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2「デート」

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 空が広く、青い。秋よりは天が下がってきているがが、冬の空も十分に尊大で重苦しい。
 鳥がさえずり、雲がゆっくりと流れていく。平和な時間にあくびが出そうになる。のどかなのは構わないが、これが初デートでいいのかとアオはぼんやりと考えた。

「……」
「綺麗だね、アオくん」
「綺麗だけどさ、朝っぱらからこのチョイスなんなの?こういうのは、場が盛り上がってから、おまけの一押しに使うものでしょ?」
「まあ、最初に2人きりになって、距離を確かめようと思ったんじゃないかな?」
「ダブルデートは偽装って事だね。マキは、トキオがそんな所まで考えてると思う?」
「いや……目に付いたモノに乗ってみただけだと思う」

 現在、アオとマキが居るのは湖の上。勿論、泳いでいる訳ではなく、スワンボートに搭乗中である。
 遊園地に入って最初にトキオが選んだのが、乗り物やアトラクション系ではなく、このスワンボートだった。ボートは2人乗りで、来て早々にトキオ、アカネ組とアオ、マキ組に分かれる事となった。

 湖は呆れる程大きく、張り切って漕いでいたトキオ組は、すぐに青たちの視界から消えてしまった。湖面には幾つか白鳥が泳いでいるが、そのどれがトキオ達かはもう分からない。

「いいけどね。俺はマキとのデートを楽しむから」
「デ、デートって……!」
「嫌?」
「嫌じゃない!嫌じゃない!アオくんこそ、嫌じゃないの?私みたいな地味な子」
「地味かな?」
「アカネちゃんが凄く人気あるから、私なんて自信持てないよ。トキオくんが告白したのだって、当然だって思うし」
「でも、アカネはあんまり浮いた話なかったよね」
「美人過ぎて高嶺の花だろうし、『恋愛興味ないです』オーラもあるからじゃない?」
「それは確かにあるね。家が探偵事務所らしくて、手伝いで忙しいらしいから、今は遠慮なのかな」

 アオが言うと、マキは言い難そうに返した。

「後、なんというか、好意を理解しにくい的な印象もあるの。上手く言えないけど、ちょっと子供というか……基本的には、私より全然しっかりしてるんだけどね」
「言いたい事は分かるよ。無痛症っていうの?普通の人は、怪我をしたら痛みを感じて『痛い』って口にするけど、
アカネの場合は怪我をして、血が出てるのを目視して、そしたら、痛いって言うべきだから『痛い』と口にしてる。そんな感じ」
「直接的じゃないって事?」
「うん。同様に、好意を受けたから反応するんじゃなくて、好意に反応すべきだから反応するタイプ。だから班のすべき好意でない限りは、ノーリアクションなんだ、アカネは」
「落ち着いてて、大人な感じだと思うけど」
「もう少し根が深い問題だと思うよ」

 いや、根が深いとか変わってるとか、そう言うレベルの話ではない。
 
 ――アオは見ているのだ。

 アカネが同級生を喰っているところを。
 鬼の形相で、目撃者である自分を追ってくるのを。

 ――殺されると思った。

 いや、捕まっていれば、実際に殺されていただろう。しかもあの追跡は『見られたくないモノを見られたなら、目撃者は消さなくてはならない』という規範だけの口封じだった。
 すべきことだからするというだけで、そこに交渉の余地は存在しない。
 『そう決まっているから』なんて説明しても笑われるだろうが、『契約は命よりも重い』と言えば、たいていの人は事の重大さに気が付くだろう。

(映画でそう言ってた……そんなアホな理由が、あの化け物を動かしてる)

 あの行動力は理解不能で、同時に機械的に理解できてしまう。やらねばならないから、アカネは動くのだ。そこに執念や打算は存在せず、理念や指標なんてとんでもない。
 学校では人を襲わないルールがあるから、学校ではアオを襲わない。放課後は襲っていいルールだから、アオを襲う。根拠なんて存在しない、アカネだけが知るアカネの環境。

(……気持ち悪いんだよね)

 真に恐ろしいのは、夜に出会えば確実な殺意を示すだろうに、学校では笑い掛けてくる歪さ。アカネを形作る無邪気さの集合体こそが、人間らしさの欠如だ。
 今時は子供だって嘘を吐く。なんだったら犬だって人を謀る。天真爛漫な生き物なんて存在しない。全ては知性を以て未熟な偏見を形作り、世界から流れ来る感情に、過去からの連続性という補正を掛ける。

 だと言うのに、全くの先入観無しにケース・オア・ケースで行動する無垢なアカネは、恐怖を湧き立たせる異形だ。環境が変われば前の環境の事など我知らずと、連続性の無い次の行動を始める。
 恐らく中庭での会話で、アオとアカネの環境は変わっているだろう。『アオが自分の秘密を目撃していない環境』への反応として、学校での襲撃は無くなっている筈なのである。夜の襲撃が続いているのは、学校外の環境が何一つ変わっていないからに他ならない。
 実に無邪気な生物。その在り方には、命を狙われるより強い不快感を覚える。

「あまり関わるべきでない人種だよ。アカネは」
「そ…そういう言い方は良くないと思うよ」

 アオの言葉に、マキの声が弾んだ気がした。

「マキも友達面する事ないよ。知ってるでしょ?最近アカネが虐められた……というか、嫌がらせを受けたの」
「ああ、あれ酷いよね」
「……アカネの下着が盗まれたらしいね」
「下着?そんな……」

 マキは驚いた顔をする。
 ただそれは、イジメを受けている友だちにする顔ではなかった。

「そんな指示はしてないよね。やったのは制服に牛乳掛けろって程度のことでしょ。下着はあいつ等が勝手にやっただけ」
「……」

 アオが口にすると、マキは形容しがたい表情になった。アオは言葉を間違えないように、追及している訳ではないと伝える。
 今日一日はマキに一緒にいて貰わないと困る。アカネと二人きりになってしまったら、アオは殺されてしまう危険性があるのだから。ボディーガード代わりと言ったところか。

「別に俺が怒る事じゃないし。止めてやれとも思わないよ。止めときなとは思うけど。分からないのは、なんで嫌がらせをしたのかだよ」
「言い繕っても無駄だよね」
「無駄。印象が悪くなるだけ」

 マキはそっかと呟いて、水面に視線を流した。
 何を言うでもなく、どことなく穏やかな息を吐く。

「マキはアカネとトキオを付き合わせたいみたいな言動だけど、嫌がらせなんて、どうして逆の事をしたのさ?」
「逆じゃないよ。『トキオくんのファンから嫉妬されてるよ』って事にして、トキオくんの価値を高めて。二人を付き合わせようとしたの」
「ややこしい事するね」
「そうでもしないと、トキオくんに彼氏としての価値ないし」
「酷い言われようだね。否定は…どうしよっかな」
「あはは。否定してあげなよ」

 マキは吹っ切れた様に笑った。

「でも冷静に考えたら、嫉妬してたのは、私の方かな」
「トキオに告白されてるのが?」
「そうだけど、トキオくんは関係ないの。皆の目の前で告白されるなんて、ドラマチックじゃない。アカネちゃんだけそういう事があるのが羨ましかった……んだと思う」
「分かるけどね。俺も地味だし、女子になんてモテないし」
「そ、そんなことないよ!アオくんはカッコいいし、人気あるよ!…………というか、人気あるじゃない」

 何を思い出したのか、急にマキのトーンが低くなる。このマキの反応はアオを落胆させるものであった。

「人気ねぇ……俺だってドラマチックに、色んな人から告白されて、誰と付き合おうか悩むぐらいモテモテってのには憧れる」
「そう言う場合、私を選ばないで欲しいな」
「なんで?女の子って、人気のある男子の方が彼氏にしたいものなんじゃないの?」
「私は、私を好きになってくれる人が彼氏が良いな……誰かと私を比べてどっちと付き合うか悩むのって、要するに私を好きじゃないんだもの」
「確かに。そういうのって沢山の人に好かれたいんじゃなくて、モテてるって環境に身を置きたいだけなのかも」

 アオの持論は、『人間は哲学的なゾンビにして、世界からの反応だけで動いている』というモノである。つまり人間の内に感情は存在しないと考える。逆に言えば、環境さえ整えてやれば人は操れるだろう。難しい事ではない。盗難癖のある奴の目の前に、無防備に財布を置いてやれば、そいつは財布を盗むだろうと言う話。
 同じ様にして環境を整えてマキを操ろうと画策していたが、マキの環境はアオが予想していた以上に拗れているらしい。

(残念だね。マキもアカネ程じゃないけど十分狂ってるから、慎重にやればもっと使えると思ったけど)

 アオは狂気は2種類存在すると豪語する。マキのように人と同じモノを目にしても、人と明らかに違う反応をする狂気と、アカネの様に環境に連続性が無く、目の前の場面に反射のみで動く狂気。
 つまりはマキとアカネは、真逆の狂気と言えよう。環境の物理的連続性の両端を狂気と呼ぶのならば、正気はその真ん中だろうか?
 
 その問いに対するアオの返答は『存在しない』である。
 物事に拘りがあれば発達障害と言われ、拘りがなければ学習障害と呼ばれるこの世の中。全てのモノは病気と判断され得るし、狂気と診断される可能性を持つ。故に両極の中間範囲に必死に留まって受診を後回しにし、診断を受けぬままに人生を終えた者のみを正気と呼ぶのだ。

(なんて、現実逃避は止めよう。そろそろ、あの2人を探さないと)

 アオはマキから視線を外して湖を見渡す。
 かなりしっかり探してみたが、礼服とジャージを着た珍妙なカップルは、どのスワンボートにも見当たらなかった。

「いない?あいつら沈没したのか?」
「アカネちゃん探してるの?」
「さすがに合流しないとと思ってね」
「あそこじゃない?」

 アオの独り言に、マキが反応する。
 マキが指を指したのは湖の上ではなく、向こう岸の陸地だった。

「居た!あいつら、岸に上がってるじゃないか………え?」
 
 やっと2人を見付けたものの、目にした光景は信じがたいモノであった。
 岸辺に立つ男女の内の礼服を着た男が、ジャージの女を蹴り飛ばしたのだ。そして転んだ女を、これでもかと殴り続けている。

「何がどうなってるのさ!」
「あ、あれどうなってるの?」
「マキは、ここにいて!」

 アオは気が付いたらボートを近くの岸に着け、現場に向かって走り始めていた。
 しかし現場に着くには、湖を大回りしなければならない。アカネが殴られ続けている光景と、騒ぎになり始めている現状を遠くに見ながら、辿り着けない歯痒さに唇を噛む。
 
 自分は何を必死になっているのかと舌打ちするが、あの光景を見たら走らざるを得なかったのだと納得するしかなかった。
 と、衆目を集める黒い二人の間に、白い誰かが割って入るのが見えた。

「あの白いスーツは……白崎ハガネ?」

 白崎ハガネと見られる人物が、必死でアカネを助けようとしている風に見えた。
何故彼がここに現れたのかは分からない。追跡している事件の犯人だと疑っているアオを監視していたのか?それとも、化け物であるアカネを監督していたのか?
 どちらの理由も間違いでないだろうが、核心ではない事を昨日スイに教わっている。

「……俺だって死にたくないんだよ」

 スイからの提案は『秘密兵器』を使って、ハガネを脅迫しろというものだった。その効果には疑念の余地があったが、ハガネの異常な行動を目の当りにした以上は無下にできない。

「ごめんよ、俺の正義感。自分自身で過大評価してたみたいだ」

 アカネとトキオを助けようと、アオが走り出したのは嘘ではなかった。今も早く現場に着いて、2人のためにも事態を収めたい気持ちはある。
 ただ閉ざされた未来が、他人の不幸によって開くなら。人を慮る気持ちを、無関心の炉に放り投げてしまうくらいいいだろう。

「これは決して道徳への裏切りじゃない。そういう環境が整っただけの話だ」

 呪文のように自分に言い聞かせ、望む未来を想い描く。
 懐からスイに預かったモノを取り出すと、揉み合う2人に近付いていった。
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