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終章
183:俺の居場所
しおりを挟む「俺との赤ちゃんが欲しい?
イクスは望んでくれるのか?」
絡み合った指に力が籠められ、
熱い瞳で見つめられる。
「う、うん、そうなんだけど」
欲しいのは、欲しい。
嘘じゃない。
でも、ちょっと待って。
空気が変だ。
「あの、あのね」
大きな手が俺の指を離して
優しく頬を包み込む。
ゆっくりと唇が重なった。
少し触れただけ。
でも、痺れるような感覚がした。
だって。
俺はずっと……
俺は自分から手を伸ばし、
ヴィンセントの首にしがみついた。
だって。
「イクス?」
甘い空気が掻き消される。
でも意図したわけじゃない。
甘い空気に焦ったけれど、
でも、キスされて嬉しかったし
このまま流されてもいいかも、
みたいな気持ちもあった。
でも。
「何故……泣く?」
俺の目から涙が出てきて
止まらなかった。
ヴィンセントの戸惑う顔が
目の端に映る。
俺だって戸惑っている。
何を泣いてんだって。
あの可愛い前世妹との別れだって
俺は納得しているし、
もう前世に未練はない。
なのに。
だって。
「うえぇ」
嗚咽が漏れた。
ヴィンセントにしがみついたら
大きな腕が俺を抱き上げ
膝に乗せてくれる。
だって。
安心したんだ。
帰って来たって。
前世妹に会えて嬉しかった。
甥っ子も可愛かった。
もし俺が前世で死ななかったら、
俺はこうやって妹と甥っ子と
楽しく生きていたかもしれない、
なんて思ったりもした。
でもやっぱり俺の家族は、
もう前世妹ではなくて。
あの世界で、前世妹が
甥っ子を抱っこして
ダンナの話をするたびに
俺はヴィンセントのことを思い出した。
前世妹が俺の話を聞きたがった時も
真っ先に出てくるのは
ヴィンセントの話だった。
妹は可愛い。
甥っ子も可愛い。
でも俺の生きる場所は
やはりここじゃないと、
そう感じていた。
それに。
帰ってきて、ヴィンセントに
抱き上げられたとき。
俺は安心したんだ。
ここは俺が甘えられる場所だって。
甥っ子の世話が嫌だったわけじゃない。
でも数時間置きのミルクは大変だった。
最初のうちは妹も病んでる状態だったから
とにかく寝かせて、栄養のあるものを食べさせた。
最初の1週間ぐらいは
甥っ子の面倒は俺が育児書を
読みながらこなして、
妹の体調を整えることを優先したのだ。
最初にそれをしてしまったせいで
前世妹は急に『母』から
『妹』にシフトチェンジしてきた。
俺は家事を一手に引き受けた。
前世妹の食事も俺が作ったし、
甥っ子の世話も積極的にした。
前世妹に頼られて嬉しかったってのもある。
食材なんかはネットスーパーで
注文すればよかったから
買い物をするために外に出る必要もなかった。
イクス姿の俺が外に出歩くのは
噂になりそうでNGだったが、
そう言う意味ではあの世界は
かなり便利で整った環境だった。
そのおかげで前世妹は元気になり
ネットの貸衣装屋でイクスの服を
どんどん借りて喜ぶぐらいには
回復をした。
良いこと尽くめで良かったんだ。
でも。
俺は、そんな日々を受け入れてたし
俺が兄だったから。
それは当たり前だと認識していたけれど。
ヴィンセントに抱っこされて
思い出してしまったんだ。
俺は甘えて良い存在だったって。
ここでは、俺には兄がいて、
俺は甘えていいんだって。
ほんとは。
数時間おきにミルクを作るのは
大変だった。
夜中、泣き止まない甥っ子に
どうしていいかわからず
泣きたくなった。
妹を起こすこともできず、
甥っ子を抱っこして
ひたすら部屋の中をぐるぐる
何時間も歩いたことだってある。
嫌だったんじゃない。
でも「こんあことがあって
大変だったんだぜ」
笑って言える場所が欲しかった。
あの世界でそんなことを言ったら
妹が俺を頼れないと思ったから。
俺がこいつを守らないと
どうするんだ、って思ったから。
俺は、頑張ったんだ。
辛い、眠たい、しんどい、って
ほんとは言いたかった。
甥っ子は可愛かったけれど、
肉体的な辛さは別で。
でも言えなくて。
押さえ込むしかなくて。
しんどい、なんて言ったら
俺の可愛い妹と甥っ子を
俺が疎んでいると思われそうで。
だから我慢して。
笑顔を作って。
可愛い俺の妹を安心させるように。
きっと最後だから。
「お兄ちゃんはやっぱり
私のお兄ちゃんだ」って言って
笑ってくれるように。
俺は必死で……。
ヴィンセントは俺の嗚咽まみれの
よくわからない告白を
じっと聞いてくれた。
膝の上に乗せて、
片手で俺の背中を支え、
もう片方の手で俺の髪を撫でる。
過呼吸になるのでは?
と思えるぐらい最初、
俺は泣いてしまったけれど。
吐き出しているうちに
だんだん落ち着いてきた。
顔がぐしょぐしょに濡れていたけど
俺は気にせずにヴィンセントの
首に回していた腕を解く。
そしてそのまま
ヴィンセントのシャツに顔を押し付けた。
涙も鼻水もヴィンセントの
シャツに吸い込まれるが
俺は気にしない。
だってずっとこうしてきたから。
そしてヴィンセントはそれを
ちゃんと受け入れてくれるんだ。
ほらな。
背中をゆっくりと撫でられる。
俺はシャツで顔をぐりぐりしても
優しい手つきはかわらない。
「……好き」
もうそれ以外の言葉はない。
「好き、大好き」
俺はぎゅーとしがみつく。
「ここがいい。
この場所で、生きていきたい」
あったかくて大きな腕の中で。
俺の居場所はここだ、って思う。
前世妹も甥っ子も可愛いけれど。
俺の居場所は、ここなんだ。
俺の言葉にヴィンセントの
腕の力が強くなったけど。
俺はますます安心して、
ヴィンセントにすり寄って目を閉じた。
安心したら急に眠気が襲って来た。
だってさ。
あっちの世界では、3時間以上
まとまって寝たことがなかったから。
しかも寝るのはリビングの
ソファーかベビーベットの近くの
床の上だったし。
だから、ちょっとだけ。
俺はあくびをして
「ちょっとだけ」と呟く。
それからすぐに
眠りに落ちてしまったので
俺はヴィンセントが
とても愛おしそうに
俺を見ていることに気が付かなかった。
きっと気が付いたら、
その優しい顔に、
また恋に落ちていたと思う。
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