名神累人のとある日常

桜部ヤスキ

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1年生編

仰げば青し

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 卒業式の思い出は何ですか。

 そう質問されたとして、特にないと俺は答えるだろう。
 小学生時代なんてもう覚えてないし、1年前の中学の時はその後に起こった出来事のおかげでほぼ記憶から消えている。実際卒業証書が自宅にあるわけだから出席したんだろうという程度の把握でしかない。
 あの日、もし父さんが仕事を休めて卒業式に来てくれていたら、高校の入学式も大学への門出も祝ってくれたんだろうか。
 あぁ、だめだ。そういうもしもの妄想をしても不毛なだけだって分かってるだろ。いいから集中しろ集中。
 楽器を構え直し、腹に空気を入れて大きく吐き出す。
 体育館中に響き渡る合奏音。それに負けじと張り合う拍手喝采。大音量とそれなりの祝賀ムードに包まれながら退場していく生徒の列。
 東が丘高校、四十何回目だかの卒業式は無事終了した。在校生としての出席は2年生だけなのだが、演奏担当の吹奏楽部は例外だった。長い入場行進曲を演奏して、長い式典の間ひたすら眠気と闘って、また長い退場曲を奏でる。これは確か数年前の映画のエンディングテーマで、タイトルの英語は旅立ち的な意味だったはず。
 感覚的に6回目のリピートに入ったところで指揮者が手を下ろし、総員撤収。作業自体はもう慣れたものだが、全身に液体のりがくっついているのかというくらいだるい。
 早朝集合が疲労の溜まった体に追い打ちをかけたのもあるが、3月初頭は定期試験日程のど真ん中、かつ定演本番の数週間前。2つの重圧に挟まれてすでに精神も大方やられている。今朝に至っては起きがけに母親にかけた第一声が「ただいま」だった。就寝中に俺の意識は一体どこへ出かけていたんだろうか。
 式の後3年生の各教室でHRが行われ、その後は校内中で最後の思い出作りが始まった。俺達吹奏楽部も各パートの先輩方とお別れ会を行った。とは言え2年生の先輩と比べて3年生との交流が圧倒的になかったため、部活の思い出話や受験のアドバイスに1年生勢は何となく相槌を打っていた。
 来月になると、後輩が入学してきて俺達は先輩、部活の主体となる学年に上がるんだ。そう考えると今から不安が募ってくる。先輩相手は特に抵抗なく接せられるのだが、後輩となると途端に距離感が分からなくなる。偉そうな態度になってもだめだし、かと言って妙に馴れ馴れしくなるのもよくない。いい具合の中間はどこだと中学時代に度々悩んだ記憶がある。
 長話と写真撮影を終え、音楽室に戻るべく北棟の東階段を上る。校舎の側面に位置し、マンションの外階段と同じ構造のため外の景色がよく見える。

 3階にたどり着き、その先の踊り場を見上げると、1人の生徒がいた。卒業証書を手に、縁に肘をかけ奥のグラウンドを眺めている。春風と言うにはまだ少し冷たい風が吹いて、銀色の髪を揺らす。

 妙に卒業ムードとはかけ離れたように見えるその一角を前に思わず足を止めるが、迂回するのも億劫なため、仕方なくそのまま進む。
「お疲れ様。いい演奏だったよ」
 ちょうど踊り場に着いたところで生徒が振り返る。相変わらず浮世離れした雰囲気と、自然と距離を置きたくなるような端麗な容姿。
「それはどうも。あんたは一人で感傷に浸りたい質なんだな、桐塚」
「最後だからとクラスや下級生からのアプローチがすごくてね。途中で退散させてもらった。君こそわざわざ僕を祝いにきてくれたのかな」
「誰が何だって?」
「はは、冗談だよ。君は本当に露骨に嫌そうな顔をするんだね」
 と、涼しげな表情で笑う。
 俺は到底好印象は持てないが、成績とか人当たりとか学校の生徒としては結構評判がいいらしい。表と裏をうまく使い分けているということなんだろうか。
「名神君。せっかくだから少し話さない?学校で君と会うのはこれで最後だろうから」
「そういうのが嫌で避難してきたんじゃないのか」
「高校の思い出話はね。だから、今度は専門的な話題にしようか」
「はぁ…………俺は別に専門家じゃないぞ」
 溜め息を吐きつつそばの壁に寄りかかる。無視して立ち去ってもよかったが、最後なら聞くだけ聞いてやってもいいという気になった。
「そうは言っても、君と僕の思い出話ではあるか。最初に出会った時からずっと、会話することと言えば呪いについてばかりだったわけだし」
「思い出って言い方やめろ。あんな忌まわしい記憶さっさと消去したいくらいだ」
「じゃあ消す?自分自身に忘却を施すくらい、経験済みの君なら簡単にできるだろう」
「その話をするなら俺は帰るぞ」
「何を怒ってるの。別におかしいことじゃないだろう。辛いことや悲しいことから逃げようとするのは人間の自然な心理だ」
「前にも言ったけど、逃げた後には必ず後悔がついて回る。俺はそれをよく知っているし、あんただって分かってるんじゃないのか、桐塚」
「どういう意味?」
「緋沙奈のこと」
 途端、桐塚の表情に薄っすらと影が差す。
「勝手なことを言うけど、あんたが家を出た時、多分あんたなりの事情があった。でもそれは結果的に緋沙奈を傷つけた。それが年末の神社での出来事を引き起こすに至った。あんたがあの時来てくれたのは、緋沙奈に対して後悔があったからじゃないのか」
「…………本当に、勝手なことを言うね」
 冷たい水晶のような瞳は、当てのない虚空を見つめている。
「あの時神社に行ったのは、僕が直接出向いて対処するのが最も効率的で迅速な解決方法だと考えたからだ。無鉄砲な君と一夜君ではきっと呪いに飲み込まれるのがおちだろう。だからあれは後悔じゃない。……だって、どうすればいいのか分からなかった自分に、後になって悔いを抱いても仕方ないだろう」
「……それって」
「言い訳になるんだろうけど、自分のことで精一杯だった。誰にも助けられることのない生活の中で、どうやったら他人を助けようという精神が生み出されると思う。結果として命は救えても、結局はただのその場しのぎで根本の解決にはなってない。一度失敗すれば全てが瓦解する可能性があるから試行錯誤もできない。世間知らずなんて、僕だって人のことは言えないんだ。妹とどんな言葉を交わせばいいのかすら分からない。どんな手を打ったとしても、僕はもう…………遅過ぎた」
 懺悔のように言葉が溢れてくる。
 俺はしばらく無に覆われた表情を見つめ、ふと頭に浮かんだことを口にする。
「正解が分からないのは誰だって一緒だよ。何か行動したところでそれが正解だって分かるとも限らないし。もっと早く行動すればよかったとか、別の方法があったんじゃないかとか、俺だって考えるよ。でも一つだけ、何年経っても誰に何と言われても、絶対に後悔しないことがある」
「……それは、何だい」

「柳を助けたこと。あんたが何度呪いを撒いて人の認識から消そうとしても、俺達は何度だって元に戻す」

 真っ直ぐ桐塚の目を見つめて言った。
「…………はは。君はすごいよ。結局呪いを解いたのは僕なのに、同じことになったらまた僕を説得するのか?」
「そうだな。今度は最初から暴力に訴えていくか。って、やれっていうフリじゃないからな言っとくけど」
「データは十分だからもうやらないよ」
「普通にやらないって言え」
 桐塚は目線を逸らす。その先に広がるのは穏やかな青空。
「遅過ぎたなんて言っている時点で、僕も後悔しているのか。……僕にも、あるのかな。これだけは、やってよかったと思えることが」
「……なぁ、桐塚」
「うん?」
「緋沙奈は、笑ってたよ。久し振りに名前を呼んでくれたって」
「…………そう。それだけでよかったのか……」
 遠くに視線を飛ばしたまま小さく呟く。
「結局、お互いの思い出話を語り合うことになったね」
「全くだ。やっぱり無視して逃げればよかった」
「逃げたら後悔するんじゃなかったの」
「あんたに言われるのは癪だな」
「僕も君に言われる度に不思議な気分になったよ。僕の理解の範疇を超えていたから」
「今もそうなのか」
「そうだね。どうにも他人事に聞こえなくて」
「あそう。ところで桐塚、進路はどうするんだ」
「理学系の大学へ行くつもりだよ。実験の幅を広げるためにもさらに知識を得ないとね。受験のアドバイスでもしようか?」
「全力で遠慮する」
「そう。じゃあ名神君。最後に訊いてもいいかな」
「何だよ」
「今更だけど、どうして君は僕と話す時敬語を使わないの?目上相手にいつもそうってわけでもないだろう」
「あんたが敬うに値しないから」
 間髪容れず直球で口にする。
 すると桐塚は小さく吹き出し、おかしそうに笑った。いつもの貼り付いた仮面のような笑顔ではなく、こんな言い方も変だが、いかにも人らしい表情だった。
「以前は言い淀んでいたのに、はっきり言うようになったね。ははっ、君はとても愉快だ」
「そんなにおかしいかよ。もう俺行くぞ」
「ああ、ありがとう。楽しい談話だったよ。それと、最後に」
 そう言うと、桐塚はすぐ隣に近寄った。

 まだ何か用かと顔を見上げると、いきなり頭の上にポンッと手が乗せられた。

「なっ、何すんだっ」
「実験というよりかは、ちょっとした興味本位」
「はぁ?」
「また会おうね、名神君」
 爽やかな笑顔で手を振り、なぜか上階へ上っていき姿を消した。
 何だったんだよ、今の。一瞬また良からぬことされるのかと身構えてしまった。
 溜め息を吐きつつ階段を下り、3階に着く。そのまま下へ向かおうとすると、

「よう、名神」

 声を聞いた途端、全身にドライアイスをぶちまけられたような気分になった。
 カクカクと首を向けると、校舎の壁に寄りかかり狩人の目つきで睨む柳がいた。踊り場からはちょうど死角になって見えなかった位置に。
「…………なんで、いるんですか。柳、さん」
「たまたまだ。お前こそ、なんであいつと喋ってたんだ」
「…………たまたまです」
「そうか。じゃあ、これは何だったんだ」
 と、俺の頭に手を伸ばしてきた。
 こちらは乗せるではなく、鷲掴みという表現が適切。
「それは、その……」
 その時、ある思考が閃いた。
 あいつ、こうなると分かっててあんなことしたんじゃないのか。そばで柳が見ていると知った上で。
「柳。あの、桐塚か嫌いなのは分かるけど、俺に当たってもしょうがないだろ」
「お前が触らせるからだろ」
 だめだ。何にキレてるのか全く分からない。
 身長を圧縮しにかかる柳の腕を掴み、必死になだめようとする。
 その時、傍からいかにも呆れたような息を吐く音が聞こえた。
 目線を向けると、下階へと続く階段を誰かが下りっていった。翻ったスカートの裾と茶色の束髪が一瞬だけ目に入る。
 そっか。来てたんだ。
 どうやら俺の知らない間に、何かと縁のある奇抜な4人組が集合していたらしい。
 当人の本意は分からないが、あの表情からして、悪くない門出になったのは確かなようだ。

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