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叫喚地獄編

第5話 叫喚地獄

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「ここが、私の住む町だ」
 
 地獄において、その空間は異質だった。
 石積みの柵に囲まれた土地の中には、余りにも綺麗な立方体の家が並ぶ。
 家族で住むような広さはなく、まるで1Kアパートの一部屋を切り出したようなサイズだ。
 
「これが、家ですか?」
 
「そう」
 
「小さすぎません?」
 
「いいんだ。寝るだけの場所だからね。この時間なら誰もいないだろうし、ちょっと失礼させてもらおう」
 
 孝は、近くの家の扉を開けて、家の中を幸助に見せる。
 家の中には何もなかった。
 天井と壁と床。
 そして、床の上に布団が一つ。
 それだけだ。
 
「お風呂やトイレはどうするんですか?」
 
 現世の日本において、寝るだけの場所と呼ぶ家であっても、浴室やトイレが併設されているのが一般的だ。
 孝の見せた家は、幸助が家と呼ぶにはあまりにも簡素すぎた。
 浴室がなければ体を洗えず、トイレがなければ排泄できない。
 まさか外でするのかと、幸助は不安の視線を孝に向ける。
 
「必要ないんだ」
 
 対し、孝はシンプルに回答した。
 
「必要ない?」
 
「ああ。世界そのものが死んでいる地獄では、体が汚れることもなければ、トイレに行きたくなることもない」
 
 疑いの目を向ける幸助に、孝は両手を広げて自分の服を見せた。
 皴のないシャツに、適切に手入れされているだろう綺麗な背広。
 
「私は地獄に来てから、一度も風呂に入っていないし、この服も一度も洗濯をしていない」
 
 だからこそ、幸助は驚いた。
 孝が話したことを現世で実践すれば、見た目が貧相になることは防げないだろう。
 悪臭が漂うことは避けられないだろう。
 だが、孝の姿からは、貧相さも悪臭も感じられなかった。
 
「ちなみに、地獄へ来てからどのくらいなんです?」
 
「忘れたよ。何年経ったかな」
 
 そう言いながら、孝はそっと扉を閉めた。
 
 何年。
 その言葉は、幸助の心に重く落ちてきた。
 
 幸助自身、地獄に落ちたばかりで焦っていた心に、未来を考える余裕ができてきた。
 それにより、この地獄で何年過ごさなければならないのか、どんな過酷な生活をしなければならないのかに意識が向いていた。
 結果、少なくとも数年の滞在が起こりうることは確定し、不安が募った。
 
「ちなみに」
 
「んん?」
 
「この地獄では、どんな苦しみが待ち受けているんですか?」
 
 深刻そうな表情の幸助に対し、孝は笑顔を返した。
 
「なーんも」
 
「え?」
 
 地獄は苦しみを受ける物。
 そう考えていた幸助にとって、孝の反応は予想外過ぎた。
 
「少なくとも、私にとってはだけどね」
 
「どういうことですか?」
 
「この叫喚地獄で行うことはただ一つ。親切さ」
 
「親切?」
 
 とても地獄とは結び付かない言葉に、幸助は思わず聞き返す。
 が、そんな幸助の行動さえ、孝にとっては見慣れたもの。
 孝はポケットから一枚のカードを取り出して、幸助に見せる。
 
 全体の色はどす黒く、赤い文字で数字だけが刻まれている、地獄を連想させるカードだ。
 
「君もどこかに、このカードを持っているはずだよ」
 
 孝の言葉に、幸助は全身のポケットに手を突っ込み、後ろポケットで固いカードに触れる。
 カードを取り出してみれば、孝の物と同じ、黒いカードが現れた。
 違いといえば、孝のカードに刻まれた数字が五百を超えているのに対し、幸助のカードに刻まれた数字が十であることだろう。
 
「これはいったい?」
 
「その数字を、私たちは親切ポイントと呼んでいる。人に親切にした回数分だけ増えていく、不思議な数字だ」
 
「数字が、増えていく?」
 
「そう。そして噂では、ポイントを溜めれば上に行けると言われている」
 
 孝はすっと、空を指す。
 天国と地獄の境から地獄に落ちた幸助が、上と聞いて連想するのは一つだった。
 
「天国に!?」
 
「いや、一つ上の地獄だ」
 
「一つ上……。衆合地獄ってことですか?」
 
「おお、詳しいね。そう聞いた」
 
 地獄は、八つの層に分かれるという。
 等活地獄。
 黒縄地獄。
 衆合地獄。
 叫喚地獄。
 大叫喚地獄。
 焦熱地獄。
 大焦熱地獄。
 無間地獄。
 等活地獄は最も地上に近く、無間地獄は最も地上から離れている。
 
 衆合地獄は、叫喚地獄の一つ上の地獄ということだ。
 
「さっきは君を助けた理由を聞かれて、咄嗟に『私も助けられたからさ』なんて気取って答えてしまったが、実のところポイントを手に入れるために君を助けたところもあるんだ。すまないね。本当の善人じゃなくて」
 
 申し訳なさそうに笑う孝の前で、幸助の脳は合理的に整理されていった。
 幸助にとって、無償の愛と言う概念よりも、自分にメリットが発生するため他人を助けるという概念の方が理解しやすかった。
 どころか、一方的に借りを作ったと思った心が軽くなったほどだ。
 
「いえ、それでも感謝しています。貴方の思惑がどうあれ、俺が助かったのは事実ですから」
 
「君は、優しいね。なんで、地獄なんかに落ちちゃったんだか」
 
 地獄とは思えない程、和やかな空気が流れる。
 その理由の一つに、幸助自身が今後の活路を見出し、気持ちが落ち着いたことがある。
 親切ポイントを溜めて地獄の上の階層に行くという、明確な活路を。
 となれば、気になるのは三つである。
 
「いくつか、訊きたいことがあります」
 
「私に答えられることなら」
 
 一つ目。
 
「一定のポイントを溜めれば上に行ける、とおっしゃいましたが、具体的には何ポイントを貯める必要があるかはご存じですか?」
 
「さあねえ。私も、実際に上に行った人間を見たことがあるわけではないからね。ただ、噂では四千ポイントと言われている」
 
「四千……ですか」
 
 親切ポイントは、他人に親切をした回数分増えていく。
 
 幸助は、自分のカードを見る。
 残り、三九九〇ポイント。
 つまり単純に計算すると、三九九〇回の親切が必要という訳だ。
 一日一回の親切でも、十年以上かかる計算。
 一日二回の親切でも、五年以上だ。
 
 幸助は、周囲を見る。
 町だと言われたその場所には、驚くほど人が歩いていなかった。
 そして、孝の数年地獄にいるという言葉と、孝が五百と少しのポイントしか持っていないことを思い出す。
 その事実から、幸助は一日一回の親切もできない可能性があることを教えてくれた。
 
「厳しいな」
 
 幸助は、現実を前に苦しそうにつぶやいた。
 長い長い地獄の生活を前に。
 
 だが、悲観してばかりはいられない。
 時間がかかるにせよ、ゴールはあるのだ。
 幸助は、いったん叫喚地獄を抜けるための建設的な方向へ思考を切った。
 
 二つ目。
 
「ポイントは、減ることもあるんですか?」
 
「ある」
 
「具体的には?」
 
「叫喚地獄のルールを破った時だ。具体的にルールが明かされている訳ではないが、例えば暴力を振るったり、他人の家に勝手に入ったり。まあ、現世の法律で禁止されているような行動をとれば、減点対象になると思っていた方がいい」
 
「なるほど」
 
 具体的に明かされていない減点ルールは、幸助にとって大きなリスクとなった。
 もしも万が一、十ポイントの減点がされるルールが存在し、幸助がそのルールを犯してしまったとしたら、あっという間に幸助のポイントはゼロだ。
 否、百ポイント減点のルール、千ポイント減点のルールがあれば。たとえ数年かけて貯めたポイントが一瞬でゼロになる可能性もはらんでいる。
 
 三つ目。
 
 幸助は、最後の質問を口にした。
 
「もし、ポイントがゼロになったらどうなるんですか?」
 
 ポイントが四千になれば上の地獄。
 では、ポイントがゼロになればどうなるのか。
 
 ある程度の予想を持って、幸助は孝を見た。
 
「……見たほうが速いだろう」
 
 孝はその質問には答えず、幸助を連れて歩き始めた。
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