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第19話 幸せ

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「どうし……こんな……」
 
 萌音の体を抱きかかえ、京平は考える。
 京平の想定では、一が命を懸けて萌音を守り、萌音だけが生き残るはずだった。
 が、現実はこの様。
 
「それでは、ゲームも終わったので皆を元の場所にー! お返しー!」
 
 京平の心情も知らず、すかい君が叫ぶ。
 椅子の下に穴が開き、椅子が穴の中へと落ちていく。
 穴は、椅子の周りにもボコボコと開いていき、生きた者と死んだ者を飲み込んでいく。
 一の死体の下に、穴が開く。
 一の死体が、穴へと落ちる。
 落ちていく一と手が繋がっている萌音の死体も、引きずられて落ちていく。
 萌音を抱きかかえている京平も、引かれる力に抵抗することなく落ちていく。
 
 落ちていく。
 落ちていく。
 落ちていく。
 
 そして、どすんと学校のグラウンドに倒れる。
 
「来週の集合場所も、この場所で! ではまた!」
 
 全員を元の場所に戻し終えたすかい君は、目の前で手をぐるりと回し、円を描く。
 円の描いた部分が、まるで型抜きされたようにボロリととれ、空間に穴が開いた。
 すかい君は、空間に開いた穴に頭を突っ込み、よじよじと穴の中に入っていった。
 すかい君が入り切った後、空中に開いた穴は徐々に小さくなっていき、十秒もすれば完全にふさがった。
 切り目一つ残らない。
 
 
 
「萌音?」
 
 口を持たない体に、京平は話しかける。
 返事はない。
 
「萌音?」
 
 耳を持たない体に、京平は話しかける。
 返事はない。
 
「萌音?」
 
 顔を持たない体に、京平は話しかける。
 返事はない。
 
「萌音……!!」
 
 萌音の存在は、京平が殺人をしている自分を肯定するための麻酔だった。
 
 第一回戦。
 最初の一人が死んだあの瞬間、京平の心はバラバラに崩壊しかけた。
 直接的な関与をしていないとはいえ、自身が考えたルールによって人が死んだ事実に、精神が崩壊し、人格が砕けかけた。
 それでも京平が自我を保てていた理由が、萌音だ。
 萌音を助けるため。
 萌音を生かすため。
 萌音を幸せにするため。
 萌音という存在を大義名分に、京平は自身のあらゆる行いを不問にしていた。
 崩壊する精神と砕けかけた人格が、大義名分によってギリギリ保たれていた。
 
 結果、萌音のために京平は狂気を帯びたが、デスゲームを運営しながら生存するための副作用でしかない。
 
 そして今、京平は萌音を失った。
 帯びた狂気は、精神と人格に止めを刺した。
 
「俺は……何のために……? う……う……うおおおおおおあああああああああああああああああああ!!」
 
 京平は、叫んだ。
 ひたすら叫んだ。
 目から涙を流し、喉から血を流しながら叫んだ。
 第三回戦のゲームクリアを喜ぶでも、デスゲームに加担した罪悪感に苦しむでもない。
 ただ、叫んだ。
 萌音の死の悲しみを。
 
 学校のグラウンドに戻ってきて、生還を喜ぼうとした者も、友の死を悲しもうとした者も、京平の叫びを前に動きが止まった。
 全ての視線は京平に集まり、一言声をかけようとした者も、あまりの狂気的な様子に一歩も踏み出せずに動きが止まる。
 
 雨が降る。
 ピチャンピチャンと地面に落ち、ザアアアアッと世界を流し始めた。
 死体から流れ出る血は水に混じり、グラウンドの外へと捌かれていく。
 一の血が流れていく。
 千雪の血が流れていく。
 萌音の血が流れていく。
 
 萌音だったものが、萌音の体を離れていく。
 
「やめろおおおお!! 持って行くなああああああ!! 持って行かないでくれええええええ!!」
 
 雨は流していく。
 グラウンドの汚れを。
 雨は流してくれない。
 感情の汚れを。
 
「あああああああ!!」
 
 
 
 ピチャンパチャンと足音が響く。
 雨と人をかき分けて、青澄が顔を覗かせ、声の主が京平だと分かると駆け寄った。
 
 青澄は、第三回戦を生存した。
 第三回戦でペアを組んだ相手が、青澄よりも体格が一回り以上小さく、第九問で青澄が生き残るための椅子に座っており、第十問でその席にしがみつくことができた、ただそれだけの理由で。
 即ち勝因は、運である。
 
「東君!」
 
 青澄は、萌音を抱きかかえる京平の背中を抱きしめた。
 
「落ち着いて! 東君落ち着いて!」
 
 青澄は、第一回戦を京平によって救われた。
 感謝を言葉などで伝えきれるとは思っておらず、今度は自分が京平を救う番だと責任感と恋愛感情によって体を突き動かされた。
 が、青澄の必死の叫びも、京平には届かない。
 青澄の温もりも、京平には届かない。
 京平が感じるのは、雨によって奪われていく萌音の体温のみ。
 
 冷たくて。
 温かい。
 
 
 
 
 
 
 京平は唐突に立ち上がろうとし、萌音と一の二人分の体重が腕にかかり、バランスを崩して転倒する。
 京平の背中を抱きしめていた青澄も、巻き込まれて転倒する。
 
「あ、ごめんなさい」
 
 倒れる京平に覆いかぶさる形となった青澄は、慌てて起き上がって京平から離れるが、京平は反応しない。
 青澄など見えていないかのように立ち上がり、ふらふらと家に向かって歩き始める。
 萌音を抱えたまま。
 萌音に繋がった一を引きずったまま。
 
 いつも通りの帰り道。
 青澄は、京平の後ろを不安そうについて行く。
 京平は、萌音と一を萌音の家の前へと置いて、そのまま京平の家へと入っていった。
 青澄は、京平が家に戻ったことを見届けてから、自身も帰路に着いた。
 
「京平! あんた無事で!」
 
 両親の言葉も、京平の耳には入らない。
 土足で家にあがり、ずかずかと階段を上り、土足のままベッドに倒れ込む。
 異常な姿に両親もただ事ではないと察したが、声がかけられない。
 京平が、両親が経験したことのない過酷な世界で戦っていることを知っているから。
 自分たちにできることは祈ることしかないと思っているから。
 
「何かあったら、言ってね。お母さんたちは、いつでもあんたの味方だから」
 
 しばらくして、京平の両親にも、萌音の訃報が届いた。
 京平の様子の理由に、両親はようやく納得がいった。
 
 
 
 翌日。
 
「萌音、遊びに来たぜ?」
 
 京平は、萌音の家のインターフォンを鳴らした。
 
 翌々日。
 
「萌音、遊びに来たぜ?」
 
 京平は、萌音の家のインターフォンを鳴らした。
 
 翌々々日
 
「萌音、遊びに来たぜ?」
 
 京平は、萌音の家のインターフォンを鳴らした。
 
 翌々々々日
 
「萌音、遊びに来たぜ?」
 
 京平は、萌音の家のインターフォンを鳴らした。
 
 翌々々々々日
 
「萌音、遊びに来たぜ?」
 
 京平は、萌音の家のインターフォンを鳴らした。
 
「京平君!! もうやめて!!」
 
 京平は、壊れたように日常を求めていた。
 萌音のいる日常を。
 毎日萌音がいた家に行き、その都度両親に取り押さえられ、家の中へ戻された。
 青澄が様子を見に来たときもあったが、正常ではない京平の様子を鑑みて、京平の両親が断り帰らせた。
 
 京平は、萌音の家に向かう時以外は、一日中眠っていた。
 夢の中で、萌音と会っていた。
 京平にとっての現実は夢の中だ。
 
 ――京平!
 
 萌音の声が、眠る京平の耳に心地よく響く。
 
 
 
 
 
 
 白い床に、足がつく。
 ひんやりとした感触と、夢を見ているはずなのに萌音がどこにもいない目の前の光景が、京平に自分を思い出させた。
 
「ああ、萌音は死んだんだ」
 
 自分を思い出せば出すほど、京平は何も考えられなくなっていた。
 
「おーい? もっしもーし?……あっちゃー、駄目だこりゃ。完全に逝っちゃってるわ」
 
 京平には、周囲の声が何も聞こえない。
 京平には、周囲の光景が何も見えない。
 
「もう、どうでもいい」
 
「あー?」
 
 唯一、神の姿だけが鮮明に京平の視界を支配する。
 しかし、脳は動かない。
 
「話聞いてんのか? 次のルールのゲームを言えって言ってんだ」
 
「鬼ごっこ」
 
「鬼ごっこ?」
 
「鬼が棍棒を持って、追い回すんだ」
 
 そんな京平の口から出たのは、子供の頃の記憶。
 子供の頃に読んだ桃太郎の絵本の記憶と、萌音と二人で鬼ごっこをした記憶がごちゃ混ぜになり、浮かんだ言葉を口にした。
 
「それだけか?」
 
「萌音。鬼ごっこ、楽しかったな。また、明日も遊ぼうな」
 
「あー、心が死んでるな。面倒くせえ。じゃあ、東京は鬼ごっこでいいか」
 
 京平が夢を見続けようが、心が死んでようが、現実は続く。
 第三回戦から一週間後、ゲームは平等に開始される。
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