緩やかな関係

M-kajii2020b

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第5話 重水

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僕達の新居での暮らしが始まる少し前に、とある事件に、ヤスベーと僕は巻き込まれる羽目になってしまっていた。事の発端は、教授の依頼物からである。依頼品の分析も終わり、教授に報告した数日後、研究室に警視庁外事課の刑事さん二人が訪ねて来た。僕の分析結果が既に報告されているらしく、依頼物の内容についての詳細は理解している様であったが、一寸聞き慣れない部署の刑事さんを目の前にして、僕は少し緊張していた。

「あのー、KGBとは関係無いですよね。」

僕は変な切り出し方で、二人との用件を始める事となった。

「はい、関係ありません。今の所は、それに、その組織は現在、名目的には消滅しております。」外事課の杉山さんが答えた。確か、警察の身分証明書には警部と有った様な気がしたが、まだ若そうな風貌であった。

「留学時代に何か接触でも?」そう尋ねてきたのは、黒いスーツを来たショートカットの髪をした、芳山さんと言う女性刑事だった。

「接触と言う訳では有りませんが、多かれ少なかれ、見張られていましたからね。何処からか。」

「山本さんの事は、三木本教授からも一応お伺いしておりますが、職務柄当方でも調査させて頂きました。」

「はあ、それなら話しが早いです。それで、ご用件は、教授からの依頼品についてですか

?」

「端的に言うとその通りです。」

「では、何からお話ししましょうか?」僕が切り返すと

「私はどうも、物理や科学技術について詳しくないので、この度は科捜研出の芳山を連れてきた訳なのです。」

「山本先生の論文は幾つか拝見させて頂いております。」芳山さんは何処かで聞き覚えの有る言い回しで付け加えた。

「はあ、先生は一寸!」

「では、本題に入らせて頂きますが、依頼品は分析の結果重水との結論ですが。」

「はい、しかも正確には三重水素水、外見は水です。それも純度が100%に限りなく近い物です。」

「それの意味する所は、どの様な事に成りますかね。」杉山警部が思慮深く尋ねて来た。

「まあ重水は、自然界の水の中にppm、百万分の一単位で存在していますが、三重水素となると一万兆分の一と言う、まあ普通、存在しない割合の物質です。通常三重水素、トリチウムと言いますが、人工的にしか作られない、原子炉などから放出される中性子を用いて作られます。」

「トリチウムは、水爆の原料と聞いていますが。」

「ええ、核融合の燃料に成ります。まあ水爆となると、トリチウムだけあっても、直ぐには作れませんけどね。起爆剤の熱核爆弾、原爆ですね、それに大規模な研究設備でも無い限り組み上げられない。それは国家レベルの事業でしょうね。」

「仮に何処かの国に、この物質が集められているとしたら・・・」その言葉を制すかの様に、杉山警部が口を挟んだ。

「あくまで仮定の話です。」

「そうですね、でもそんな動きがあれば、それこそ崩壊したKGBやCIAの世界の話しですね。実はトリチウムは少量なら結構身近な所で使われていますよ。」

「ええ、それは!」

「トリチウムは、一種の放射性物質でβ崩壊し電子を放出します。この電子を使い、蛍光剤を光らす事が出来ます。つまり無電源ライトなんかにも使われてます。それに一部のセンサーなんかにも使われていますね。」

「では、山本さんはこの件については、事件性は薄いとう考えですか。」

「先ほど説明した様に、兵器転用を考えたら、国際機関の何処かの監視に引っかかるでしょう。仮にテロリストの手に渡ったとしても、水爆にするまでには大変手間が掛かるでしょうし。・・・ただ一寸気になるのが、純度の問題です。」

「純度?」

「ハッキリ言って、100%恐らく、99.999・・で9を二三十個つけた位の高純度です。これ程の純度の三重水素水を作った目的と、その技術については理解出来ない。」芳山刑事は、僕の話に対して、

「原子炉に重水炉と言うのが有りますよね。そのために使う目的とか。」

「確かに、重水炉に使えますが、別に三重水素水で無くても言い訳で、重水で十分だし、その方がよっぽど手に入りやすい。まあ、何トンと言うオーダーですけど。あと、核融合炉の燃料としても良いですね。運転している炉があればですけどね。所で、この物質はどんな経緯で、手に入ったんですか、差し支え無い範囲で教えて頂ければ、何かのヒントに成るかもしれませんね、僕の疑問の。」杉山警部は隣りの芳山刑事をチラッと見てから

「なぜ、外事課の我々が山本さんに会いに来たのかでお察し頂けるかもしれませんが、とある外国人、しかもかなり高貴なお方と言って置きましょう、その方の持ち物だったのです。ただその方はある事件で亡くなられてしまった。」

「まさか、この水を飲んだんじゃ無いでしょうね?三重水素は放射性物質で、まあ大気中なら数センチ離れれば無害ですが、うっかり飲むと体内被曝しますから。」

「死因は、事故による心臓麻痺です。彼等にとってこの水は、一種の聖水の様な物みたいですね。」

「聖水!教会で使う?」

「正確には『光る水』と言われ、決して容器から取り出す事は無いそうです。」

「ほー、ではある程度性質を知った上で扱っていると言う事ですね。」暫く間を置いてから僕は続けた。

「もし、その人達が聖なる水として管理しているとすれば、随分古い物ですよね。」

「恐らく・・・」

「三重水素の半減期は十二年程です。ですから古い物なら崩壊後の物質であるヘリウムが出てきて良いはずなんだが。依頼品は、先ほど言った様に高純度でした。ごく最近作られたか精製された物の様に。」

刑事さん達との会話は、あえてそうして居るのかも知れないが核心に触れることなく終わっていた。そんな中僕は、ある伝説を思い起こしていた。
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