて、ついお節介を焼いてしまった。
少しだけ寂しい気もしたが、大切な友人たちには幸せになって欲しい。
窓の外を見ると、少しずつ整備されていく畑や街並みの中に魔物だけでなく人間がいて、一緒に作業を行っている。こんな光景がいつか当たり前になっていくのだろうか。
これからの日々に思いを馳せながら、エーヴァルトはその様子を愛おしそうに見つめていた。
Fin.
「あ、アラン様だ」
快活な少年の声にアランの顔に自然と笑みが浮かんだ。
「こんにちは、フリッツ君。仕事は順調かい?」
「もちろんさ。アラン様の顔だってちゃんと覚えていただろう!」
人の名と顔を記憶するのはお手の物だと得意げなフリッツだったが、その頭に手を乗せられると、ぴしりと背筋を伸ばした。
「……顔だけで判断するのは危ない」
人形のような無機質な表情だが、特に機嫌が悪いわけではなくこれが通常らしい。
「お久しぶりです、ネイド殿。魔王陛下に拝謁のため参りました」
ネイドの瞳孔が縦長に変化したかと思うとすぐに元に戻り、こくりと一つ頷く。入国の許可が出て無意識に安堵から小さな溜息が漏れた。
ネイドは蛇の獣人で聴覚、嗅覚が優れているため変装を見破るだけでなく、悪心を抱く者も敏感に察知できるらしい。
魔王陛下の力が安定してきて、動物の姿から人型になれる魔物も増えてきて通常の魔物と区別するために、彼らは獣人と呼ばれている。同じ種族の魔物とは意志の疎通が出来るため、揉め事が生じた時には獣人が間に入って仲裁する仕組みを構築しているそうだ。
「ネイドさん、剣術の稽古をつけてよ。俺もっと強くなりたいんだ!」
真剣な表情の中で目を輝かせるフリッツに、ネイドは嫌がる素振りもなく相手をしている。子供だからと言ってそう簡単に順応できるわけでもなく、少しずつ互いに歩み寄った結果なのだろう。徐々に移民を受け入れているそうだが、それぞれの文化や考え方など種族間の違いを埋めていくには時間が掛かる。
それでも新しい国が形づくられていく様子をどこか羨ましく思いながら、アランは城へと向かった。
「アラン殿、遠路はるばるよく来てくれたね」
「魔王陛下に拝謁賜りましたこと、身に余る光栄でございます」
玉座などではなく、対面のソファーに腰掛けて魔王陛下は優雅な微笑みを浮かべている。その隣にいるのは、世界中で最も有名な女性と言っても過言ではないだろう。
「聖女様におかれましても、お元気そうで何よりです」
「もう聖女じゃないって何度言ったら分かるんですか」
およそ三ヶ月前、神殿の最高責任者である神官長の策略でエリーは命を失いかけた。それにより聖女の力を失ったと聞いているが、未だにアランは半信半疑でいる。
子供を人質にした悪辣な手口、女神の恩寵である聖女の暗殺未遂、そして貴重な力の損失に神殿は言うに及ばず、シクサール王国にも世界中からの非難が殺到し、一時期は国の存亡も危ぶまれたほどだ。
現国王の政治的手腕とこれまでの功績がなければ、統治者のすげ替えは免れなかっただろう。後継である王太子も身分ゆえの傲慢さが消えて、熱心に政務に取り組むようになったと聞く。
(それもきっとこの方の影響なのだろう)
アランもまた聖女に感謝している人間の一人である。
交易相手としてエリーがエカトス連合国を選んでくれたおかげで、他国よりも遥かに有利な条件で聖石の安定した供給が見込めるようになったのだ。
たとえ聖女でなくなったとしても、彼女の与える影響力とその聡明な頭脳と行動力に敬意を込めて、アランは聖女と呼ぶのだった。
「お疲れ様、エリー。一緒にお茶を飲んでいかない?」
アランとの面談を終えると、エーヴァルトから声を掛けられた。何か話でもあるのだろうかと快諾すれば、ティーポットを手に取り瑛莉のカップに注いでくれる。
カップがソーサーに触れる音だけが聞こえる静かで穏やかなひと時に、心と身体が緩んでいく。そうして瑛莉はエーヴァルトが自分のために時間を取ってくれたのだと気づいた。
この一ヶ月、ずっと迷っていて誰にも相談できずにいたことを、勘のいいエーヴァルトにはとっくに見抜いていたのだろう。
それでも敢えてそっとしておいてくれた心遣いが嬉しくて、瑛莉はエーヴァルトにありがとうの気持ちを込めて小さく微笑んだ。
往生際悪く、うだうだと悩み続けている瑛莉のために話しやすい環境を整えてくれたのだから、いい加減向き合わなければいけない。
「……少しの間、旅に出ようと思ってるんだ」
反対されるとは思っていないが、つい反応を窺えばエーヴァルトは安心させるように頷いて瑛莉の言葉を待っている。
「聖女の力も使えなくなったことだし、何かしらの知識や技術を身に付けたくて。一人で生活していけるようになりたいから」
それは紛れもなく本心ではあるものの、どこか言い訳のように聞こえてしまうのは自分だけだろうか。
それ以上空虚な言葉を重ねることができず口を噤んだ瑛莉にエーヴァルトは小さく笑った。意味ありげなその表情は、聖女の力を瑛莉がどう考えているか知っているからだろう。
死の直前に瑛莉が本能的に求めたのは、エーヴァルトの魔力だった。火事場の馬鹿力というのか、これまでの記憶が瞬時に思い浮かんで、瑛莉は答えを掴み取ったのだと思っている。
初代聖女も異世界から来た人間だが、最初から特別な力を持っていたわけではなく、魔王が魂の欠片を渡したから、聖女は癒しと浄化の力を得たのではないかというのが瑛莉の仮説だ。
そして聖女も魔王と同じくその魂の欠片を受け継いだ子供で、召喚されることで魔王の魂が反応して力が使えるようになるのではないだろうか。
聖女とはいわば濾過装置のようなもので、魔石を聖石に変換する過程で魔力を体内にため込み、治癒を行う際にはその魔力を消費している。体内に魔力がない場合は恐らくだが、自分の命を削ってしまうため、瑛莉が力を使おうとしても上手く行かなかったのだろう。
魔力そのものを一気に取り込めば身体に負荷が掛かり危険だったのだろうが、以前逆の立場で瑛莉がエーヴァルトをゆっくり浄化した経緯があったからか、エーヴァルトも同じように瑛莉に魔力を与えてくれたそうだ。
とはいえ危険な状態にあった弊害か、以前のように力を使うことが出来なくなった。もう少し時間が経てば改善するかもしれないが、瑛莉自身が聖女であることを望んでいなかったため、力を失ったことを周知したのだ。
「今のままでもエリーは十分に僕の補佐として務めてくれているけど、学びたいことやしたいことがあるなら、止めはしないよ。でも女性の一人旅は危ないと聞くし、護衛としてディルクを連れていってはどうかな?」
「…………エーヴァルト」
恨みがましい視線を送れば楽しそうに笑っているため、故意なのだろう。打ち明けたつもりはなかったが、最近の自分のポンコツ具合を見れば気づかないほうがおかしい。本人に気づかれるのも時間の問題だと思ったからこそ、旅に出ようと決めたのだ。
「どうして言わないの?結果はどうあれ我慢しているのはエリーらしくないね」
「……言えるわけないよ。そんなの脅しと同じだろう」
自分を庇って重傷を負った相手から好意を伝えられても困らせるだけだ。今も責任と後悔を抱えているディルクにこれ以上余計な重荷を背負わせるわけにはいかない。
瀕死の重傷を負った瑛莉が目覚めるまでの八日間、ディルクはずっと側を離れなかったそうだ。意識はほとんどなかったが、それでも僅かに意識が浮上した時に聞こえてきたのは謝罪の言葉ばかりで、悔恨に満ちた響きを思い出すと今でも胸が詰まる。
「傍にいたいけど、縛り付けたくない。…一緒にいると幸せなのに伝えられないことが苦しくて、気づかれてしまうのが怖いんだ」
弱音とともに涙がぽたりと零れた。
「……エリー」
何処からともなく聞こえてきた声に顔を上げると、窓を背にしてディルクが立っていた。たった今現れたにしても、そこまでの距離を気づかずに移動するのは不可能だ。呆然と目を瞠っていると、エーヴァルが僅かに肩をすくめて立ち上がった。
「流石に声を出したら認識阻害の効果は消えちゃうね。あとは二人で話すといいよ」
普段と変わらない口調でそう言い残すと、エーヴァルトは部屋から出て行ってしまう。扉の閉まる音でようやく状況を理解した瑛莉の顔からは血の気が引いた。
(名前は……かろうじて出していなかったはず。だけど、気づかれてもおかしくはない……)
「エルヴィーラとフリッツを救出したら、話したいことがあると言っていたのは覚えているか?」
突然のディルクの質問に戸惑いながらも、無言で頷く。
「エリー、俺はお前が好きだ」
(……やっぱりさっきの話を聞いていたから)
責任感からそう言ってくれただけじゃないか、そう思ってしまった。それなのに本心であってほしいと願っている自分がいて、何だかとても惨めだ。
「今は信じられなくてもいい。エリーがエーヴァルトに惚れているなら困らせるだけだと自制していたからな。だがこれからは遠慮なく口説かせてもらう」
「く、口説くって……え、何でエーヴァルト……?」
いつになく動揺していてディルクの言葉に理解が追い付かない。
「エーヴァルトの前では恥じらいを見せたり、やたら素直な態度だったじゃないか。あいつはいい奴だしエリーが惹かれるのも無理はないと思うだろう」
「だって、エーヴァルトは先生に似ていたから」
そう言ってから、ディルクには「先生」のことを話していないことに気づいたが、僅かに細められた瞳が不機嫌そうに見える。
「以前、力を使い過ぎて倒れた時に縋るように呼んでいたな。……大切な相手だったのなら尚のこと、好意を抱いても不思議じゃないだろうに」
拗ねた口調はまるで嫉妬しているかのようで、瑛莉は自分を戒めながら否定した。
「先生はずっと私を助けてくれた恩人で大切な人だけど、そんなんじゃないよ。父親がいなかった私にとっては、理想のお父さんみたいな人だった」
自分の家族のことを話すのは、この世界に来てこれが初めてかもしれない。相手がいなかったのではなく、自分で壁を作っていたというのが正しいのだろう。
「それは……エーヴァルトには言うなよ?流石に落ち込むだろうからな。俺はお前の父親ではなく恋人になりたいから、その先生とやらに似てなくて良かったと考えるべきか」
「っ――」
ふわりと優しい笑みを浮かべて瑛莉を見つめるディルクの瞳は甘やかで、視線一つでこれほどまでに想いが伝わるのだと思い知らされる。
(どうしよう、じゃあ本当に……?ディルクの言葉を信じていいということ?)
どうしていいか分からずにディルクを見ると、虚を突かれたような表情に変わる。どうしたのかと声を掛ける間もなく、伸ばされた腕に引き寄せられた。
「ああもう、可愛すぎるだろ!他所でそんな顔は見せるんじゃないぞ」
自分がどういう顔をしていたのかなんて分からないが、情けない顔をしていたはずだ。それなのに可愛いと言われて、さっきから熱を感じていた頬がさらに熱くなった。シャツ越しにディルクに伝わっているのではないかと思うと気が気ではない。
「はは、耳まで真っ赤だな」
弾むような口調は楽しそうで、瑛莉は恨みがましい気持ちでディルクを睨む。それなのに慈しむようにそっと頬に触れるのだから、文句が言えなくなってしまう。
「本当は想いを告げずに、ただお前を側で守る許可を得ようと思っていた。もう二度と……あんな風にお前を失いそうになるなんて耐えられなかったからな」
助かったのは幸運でしかなく、エーヴァルトがいなければ間違いなく命を落としていた。
「……力がなくなったから、もう無理はしないし出来ないよ。だから……責任を取ろうとか、思わなくていいから」
自分で発した言葉に泣きそうになる。ディルクから想いを伝えられて嬉しく思ったはずなのに、傷つきたくないからと思わず距離を取ろうとしてしまった。
「責任を取るという名目でエリーの側にいられるならむしろ役得だな。必ず幸せにすると誓うから、俺とずっと一緒にいてくれないか?」
ずっと叶えたい願いがあった。
『「先生」と「りっちゃん」のように、いつか自分を愛してくれる人と幸せになりたい』
お前なら大丈夫だ、と「先生」が背中を押してくれた気がした。
「ディルク、好き。私もディルクと一緒にいたい」
嬉しくて心がほかほかと温かいのに、涙が止まらない。
背中に回された腕の力強さに、瑛莉は安心感と心地よさと安心感に包まれていた。
「……よろしかったのですか」
緊張した様子で尋ねるベンノにエーヴァルトは苦笑した。
「僕はエリーもディルクも大好きなんだよ」
そう言って微笑めば、ベンノはそれ以上何も言わなかった。エリーに恋心を抱いていたかと言えば、分からないというのが正直なところだ。恩人であり特別な存在だが、独占したい気持ちはなく、強いて言うなら妹のような感覚に近い。
そんなエリーと友人のディルクは変なところでよく似ていて、お互い気を遣い過ぎて擦れ違ってしまっているのを見兼ねて、ついお節介を焼いてしまった。
少しだけ寂しい気もしたが、大切な友人たちには幸せになって欲しい。
窓の外を見ると、少しずつ整備されていく畑や街並みの中に魔物だけでなく人間がいて、一緒に作業を行っている。こんな光景がいつか当たり前になっていくのだろうか。
これからの日々に思いを馳せながら、エーヴァルトはその様子を愛おしそうに見つめていた。
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