お嬢様、お食べなさい

はの

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第19話 天理ラーメン

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 天気は、雲一つない快晴であった。
 鳳凰院家の次期当主である鳳凰院向晴は、まるで一年ぶりに見たかのようなうっとりとした表情で、空を眺めた。
 
 いつもの庭に、いつものテーブル。
 そして、いつものティーカップ。
 向晴は、優雅な仕草でティーカップを持ち上げ、波一つたてぬほど静かに、紅茶を啜ってみせた。
 
「うん。今日もいい味ね」
 
 ほうっと感想を呟き、紅茶が半分なくなったティーカップを、ゆっくりとソーサーへと戻す。
 
 その背後を、何の変哲もない鹿がダッシュで通り過ぎた。
 
「いやー!? 鹿ー!?」
 
 鳳凰院家の屋敷の庭には厳重な警備が敷かれており、不審者を指一本たりとも迎え入れることはない。
 野良犬も野良猫も、近づいた瞬間追い払われる。
 まして鹿など、侵入されることはありえない。
 
 驚きのあまり両手を上げ、空へ投げ捨ててしまったティーカップが、空中で回転しながら弧を描く。
 そして、弧を描いたカップは、鹿の後をついていくように歩く執事――のび田によってキャッチされた。
 
「危ないですよ。お嬢様」
 
「ふえ!?」
 
「しかのこしかのこしかのここー。しかのこしかのこしかのここー」
 
 のび田はキャッチしたソーサーの上にティーカップを乗せ、肩の高さでティーカップを持った。
 鹿を追って歩く姿は、まさに高級レストランのウエイター。
 向晴同様、カップ内の紅茶を僅かも波打たしたりせず、優雅に歩いていく。
 しいて高級レストランにそぐわないとすれば、鹿の角のカチューシャをつけていることだろう。
 
「しかのこしかのこしかのここー。しかのこしかのこしかのここー」
 
 のび田は楽しげに歌いながら、向晴の元から去っていった。
 
 向晴は去っていくのび田の背中を見ながら、ティーカップのなくなったテーブルを見つめていた。
 
「何あれええええ!? 恐あああああい!? 爺やあああああ!?」
 
 正気に戻った向晴は、執事長である兆老を呼ぶ。
 のび田の奇行に対し、向晴は自力で対処するキャパをとっくにオーバーしていた。
 
「お呼びですかお嬢様!」
 
「爺や!」
 
 向晴の叫びに兆老はすぐさま応え、向晴の元へとやって来た。
 鹿のカチューシャをつけた状態で、鹿に乗ってやって来た。
 
「しかのこしかのこしかのここー。しかのこしかのこしかのここー」
 
 そして、向晴を元気づけるように、のび田が歌っていた歌と同じ歌を歌い始めた。
 
「はあ……」
 
 再びの鹿を前に、向晴のまとも人間メーターが振り切れて、向晴はその場で気を失った。
 
「お嬢様あああああああああ!?」
 
 残されたのは、焦る兆老と一匹の鹿だった。
 
 
 
 
 
 
「さあ、言い訳があるなら聞きますわよ?」
 
 向晴は額に冷却ジェルシートを貼り、自室のベッドに座っていた。
 その前に正座をしているのが、のび田と兆老の二人である。
 シュンと落ち込んだ表情で、全身で反省をしめすよううつ向いている。
 
 さらにのび田と兆老の横には、二匹の鹿が立っていた。
 
「ピャッ!」
 
「キャーッ!」
 
 鹿たちも、思い思いの鳴き声を上げている。
 反省の念が込められているのかは鹿にしかわからない。
 
「もうええわー!!」
 
 向晴が立ち上がって枕を投げつけると、驚いた鹿二匹は、急いで向晴の部屋から出ていった。
 
「はあ」
 
 向晴が再びベッドに座り、のび田と兆老を睨みつける。
 
「で、どういうことですか?」
 
 二人はびくりと背を震わせて、のび田が重い口を開き始める。
 
「実は、お嬢様に食べていただきたい料理がございまして」
 
「続けて?」
 
「その店が、奈良県にあるんですよ」
 
「それで?」
 
「奈良県には、鹿がたくさんいます。ですので、奈良県に向かう前にお嬢様には鹿に慣れていただこうと思いまして」
 
「鹿に慣れてもらうために、庭に鹿を放つ馬鹿がどこにいますかー!?」
 
「ここにいます!」
 
「いたわね!?」
 
 向晴は再び立ち上がり、視線を兆老へと向ける。
 のび田は所詮やとわれの執事だ。
 向晴の常識外の行動をすることなど、織り込み済み。
 
 故に、のび田の行動を本来止める役割を持つ兆老へと、怒りの矛先が映った。
 
「爺や!?」
 
「はい!」
 
 向晴からの叱責に、兆老は背筋をさらにぴんと伸ばす。
 
「貴方がいながら、どうして止められなかったの!?」
 
「申し訳ありません。私も奈良県という土地に不勉強なものでして、彼に奈良県を勉強するための動画を訊いたのです」
 
「それで?」
 
「それで、鹿の出てくるアニメを紹介されまして。昨日夜通しで見たら、こんなことに」
 
「まず、アニメの時点で疑いなさいよ!」
 
「おっしゃる通りです」
 
 向晴は怒る気力さえ失くし、倒れるようにベッドへ座った。
 しばらく頭を押さえるも、起きた現実は変わらない。
 心の広い向晴は二人を許し、本題へ進むことにした。
 
「で、奈良県にある料理を食べるんでしたっけ?」
 
 向晴の言葉に、のび田と兆老が顔を上げる。
 怒りを含みつつも、会議中に相手の意見を聞く時と同じ表情となっている向晴を見て、二人は許されたと判断した。
 であれば、やるべきことは一つ。
 向晴の怒りを乗り越えるくらい、向晴を喜ばせる提案だ。
 
「はい、お嬢様! お嬢様に食べていただきたいのはずばり、『天理ラーメン』で御座います!」
 
「ラーメン?」
 
 しかし、のび田の笑顔とは裏腹に、向晴の表情はむしろ曇った。
 
「ど、どうしましたかお嬢様? もしかして、ラーメンはお嫌いですか?」
 
「ラーメンって、安い庶民の食べ物でしょう? この私の高貴な舌を満足させられるとは、とても思わないんだけど」
 
 ラーメンとは、一杯あたりの値段が低く抑えられている食べ物だ。
 高級街に店を構えるよりも、ビジネス街を中心とした、お財布の厳しい人々が集まる場所に構えることが多い。
 故に、向晴の心配はもっともだ。
 
 向晴はいつだって、高級街と共に生きて来た。
 
「お嬢様、わかっておりませんね」
 
 そんな向晴の態度に、のび田は溜息を零す。
 
「なにがよ?」
 
「確かにラーメンとは庶民の食べ物に思えるでしょう。ところがどっこい、日本で初めてラーメンを食べたのは水戸光圀。江戸幕府初代将軍である徳川家康の孫。つまり、お嬢様同様、高貴な舌を持った方が食べられた料理なのです!」
 
「へえ」
 
 向晴の目が、ぎらりと光る。
 向晴の好きな言葉は、高貴だ。
 ラーメンという下に見ていた料理が好機というのであれば、向晴の見る目は当然変わる。
 
 ベッドから立ち上がった向晴は、コートを手に取り、部屋の外へと歩いて向かう。
 
「そんなに高貴なのでしたら、よろしい食べて差し上げましょう!」
 
 舞台は、現在の都である東京都からかつての都である奈良県へ。
 
 鹿たちは、相変わらず庭を走り回っていた。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

杏樹まじゅ
2024.01.01 杏樹まじゅ

高貴で圧倒的な権力を持ったお嬢様の描写が丁寧で、こちらもゴクリと唾を飲んでしまいます。緊迫感のある文章作りのセンスが光ります❣️続きも読みますね✨
まじゅ(@majumajumajurin)より

2024.01.02 はの

まじゅさん、感想ありがとうございますー。描写が丁寧と言っていただけて嬉しいですー。

解除

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