Rain man

朋藤チルヲ

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 葬儀会社の係の人は、事前に連絡をくれた時間通りに、我が家のインターホンを鳴らした。朝日の部屋で食器を洗ったりお風呂を掃除したりしていたから、ギリギリだった。

 そして、その時になって、パパが我が家に戻るまでに九時間以上もかかった理由を知った。
 パパの身体は、焼かれてすでに灰になっていた。
 病院から直接アパートに来たのではなくて、火葬場を経由したのだ。

 通常は、お葬式の前後のどちらかのタイミングで火葬するらしいけれど、パパの場合は事故での損傷が激しかったことと、身内が私だけだったこと。いろいろなことを考慮した結果、火葬してから自宅に運ぶことにしたのだと、係のおじさんは言った。電話でそう説明したはずだけれど、と困った顔をされてしまった。

 私は覚えていない。説明してくれたことは間違いなくて、私がきちんと聞いていなかっただけなんだろう。だから、素直に謝った。

 私が渡されたのは、両手で抱えられる大きさの白い箱一つ。
 だから、すぐに済んだ。これならやっぱり大家さんを呼ばなくて正解だったと思った。

 もちろん、大家さんが自分を呼んでほしいと言ったのは、迎えるための人手がどうとか手間がどうとか、そういう理由じゃないことなんてわかっている。

 私が謝っても、おじさんは戸惑うだけだった。終始、なんだか申し訳なさそうにしていた。
 父親を亡くした子供に何て声をかけていいものか、わからなかったのだろう。帰り際に「偉かったね」と私の頭を撫でて、おじさんは部屋を出ていった。

 自分に散々暴力を振るってきた父親の亡骸なきがらを、突き返すことなく迎え入れたのだから、確かに私は偉い。

 テレビで、骨壺を仏壇に置いてあるシーンを観たことがある。でも、この部屋にそんなものはない。
 私は箱をテーブルの真ん中に置いて、朝日のところへ戻った。




*****

 二回目なのに、朝日が寝ている布団の隣に潜り込むのは勇気がいった。

 朝日は私に枕を貸してくれて、自分は自身の腕を頭の下に敷く。昨夜も、最初はそういう姿勢で寝ていたような覚えがある。

 腕が痺れないのか訊いたら、痺れると答えた。
 だから眠れなかったんじゃないの、私のせいじゃん、やっぱり枕いらないよ、なんて騒いでいたら、「いいから早く入って」とぴしゃりと言われた。

 意地悪く口の端を引き上げる殺し屋は、私が照れていることを見抜いているのだ。
 悔しくなって、わざわざ顔を見合わせるようにして横たわってやった。

 結局のところ、その体勢は自分の首を絞めることになったと、すぐに悟ったのだけど、今さら背を向けるのもやっぱり悔しいし、もったいなかった。
 だって、最後の夜だ。

 私はもう二度とこんなに間近で見ることのない、朝日の柔らかな眼差しを見つめた。朝日のほうでも、じっと私を見据えたまま、その瞳を閉じない。

 二人の間には、昨日と同じようにレインがいて、まるで人間の赤ちゃんみたいな気の抜けた寝息を立てていた。

 本当にもうこれっきりなんだ。
 限られた時間に、何か大事な話をしたいと気がくけれど、いざ言葉を発しようとすると、それは唇から出る直前で輝きをくし、ガラクタみたいになった。

 もっと大切なことが他にあるに違いないと、さらに頭の中を探す。

 だけど、見つけたと意気込んで吐き出そうとしたとたんに、それはやっぱり鮮やかさを失ってカサカサと乾いてしまうから、もどかしかった。

「凛子は……これからどうするの?」

 朝日が、空気にも溶け込みそうな、澄んだ声で尋ねてきた。

「これまで通り、あの部屋で暮らすの?」

 今夜は月明かりすら届かない。
 だけど、いつしか暗さに慣れた目に闇はほどけるようで、目の前の朝日の顔を見失うことはなかった。

 私は首を振る。枕のそばがらが、頭の下でしょりしょり音を鳴らした。

「……施設を探さなきゃいけないんだって。それまでは、大家さんのところに」

 なんだか他人事みたいな言い方になった。

 パパの労災の保険金や退職金があれば、たぶん一人でだって、私は暮らしていけるだろう。これまでだって、家事も生活のための様々な選択も全部、一人でこなしてきたのだ。
 でも、周りの大人たちはそれを認めてはくれないし、許してもくれない。大人たちの常識の中では、若すぎる経験なんて無いものと同じだから。

「そうか。大家さんのところに。そうだね。子供を一人にはしとけないよね」

 朝日までそんなことを言って、睫毛をふせる。
 そのまま眠ってしまうんじゃないかと焦って、私は急いで次の言葉を探した。

「朝日……朝日のやらなきゃいけないことって、何?」

 やらなきゃいけないことがあるから、泣きながら人を撃ってでも、生きていかなきゃいけないって、朝日は言った。そういうものが誰にでもあるって。私にもあるって。
 朝日にとってのそれを、そういえば私は聞いていない。教えてくれるだろうか。

 朝日は一度ゆっくり瞬きをしたあとで、目線を上げた。いつか話そうと覚悟していた言葉を、やっと吐き出す時が来たみたいに。

 私は胸が震えた。
 もしかしたらその答えは、朝日が組織を裏切った理由と関係があるのかもしれない。

「……僕が知る殺し屋たちはみんな、呼吸するように人を撃つんだ。それが悪いことだなんて少しも思っていない。考える以前に、それは自然なことなんだと思える、思わされている世界に生きている」

 暗い部屋の中のわずかな光をかき集めて、それが朝日の二つの瞳の真ん中で瞬いたような気がした。それは思いもよらないほど冷たい輝きで、私は息を飲む。

「僕もね……そういう人間だったんだよ」

 朝日は目尻を下げた。そうすると、温度のない光は柔らかく湾曲して、影を潜めた。

「……だけど、ある時、同じ施設にいた女性が僕に言ったんだ」
「女性……」

 女性の殺し屋?
 珍しい気がするけれど、同じ施設にいたということは、朝日の同業者で間違いないんだろう。
 その女性が、朝日の逃亡に、朝日の今の生き方に深く関わっているのかもしれない。そう思うと、なぜか胸がざわついた。

「彼女は言ったんだ……撃っていい人間って本当にいるのかなって」

 朝日は再び目線を落とす。睫毛が下まぶたに影を作った。暗い室内でそれはとても濃く見える。黒い涙みたいだと思った。

 そう思うと突然、あの夜に見た朝日の涙も、実は真っ黒だったように思えてくる。あの時ばかりじゃない。朝日はいつも笑顔の裏で人知れず、あんな重たそうな涙を流していたのかもしれない。

「彼女だって、ずっと何の疑問も持たずに人を撃ってきたはずなんだ。何がきっかけだったのかはわからない。どうしてそんなことを僕に漏らしたのかもわからない。だけど」

 私に口を挟む隙を与えないようになのか、朝日は一息にそこまで言った。
 そして、控えめに空気を取り込んだあとに、秋風みたいに弱々しいため息をついて、それから、静かに言った。

「……この世界に、人はみんな等しく産み落とされるのに、撃つ人間と撃たれる人間がいるのは、どうしてなんだろうって。どちらにも同じように人生があるのにって」

 撃つ人間、撃たれる人間。
 消す人間、消される人間。
 傷つける人間、傷つけられる人間。
 愛される人間。憎まれる人間。
 太陽のもとにいる人間。暗い路地裏を歩く人間。

 朝日や、朝日と一緒にいたその女性と、ターゲットにされる側の人たち。

 狙われる側には狙われる理由があるんだろうし、朝日たちは、依頼されて仕事としてやっているだけに過ぎない。
 だけど、そのどちらにも同じ重さの命が宿っていて、それぞれに人生がある。

 どちらが優位だとか、どちらの階級が上だとか。ましてや、どちらかに他者の人生の幕を勝手に下ろすことができる権利なんて、あるわけがない。

 ずっとパパから暴力を受けてきた私にも。朝日にも。レインにも。女性の殺し屋にも。ママにも。大家さんにも。私に嫌がらせをしたクラスメートにも。刑事のふりをしたあの男たちにも。葬儀会社のおじさんにも。パパの上司にも。そう、パパにだって。

 この世界の誰にでも命があって、人生があって、誰もそれを奪う権利なんてない。そんな当たり前のことに、何かの拍子に、その女性は気づいたんだ。

 そして、私も。
 パパを撃ってほしいと頼んだ私も、今、気づいた。
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