エイリアンズ

朋藤チルヲ

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 わたしが働くスーパーには、夏休みを取る、という決まりがある。
 とはいえ、小売り業界にとってお盆の前後は繁忙期。休みを取るのはそれを過ぎたあと、もしくは九月や十月に入ってからを推奨されているので、厳密には「秋休み」である。
 連続して取れる休暇の日数は、最大で三日間。インドアなわたしにはそれで充分。
 楽しみにしていた予定があったわけではない。だけど、まさか初日の午前中から、こんなことに使うはめになるとは。出鼻をくじかれるとは、たぶんこういうことを言う。

 同い年の従姉妹が、同じ街に暮らしていたなんて知らなかった。彼女が消えてしまったことも。

 スマホのナビゲーションアプリで導き出した住所には、五階建ての、レンガをペタペタと貼りつけたみたいな外観のマンションがあった。エントランスから屋上までを、視線で撫でるように見上げる。

 目的の部屋は二階。
 ベランダからは、観葉植物の葉がはみ出している。名前も知らないその緑が、下の部屋に向かって流れ出すように茂っている。
 盛りを過ぎたというのに、太陽はいまだ力強い。光を反射して、緑はほとんど白っぽく見えた。

 六花の部屋には、鍵がかかっていた。
 だけど、すぐに入ることができた。六花の母親、わたしにとっては伯母にあたるその人が、管理人に一報を入れておいてくれたおかげだ。

 カーテンが引かれた部屋の中に人の気配はないが、荒らされた形跡もなかった。

 洗濯物はきちんと畳まれて、クローゼットに入っている。食器がシンクに出ていることもなく、どれも乾いていた。テレビも、エアコンも、湯沸かしポットも、トイレの便座を温めるための電源でさえ、すっぽりと抜かれて冷めている。冷蔵庫だけが健在で、あるじのいないワンルームに、ブゥン、と低くうなる。

 六花の両親が、本人と連絡がつかなくなったのは三日前だという。おそらくそれから一度も、六花はここに戻っていない。

 玄関に戻る。靴箱に、いくつかの空きスペース。スーツケースはどこにも見当たらない。
 わたしはデニムパンツのポケットからスマホを取り出し、電話をかけた。

「どうだった? 六花ちゃん、倒れていなかった?」

 相手の声は、そんなわけはないのだけど、こちらが呼び出している最中に吐き出されたように前のめりで、わたしを辟易させた。

「いないよ。いないけど、お母さんがそんなに焦らなくてもいいんじゃ?」
「何を言っているのよ。姪っ子が行方不明なのよ? 焦るでしょ」
「六花がふらっとどこかへ行くのなんて、初めてじゃないじゃん。今回もいつもと同じ。すぐに戻ってくるって」
「そうかしら」

 わたしには確信があるのに、母親には納得がいかないようだ。でも、と言ってくる。

「これまでは、連絡つかないなんてことなかったじゃない。姉さんが六花ちゃんを放任していたのは、もういい大人だってこともあるけど、いつだって電話が繋がったからよ」
「まぁ……それはそうだけど」

 六花の自由な振る舞いを、わたしたちはいつも事後報告で知った。

 急に本場の味噌ラーメンが食べたくなったと、飛行機に乗り北の大地に旅立ってしまったであるとか、SNSで話題になっている、貴重な鳥を見るために南国に行っていたであるとか。そういう話は、伯母が何かの折にかけてくる電話の中で、本題のついでとして披露されるのだった。

 そうやって世間話にしていられたのは、六花がいつでもスマホに出たから。確かに、母親の言う通り。
 六花が一人で契約を済ませたマンションがあるのが、実家から新幹線で二時間も北上したこの街でなければ、伯母さん自らが、すぐにでも飛んできたいところだったのだろう。
 一方で、突飛な行動は日常茶飯事である娘のこと。半信半疑の部分もあるのだと思う。
 大袈裟にすることは気が引ける。それで、我が家に白羽の矢を立てたのだ。

「とにかく、約束なんだから、マンションにいないなら、六花ちゃんに電話してみて」
「放っておけばいいって」
「何か大変なことが起きたんだったら、どうするのよ」

 この部屋の状況を見る限り、その可能性は低い。
 どう考えても、重要度の低い電源を選んで抜いている。整理整頓されているし、六花は慌てることなく、冷静に出ていったようにしか思えない。
 六花にだって、周囲のしがらみを完全にシャットアウトしたい時があるのだろうと考えれば、電話に出ないことも、そこまでおかしなことではない。

「その可能性は低いと導き出しました」
「何か困ったことが起きたのかしら……ねぇ、電話してったら」
「またさくっと無視かい」
「杏子からなら、出るかも」
「伯母さんがかけて出ない電話に、どうしてわたしだと出ると思えるのか」
「従姉妹じゃないの」

 なんだ、その力技的な理屈は。

 第一、六花は困っても誰かに助けを求めることはしない。そもそも、困らない。しかし、このままではらちが明かない。

「わかった。電話はする。そしたら、この近所の超人気カフェで、幻のトアルコトラジャのコーヒーゼリーを食べて帰るから。約束なので、代金は後ほど請求します」


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