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第1章
1. Question : お前は何者だ
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波乱な出来事からスタートした1日だが、結果的に例の2人組と仲良くなり現在3人で昼飯を囲む。
「俺ら中学から一緒でさ。知ってるか、隣町の西ノ宮中学校。あそこ出身」
「中庭みたいなとこに変な女神像あったよね。あれ何だったんだろうねー」
短い紺髪でキリっとした目つきの方が伊志森。アホ毛の立った茶髪におっとりした顔つきの方が佐々蔵。何かと2人でいることが多いため周囲から合わせて”伊志蔵”と呼ばれていたとか。そのまんまじゃねぇか。
「んで、累人はどこ出身だ?」
「俺は篠川中学。東が丘に来たのは家から1番近い公立だったからで、受験は結構苦労したよ。この辺りじゃ割と偏差値高い方だろここ」
「そして念願叶って通い始めた矢先に大コケしたと。幸先悪いねー」
「うっ、その話はもういいだろっ。そういや、西ノ宮ってあそこ高校なかったっけ。そっちの方が近いんじゃ」
「ありゃ工業専門校だ。早いうちから将来設計が決まってる奴らが行く所だよ」
「僕そういうの考えるの苦手なんだよねー。来年の文理選択とかどうしよ」
「お前数学得意だろ。だったら理系でいいんじゃねぇの」
「そうだけどー、得意と好きは別物じゃん。そうだ累人君、数学で分かんないところあったら教えるよー。僕塾で数IAは一通りやったから」
「それは頼もしいな。是非お願いするよ」
雑談が弾む合間をぬって、横目でそっと左側を見る。
窓際最後尾の席には、やはりあの男子生徒が座っている。少なくとも俺にはそう”見える”。
午前の授業中も休憩時間も、彼に話しかける者は誰もいなかった。
まるでそこには誰もいないかのように。
その姿を目で捉えることができていても、まるで窓や机など教室の風景の中に溶け込んでいるようで、その存在はかなり希薄。瞬きの間に消えてしまいそうな儚さ。
本当に、俺以外の人間には見えてないのか?
「あのさ2人共、俺しばらく休んでてこのクラスのことまだよく分かってないんだけどさ、その……何か訳ありだったりするの?」
「訳あり?何が?」
「だからその、クラスで決められてる、いわば暗黙の了解みたいな。何かルールがあるとか」
「あー、クラスの生徒のうち誰か1人を仲間外れにしろ的な」
「えっ」
「おい何だそれ蔵。聞いたことねぇぞ」
「あれ、伊志知らないー?クラスメイトの1人を”いない者”にして、1年間全員で無視し続けるの。誰か1人でもそのルールを破ったら、毎月1人そのクラスの誰かが死ぬ…………っていう小説があるんだよー」
「何だ小説の話かよ。つかそれ超ホラーだろ。俺絶対読めねぇ」
「そうだね、超常現象的なホラーって言うのかな。でもなんか読みたくなるんだよねー。ちなみに小説の中でその絶対厳守のルールがあるのって、校内で1年3組だけなんだよー」
「うぇっ、このクラスと一緒かよ。やめろよほんとそういう話は」
「あはは、伊志は苦手だもんね。まぁあれはフィクションだから。現実にはそんな生贄の儀式みたいなのないから大丈夫だよ」
すると、佐々蔵が若干幼さの残る顔をふと寄せる。
「累人君も、そんな不安がることないよ。みんなと少しスタートがずれてるからって心配しなくていい。学校が変わって慣れない環境にいるのはみんな同じなんだから」
「授業もまだオリエンテーションばっかだしな。そう気負うなよ」
「……そう、だね。ありがとう2人共」
肩の力が抜けたような気分だ。
考えてみればそうだ。実際は見えているのに見えないふりをする、なんて特定の誰かを除け者にするような”ルール”が出会って1週間ほどのクラスで敷かれるわけがない。やっぱり他の生徒にはあいつが見えないんだ。
……ん?ちょっと待て。
それはつまり、俺にしか見えてないってことで、それって……まさか…………。
「でねー、さっきの小説の話だけど、物語構成がほんとに巧みでー」
「だからやめろっての。聞きたくねぇよホラー話なんか」
「だってすごいんだよー。内容はネタバレになっちゃうから言わないけど、作者の技法っていうのかな。一つの作品全体に伏線を散りばめて、最後にそれらを全部回収して予想外の真実を読者に突き付けるみたいな。うまく読者を引き込んでるって感じだよねー。あーやっぱちょっとだけネタバレすると、あの話ってある学校の1クラス内の人間とその関係者だけの話なんだよね。ただそのクラスの生徒になったというだけで巻き込まれるという理不尽さ、人の命や記憶が自然の原理を超えて捻じ曲げられる恐怖。得体の知れない何かに翻弄される人々の姿がありありと描かれて……」
佐々蔵の熱い作品語りが脳内を滑っていく。渋い顔で耳を塞ぐ伊志森の姿が視界の端に映る。
あぁ、分かるよ。俺もホラー系はすっごい苦手だ。怪談とか霊現象とかほんとにダメ。
しかもそれが”自分”の身に降りかかっているかもしれないなんて、もう……卒倒しそう。
とは思いつつも何とか気を持ち直し、無事に放課後を迎えた。
伊志森たちとは教室で別れ、入院を挟んだため提出できていなかった書類を職員室へ持っていった。担任や生徒指導の先生と話し込んでから教室に戻ると、今朝と全く同じ状況になっていた。
例の窓際の男子生徒と俺の2人きり。
他の生徒はもう帰ったのだろう。今なら邪魔が入らず問い詰められるかも。正直すげー怖いけど、今朝のやりとりが授業中もずっと気になって仕方なかった。今後の平和で穏やかな学校生活のためにもここではっきりさせておいた方がいい、はずだ。
「おい、お前」
今朝よりもかなり強めの口調で声をかける。
すると向こうも、より不機嫌さを露にした顔で振り向いた。鋭い眼光と共に無言の圧力がのしかかってくる。
「俺は名神累人。名前の名に旧字体の神、関わり合いの累に人だ。よろしく。で、お前の名前は?」
「…………柳」
渋々といった感じで口を開いた。やっと
(…………柳?まさか)
まともに話が通じたか。
「柳何?」
「…………一夜」
「柳一夜か。よろしく。それで、柳、お前に一つ訊きたいことがある」
「……何だ」
「お前は……幽霊なのか」
…………………………。
…………………………いや何か喋って。
「……確かに、間違ってはないかもな……」
何やら呟くと、大分鋭さの抑えられた目で俺を見て言う。
「あぁそうだ、存在感がないという点においては幽霊だ」
…………いや、えっ?
「あの…………俺が言ってるのはそういう意味じゃなくて、亡くなって霊体になった人ですかって意味で」
「お前霊感あるのか」
「ねぇよ」
「だろうな。あったらまず気付くだろうし……」
「とにかく俺は、お前が何者なのかを知りたいんだよ。お前の姿が俺にだけ見えてて、他の生徒には見えてない。だから幽霊なのかとも思ったけど、今までそういう変なものは見たことないし。だからはっきり言ってくれ。お前は今生きていて実在しているのか、それとも違うのか」
すると柳は机上の手元に目線を落とし、ポツリと言った。
「……人間原理って知ってるか」
「……いや、知らない」
「人間という宇宙を観測する存在があって初めて宇宙は存在する。だが人間が存在するためには既に宇宙は存在していないと成立しないわけで…………要するに、観測対象である宇宙は観測者である人間に適した環境になっているということだ」
お経のようにつらつらと言葉が並べられていく。
「あぁ、卵が先か鶏が先かみたいなやつか」
「”存在”というのは観測者がいて初めて確立される。誰も見る者がいなければ存在しないことと同じ。あってもなくても変わらない」
「でも、お前のことは俺が今見てるよ。だから存在してるってことだろ」
「今は、な。だがお前が教室を出ていけば俺を観測する者はいない。存在はあやふやだ」
……なんか頭痛がしてきたかも。何だ、今哲学の授業か何かか。
「お前のさっきの問いに答えるとだな、俺が存在しているかどうかは俺には証明できない。それに俺はどっちでもいいと思ってる。誰も俺に干渉しないこの空間は、そう悪いものじゃない。いっそこのまま、”俺”という意識が消えていけばいいのに……」
冗談か本気か、どちらとも取れないようなニュアンスで吐き出される言葉。抑揚の少ないどこか機械的な話し方。
絶望。
真っ先に頭に浮かんだこの言葉は何を意味するのか、自分でも分からない。
「あのさ、ちょっといいかな。長々と喋ってたけど、結局お前のことについて名前と話がややこしいことくらいしか判明してないんだけど」
「それでいい。これに懲りたらもう俺には関わらないことだ。必ず後悔するぞ」
「何それ。疫病神でも憑いてるわけ?」
「もしくは、俺自身がそうなのかもな」
「はっ、ほんとに笑えねぇ。……なぁ、お前はこれでいいのか」
「……何がだ」
「お前が今どんな状況に置かれてるのか、結局全然分かんなかったけど、このまま誰にも話しかけられず、”いない者”であり続ける。それで本当にいいのか」
「……いいも何も、これが現実なんだから仕方ないだろ」
暗い瞳。諦めたような口調。まるで突如地球への巨大隕石落下5分前を知らされたかのようだ。
俺だってそんな状況下にいたら、どうしようもないじゃないかと投げやりになるだろう。
だが今俺が問いたいのは、隕石落下を止める方法じゃない。
「現実がどうとかじゃない。お前の気持ちを訊いてるんだよ!」
「やめろっ!」
俺が語気を強めた途端、柳は立ち上がって声を張り上げた。そんなにでかい声でもなかったはずなのに、柳の鋭い一声が脳内に木霊ししばらく放心状態になった。
はっと我に返ると、溜息混じりに吐き出された小声が聞こえてきた。
「ほんとに……質悪い。何なんだよお前。何で、こんなに……」
「な、何、いきなりどうし__」
「黙れ。口を開くな」
ひっ、怖っ。
切りかかるような声に思わず固まる。
顔に手を当て、俯いたまま沈黙する柳。
これ、マジなやつ?マジで怒ってるやつ?何で急に。別に怒鳴ったつもりはないのに。
「あ、あのさ…………気に障るような言い方したのなら謝るよ。それにちょっとお節介過ぎた気もするし。でも、俺ほんとに__」
「黙れと言ったのが聞こえなかったか。お前の声はもう聞きたくない。不愉快だ。さっさと帰れ」
……なんか、すごい嫌われた?これ。
ゆっくりと顔を上げた柳は鋭い目で俺を見据え、言葉を放った。
【お前の家に、帰れ】
「あらお帰り累人。ちゃんと無事に帰ってこれた?」
「えっ……?」
見覚えのある玄関。見覚えのある顔。嗅ぎ慣れた空気。
俺の家だ。
「……あー、ただいま母さん。無事にってそんな大げさな」
「だって、元気よく出かけていったはずのあんたが血だらけで帰って来た時は本当にびっくりしたのよ」
「……うん、あの時はごめん。そのまま学校行くより家に戻る方が近かったから」
「私が迎えに行ければよかったのにねぇ。危うく失神するところだったわ」
「まぁそう何度も起きることじゃないでしょ。起きてほしくないし」
「本当に気を付けなさいよ。無理して自転車通学しなくてもいいからね」
「別に無理はしてないよ」
廊下に立っていた母はリビングへ入る。今日は仕事休みの日だったか。
洗面所で手を洗い、2階の自分の部屋へ向かう。
リュックを床に置き、勉強机の椅子に腰掛ける。手にしていた自転車の鍵を片手で弄びつつ、ぼんやりと天井を見上げる。
「……確かに、無事に帰ってるな」
正直に言うと、俺には学校から家に帰るまでの記憶がない。
教室で柳と話している場面から、急に家の玄関に入った場面に映像が飛んでいる。何だ、瞬間移動でもしたのか俺は。
でもこうして鍵を握っているということは、学校の駐輪場に止めていた自転車に乗ったということで……待てよ、まさか歩いて帰ってきたなんてことはないよな。
慌てて机上の目覚まし時計に目をやる。現在4時40分過ぎ。
俺が職員室から教室に戻ったのが確か4時前ぐらいだった。それから柳とどれくらい話してたのか分からないが、学校から歩いて帰ろうとすると少なくとも50分近くはかかる。
つまり、家の脇にあるスペースには間違いなく、前かごに擦り傷のついた青いボディの自転車が止めてあるということだ。先月買い換えたばかりなのに、俺の左腕同様に傷痕を残すことになってしまって少しショックだった。恐るべしアスファルト。
「何なんだろうな、ほんと……」
考え事しながら下校して、道中の記憶が少し飛んでることは今までにもあった。でも完全に記憶がないなんてのは初めてだ。そんなに何か思い詰めてたっけ。
柳……。俺、あいつと何話してたんだっけな。
ああそうだ、このままでいいのかって訊いて、それで……何だっけ……ああ、怒られたんだっけ。でも、何で?
それになんか体がだるい。今日は色々あったし、久々の学校で疲れてんのか。
鍵を机の上に放り投げる。反対側の壁際に置かれたベッドへ行き、うつ伏せに倒れ込んだ。
途端に猛烈な眠気が押し寄せ、瞼が重くなる。
……明日……何て声をかけよう、かな…………。
そう思う一方で、もうあいつとは関わらない方がいいのではないかという考えが、頭の片隅に渦巻いていた。
「俺ら中学から一緒でさ。知ってるか、隣町の西ノ宮中学校。あそこ出身」
「中庭みたいなとこに変な女神像あったよね。あれ何だったんだろうねー」
短い紺髪でキリっとした目つきの方が伊志森。アホ毛の立った茶髪におっとりした顔つきの方が佐々蔵。何かと2人でいることが多いため周囲から合わせて”伊志蔵”と呼ばれていたとか。そのまんまじゃねぇか。
「んで、累人はどこ出身だ?」
「俺は篠川中学。東が丘に来たのは家から1番近い公立だったからで、受験は結構苦労したよ。この辺りじゃ割と偏差値高い方だろここ」
「そして念願叶って通い始めた矢先に大コケしたと。幸先悪いねー」
「うっ、その話はもういいだろっ。そういや、西ノ宮ってあそこ高校なかったっけ。そっちの方が近いんじゃ」
「ありゃ工業専門校だ。早いうちから将来設計が決まってる奴らが行く所だよ」
「僕そういうの考えるの苦手なんだよねー。来年の文理選択とかどうしよ」
「お前数学得意だろ。だったら理系でいいんじゃねぇの」
「そうだけどー、得意と好きは別物じゃん。そうだ累人君、数学で分かんないところあったら教えるよー。僕塾で数IAは一通りやったから」
「それは頼もしいな。是非お願いするよ」
雑談が弾む合間をぬって、横目でそっと左側を見る。
窓際最後尾の席には、やはりあの男子生徒が座っている。少なくとも俺にはそう”見える”。
午前の授業中も休憩時間も、彼に話しかける者は誰もいなかった。
まるでそこには誰もいないかのように。
その姿を目で捉えることができていても、まるで窓や机など教室の風景の中に溶け込んでいるようで、その存在はかなり希薄。瞬きの間に消えてしまいそうな儚さ。
本当に、俺以外の人間には見えてないのか?
「あのさ2人共、俺しばらく休んでてこのクラスのことまだよく分かってないんだけどさ、その……何か訳ありだったりするの?」
「訳あり?何が?」
「だからその、クラスで決められてる、いわば暗黙の了解みたいな。何かルールがあるとか」
「あー、クラスの生徒のうち誰か1人を仲間外れにしろ的な」
「えっ」
「おい何だそれ蔵。聞いたことねぇぞ」
「あれ、伊志知らないー?クラスメイトの1人を”いない者”にして、1年間全員で無視し続けるの。誰か1人でもそのルールを破ったら、毎月1人そのクラスの誰かが死ぬ…………っていう小説があるんだよー」
「何だ小説の話かよ。つかそれ超ホラーだろ。俺絶対読めねぇ」
「そうだね、超常現象的なホラーって言うのかな。でもなんか読みたくなるんだよねー。ちなみに小説の中でその絶対厳守のルールがあるのって、校内で1年3組だけなんだよー」
「うぇっ、このクラスと一緒かよ。やめろよほんとそういう話は」
「あはは、伊志は苦手だもんね。まぁあれはフィクションだから。現実にはそんな生贄の儀式みたいなのないから大丈夫だよ」
すると、佐々蔵が若干幼さの残る顔をふと寄せる。
「累人君も、そんな不安がることないよ。みんなと少しスタートがずれてるからって心配しなくていい。学校が変わって慣れない環境にいるのはみんな同じなんだから」
「授業もまだオリエンテーションばっかだしな。そう気負うなよ」
「……そう、だね。ありがとう2人共」
肩の力が抜けたような気分だ。
考えてみればそうだ。実際は見えているのに見えないふりをする、なんて特定の誰かを除け者にするような”ルール”が出会って1週間ほどのクラスで敷かれるわけがない。やっぱり他の生徒にはあいつが見えないんだ。
……ん?ちょっと待て。
それはつまり、俺にしか見えてないってことで、それって……まさか…………。
「でねー、さっきの小説の話だけど、物語構成がほんとに巧みでー」
「だからやめろっての。聞きたくねぇよホラー話なんか」
「だってすごいんだよー。内容はネタバレになっちゃうから言わないけど、作者の技法っていうのかな。一つの作品全体に伏線を散りばめて、最後にそれらを全部回収して予想外の真実を読者に突き付けるみたいな。うまく読者を引き込んでるって感じだよねー。あーやっぱちょっとだけネタバレすると、あの話ってある学校の1クラス内の人間とその関係者だけの話なんだよね。ただそのクラスの生徒になったというだけで巻き込まれるという理不尽さ、人の命や記憶が自然の原理を超えて捻じ曲げられる恐怖。得体の知れない何かに翻弄される人々の姿がありありと描かれて……」
佐々蔵の熱い作品語りが脳内を滑っていく。渋い顔で耳を塞ぐ伊志森の姿が視界の端に映る。
あぁ、分かるよ。俺もホラー系はすっごい苦手だ。怪談とか霊現象とかほんとにダメ。
しかもそれが”自分”の身に降りかかっているかもしれないなんて、もう……卒倒しそう。
とは思いつつも何とか気を持ち直し、無事に放課後を迎えた。
伊志森たちとは教室で別れ、入院を挟んだため提出できていなかった書類を職員室へ持っていった。担任や生徒指導の先生と話し込んでから教室に戻ると、今朝と全く同じ状況になっていた。
例の窓際の男子生徒と俺の2人きり。
他の生徒はもう帰ったのだろう。今なら邪魔が入らず問い詰められるかも。正直すげー怖いけど、今朝のやりとりが授業中もずっと気になって仕方なかった。今後の平和で穏やかな学校生活のためにもここではっきりさせておいた方がいい、はずだ。
「おい、お前」
今朝よりもかなり強めの口調で声をかける。
すると向こうも、より不機嫌さを露にした顔で振り向いた。鋭い眼光と共に無言の圧力がのしかかってくる。
「俺は名神累人。名前の名に旧字体の神、関わり合いの累に人だ。よろしく。で、お前の名前は?」
「…………柳」
渋々といった感じで口を開いた。やっと
(…………柳?まさか)
まともに話が通じたか。
「柳何?」
「…………一夜」
「柳一夜か。よろしく。それで、柳、お前に一つ訊きたいことがある」
「……何だ」
「お前は……幽霊なのか」
…………………………。
…………………………いや何か喋って。
「……確かに、間違ってはないかもな……」
何やら呟くと、大分鋭さの抑えられた目で俺を見て言う。
「あぁそうだ、存在感がないという点においては幽霊だ」
…………いや、えっ?
「あの…………俺が言ってるのはそういう意味じゃなくて、亡くなって霊体になった人ですかって意味で」
「お前霊感あるのか」
「ねぇよ」
「だろうな。あったらまず気付くだろうし……」
「とにかく俺は、お前が何者なのかを知りたいんだよ。お前の姿が俺にだけ見えてて、他の生徒には見えてない。だから幽霊なのかとも思ったけど、今までそういう変なものは見たことないし。だからはっきり言ってくれ。お前は今生きていて実在しているのか、それとも違うのか」
すると柳は机上の手元に目線を落とし、ポツリと言った。
「……人間原理って知ってるか」
「……いや、知らない」
「人間という宇宙を観測する存在があって初めて宇宙は存在する。だが人間が存在するためには既に宇宙は存在していないと成立しないわけで…………要するに、観測対象である宇宙は観測者である人間に適した環境になっているということだ」
お経のようにつらつらと言葉が並べられていく。
「あぁ、卵が先か鶏が先かみたいなやつか」
「”存在”というのは観測者がいて初めて確立される。誰も見る者がいなければ存在しないことと同じ。あってもなくても変わらない」
「でも、お前のことは俺が今見てるよ。だから存在してるってことだろ」
「今は、な。だがお前が教室を出ていけば俺を観測する者はいない。存在はあやふやだ」
……なんか頭痛がしてきたかも。何だ、今哲学の授業か何かか。
「お前のさっきの問いに答えるとだな、俺が存在しているかどうかは俺には証明できない。それに俺はどっちでもいいと思ってる。誰も俺に干渉しないこの空間は、そう悪いものじゃない。いっそこのまま、”俺”という意識が消えていけばいいのに……」
冗談か本気か、どちらとも取れないようなニュアンスで吐き出される言葉。抑揚の少ないどこか機械的な話し方。
絶望。
真っ先に頭に浮かんだこの言葉は何を意味するのか、自分でも分からない。
「あのさ、ちょっといいかな。長々と喋ってたけど、結局お前のことについて名前と話がややこしいことくらいしか判明してないんだけど」
「それでいい。これに懲りたらもう俺には関わらないことだ。必ず後悔するぞ」
「何それ。疫病神でも憑いてるわけ?」
「もしくは、俺自身がそうなのかもな」
「はっ、ほんとに笑えねぇ。……なぁ、お前はこれでいいのか」
「……何がだ」
「お前が今どんな状況に置かれてるのか、結局全然分かんなかったけど、このまま誰にも話しかけられず、”いない者”であり続ける。それで本当にいいのか」
「……いいも何も、これが現実なんだから仕方ないだろ」
暗い瞳。諦めたような口調。まるで突如地球への巨大隕石落下5分前を知らされたかのようだ。
俺だってそんな状況下にいたら、どうしようもないじゃないかと投げやりになるだろう。
だが今俺が問いたいのは、隕石落下を止める方法じゃない。
「現実がどうとかじゃない。お前の気持ちを訊いてるんだよ!」
「やめろっ!」
俺が語気を強めた途端、柳は立ち上がって声を張り上げた。そんなにでかい声でもなかったはずなのに、柳の鋭い一声が脳内に木霊ししばらく放心状態になった。
はっと我に返ると、溜息混じりに吐き出された小声が聞こえてきた。
「ほんとに……質悪い。何なんだよお前。何で、こんなに……」
「な、何、いきなりどうし__」
「黙れ。口を開くな」
ひっ、怖っ。
切りかかるような声に思わず固まる。
顔に手を当て、俯いたまま沈黙する柳。
これ、マジなやつ?マジで怒ってるやつ?何で急に。別に怒鳴ったつもりはないのに。
「あ、あのさ…………気に障るような言い方したのなら謝るよ。それにちょっとお節介過ぎた気もするし。でも、俺ほんとに__」
「黙れと言ったのが聞こえなかったか。お前の声はもう聞きたくない。不愉快だ。さっさと帰れ」
……なんか、すごい嫌われた?これ。
ゆっくりと顔を上げた柳は鋭い目で俺を見据え、言葉を放った。
【お前の家に、帰れ】
「あらお帰り累人。ちゃんと無事に帰ってこれた?」
「えっ……?」
見覚えのある玄関。見覚えのある顔。嗅ぎ慣れた空気。
俺の家だ。
「……あー、ただいま母さん。無事にってそんな大げさな」
「だって、元気よく出かけていったはずのあんたが血だらけで帰って来た時は本当にびっくりしたのよ」
「……うん、あの時はごめん。そのまま学校行くより家に戻る方が近かったから」
「私が迎えに行ければよかったのにねぇ。危うく失神するところだったわ」
「まぁそう何度も起きることじゃないでしょ。起きてほしくないし」
「本当に気を付けなさいよ。無理して自転車通学しなくてもいいからね」
「別に無理はしてないよ」
廊下に立っていた母はリビングへ入る。今日は仕事休みの日だったか。
洗面所で手を洗い、2階の自分の部屋へ向かう。
リュックを床に置き、勉強机の椅子に腰掛ける。手にしていた自転車の鍵を片手で弄びつつ、ぼんやりと天井を見上げる。
「……確かに、無事に帰ってるな」
正直に言うと、俺には学校から家に帰るまでの記憶がない。
教室で柳と話している場面から、急に家の玄関に入った場面に映像が飛んでいる。何だ、瞬間移動でもしたのか俺は。
でもこうして鍵を握っているということは、学校の駐輪場に止めていた自転車に乗ったということで……待てよ、まさか歩いて帰ってきたなんてことはないよな。
慌てて机上の目覚まし時計に目をやる。現在4時40分過ぎ。
俺が職員室から教室に戻ったのが確か4時前ぐらいだった。それから柳とどれくらい話してたのか分からないが、学校から歩いて帰ろうとすると少なくとも50分近くはかかる。
つまり、家の脇にあるスペースには間違いなく、前かごに擦り傷のついた青いボディの自転車が止めてあるということだ。先月買い換えたばかりなのに、俺の左腕同様に傷痕を残すことになってしまって少しショックだった。恐るべしアスファルト。
「何なんだろうな、ほんと……」
考え事しながら下校して、道中の記憶が少し飛んでることは今までにもあった。でも完全に記憶がないなんてのは初めてだ。そんなに何か思い詰めてたっけ。
柳……。俺、あいつと何話してたんだっけな。
ああそうだ、このままでいいのかって訊いて、それで……何だっけ……ああ、怒られたんだっけ。でも、何で?
それになんか体がだるい。今日は色々あったし、久々の学校で疲れてんのか。
鍵を机の上に放り投げる。反対側の壁際に置かれたベッドへ行き、うつ伏せに倒れ込んだ。
途端に猛烈な眠気が押し寄せ、瞼が重くなる。
……明日……何て声をかけよう、かな…………。
そう思う一方で、もうあいつとは関わらない方がいいのではないかという考えが、頭の片隅に渦巻いていた。
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―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
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2025.4.19☑~
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