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叫喚地獄編

第7話 初夜

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「あれも、あそこも、人が住んでいる。地獄の住人は、たいてい一つ、自分の家を持っている。あそこは……。ここ数か月、開いたのを見た覚えがないな。他の町へ引っ越したのか、それともポイントを失ったのか」
 
 孝の家へ向かう道すがら、孝は幸助に町の説明も行っていた。
 が、幸助は未だに先の衝撃が抜けきらず、生返事で応じ続けた。
 孝もまた、幸助のそんな様子を当然として捉えており、家に着くまでの暇つぶしとして説明を続けていた。
 
 常時黒雲に包まれている地獄では、日光や月光によって時間を把握することができない。
 代わりに、町のいたるところに設置された時計が時間を教えてくれる。
 
「ここが、私の家だ」
 
 孝の家に到着した頃は、時計が夕方を示していた。
 孝の家は、幸助が地獄に来て初めて見た家と同様、こじんまりとしていた。
 床に敷かれた布団があるだけの簡素な家。
 
「何もないが、適当に座ってくれ」
 
 孝に促されるまま、幸助は床に座る。
 
 孝は外へ出て、水の注がれたコップを持って帰ってきた。
 
「飲むといい。気晴らしにはなる」
 
 幸助はm目の前に置かれた水を無言で飲み干した。
 緊張が、水分と共に体の奥へと閉じ込められていく。
 
「ぷはっ。ありがとうございます」
 
 飲み干した後は、幸助の気分も多少晴れ、思考が少しだけクリアになる。
 
「ん?」
 
 だから気が付いた。
 何故、ここに水があるのかと。
 孝の家を見渡しても、水道も食器棚もない。
 物理的に、水もグラスも存在しない。
 しかし、目の前には確かに水とグラスがあった。
 
「これは、どこから?」
 
「ああ、グラス拾ったんだよ」
 
「拾った、ですか?」
 
「ああ。一応さっき歩きながら話してたんだが、地獄にはたまにゴミが落ちているから、拾って使ってるんだ。最初に言った通り、地獄は世界が死んでいるから汚れがつかない。落ちてはいるが、綺麗なんだよ。水は、近くの溜まりからちょろっとね。まあ、最初は抵抗があるだろうが、地獄はそういうところだと理解してくれ」
 
「そうなんですね。すみません、何度も説明をさせてしまって」
 
「ああ、いいんだいいんだ。気にしないでくれ」
 
 ゴミで飲まされたことに対し、幸助は多少の嫌悪感を感じはしたが、地獄の常識とはこういうものだと割り切った。
 なにより、孝が幸助のためにやったことである。
 多少我慢してでも、感謝をする方が、場の空気は維持される。
 
「それより、気分転換も兼ねて、現世の話でも教えてくれないか。俺が地獄に落ちたのはだいぶん前でね。今、どんな風になったのか知りたいんだ」
 
 孝はそんな幸助の内心を見抜いていたのか、話題を変える。
 孝の終始穏やかな態度に、幸助は救われていた。
 孝が会話のためだけに作り出した話題さえも、幸助は孝からの気づかいだろうと解釈できた。
 
「ええ。いいですよ」
 
 その気遣いを、幸助はありがたく受け取った。
 他愛のない雑談。
 なんの生産性もない時間が、幸助にとって心地よかった。
 
 地獄に落ちた初日。
 幸助は、命一杯地獄を見た。
 だからだろう。
 緊張のない瞬間が、とても楽しかった。
 
 離していれば、時間が立つのは早いものだ。
 時計が、午後八時を示す。
 
「ピンポンパンポーン。罪人の皆様、本日も労働ご苦労様でした。ただいまより、ポイントの計算を始めます」
 
 突然、空から声が降り注いだ。
 それは、叫喚地獄全てに届く、雷鳴のような声。
 
「? 孝さん、これは?」
 
 孝は雑談を止め、立ち上がる。
 そして、家の扉を開くと、何者かが家の中に入ってきた。
 
 白装束に白い仮面。
 人々が磔に去れていた場所で見かけた白装束の悪魔が、孝の家に入ってきた。
 
 事情が理解できない幸助は、唐突な悪魔の登場に思わず立ち上がり、悪魔から距離をとった。
 しかし、狭い家の中。
 扉側に悪魔がいる今、壁に背を付けるまでが逃げられるせいぜいである。
 
 悪魔は、孝を指差す。
 
「財部孝。人間に親切にした。プラス一ポイント。新人支援ボーナス。プラス三ポイント。地獄の滞在費。マイナス一ポイント。合計プラス三ポイント」
 
 孝の持つカードが光り、カードに刻まれた数字が五百十八から五百二十一へと変わる。
 悪魔は、次に幸助を指差す。
 
 幸助は、今目の前で起こっていることが、孝の言っていた親切ポイントの増減であることがすぐに分かった。
 同時に浮かんだ不信。
 地獄の滞在費というルールを、孝が幸助に教えなかった理由。
 ルールを破った時のみの減点だけでなく、毎日の滞在費としての減点があるのならば、とたんにポイントを維持する何度が跳ね上がるのだから。
 
「善行幸助。人間に親切にされた。マイナス一ポイント。地獄の滞在費。マイナス一ポイント。合計マイナス二ポイント」
 
「なっ!?」
 
 幸助の持つカードが光り、カードに刻まれた数字が十から八へと変わる。
 
「計算終了」
 
 白装束の悪魔は自分の言いたいことを言い終えると、さっさと家を出ていった。
 
「孝さん、これは一体」
 
 幸助からの焦りの質問に、孝は笑った。
 勝者が敗者を見下すような、下卑た笑い。
 
「さあな? 知りたきゃポイントを払いな!」
 
 孝の言葉で、幸助は理解した。
 叫喚地獄は、他人に親切にすることでポイントを増やすゲームではなく、他人に親切にすることでポイントを奪うゲームだと。
 白装束の悪魔の言葉で、孝のポイントが増え、幸助のポイントが減ったのが証明である。
 
 つまり叫喚地獄は、ポイントを増減させる情報を多く持つ者が持たぬ者を食うゲーム。
 
 孝が幸助に親切にしていたのは、たった二つの理由。
 何も知らない幸助から、一ポイントを奪うため。
 そして、新人に親切にすることで発生する、新人ボーナス三ポイントを手に入れるため。
 孝にとって最も美味しい行動をした、それだけの話である。
 
「くそっ!」
 
 幸助は、思わず孝に掴みかかる。
 
「お、暴力か? そいつは減点対象だぜ?」
 
 が、すぐに手を止める。
 暴力による減点の有無も、減点されるポイント数もわからない今、幸助に暴力という手段をとることはできなかった。
 
 残り八ポイント。
 一日一ポイントの滞在費が必要ならば、僅か八日間の寿命。
 
「……助け合いだと」
 
 暴力の代わりに出たのは、負け惜しみだ。
 孝の心の中にあるであろう罪悪感を刺激する言葉。
 
「はは、そんな甘っちょろいことが、地獄で通用するわけねえだろ!」
 
 そのまま孝は、無言で家の外を指差す。
 
「さ、用も済んだし、そろそろお帰り願おう。ここは私の家だからな」
 
 家の外には、人っ子一人いなかった。
 人が少ない、ではなく、ゼロだ。
 代わりに周囲の家の扉から、明かりが漏れていた。
 幸助より先に地獄に住んでいる人々が、夜には外に出ないという選択をとっている事実が、追い出されようとしている幸助の不安を掻き立てた。
 
「家に来いと、言ったじゃないか」
 
「ああ、言った。だが、泊めるなんて一言も言ってない。さあ、帰った帰った。不法滞在で訴えるぞ? そしたら、また減点だ」
 
「……っ!」
 
「あるいは、宿泊費を払ってくれるなら、一泊泊めてやってもいいぞ。そうだなあ、八ポイントで泊めてやろう」
 
 提示されたのは、幸助の命分。
 外に出れば、未知の危険。
 しかし留まれば、ゲームオーバーの確定。
 
「……覚えてろ。この借りは、かならず返してやる」
 
「ははは! お前が生き延びることができたらな」
 
 選択肢など与えられぬまま、幸助は家の外へと出た。
 
 バタンと閉まる扉の音が、夜の町に無情に響いた。
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