運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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『はぁ? なんで? 嫌だ!』

 予想はしていたけど、琴音から返ってきたメッセージの遠慮のなさに、化粧水をコットンで顔に叩きながら笑ってしまった。

『狭い車内に鬼上司と二時間半。はい窒息死』

 気持ちはわかる。
 でも、申し訳ないけど、それを福永さんにお断りの理由として上手に伝えられる自信は、わたしにはない。

 パパとの食事から帰ってきて、お風呂に入り、脱衣所で髪を乾かしていたところで、福永さんに言われたことを思い出した。
 応援当日の交通手段の件だ。
 明日、明後日に福永さんに遭遇するとは限らない。でも、そうやって後回しにして忘れてしまう可能性は、わたしだから充分にあり得る。
 思い出したが吉日、忘れる前に琴音に確認しておかないと、と部屋に戻ってスマホを取ったのだった。

 会社は交通費を抑えたいこと、電車より車で行ったほうが安上がりらしいことを、トークアプリを介して琴音に送る。悪口をフルコースで聞かれたことは教えないでおいた。
 すると、無料通話の着信音を鳴らされた。
 琴音は話が長くなりそうだったり、文字を打つことが面倒になってきたりすると、すぐさま通話に切り替える。

「じゃあさ、二人で行こうよ」

 前置きもなく、いきなり琴音は言い出した。

「二人で? どっちかが運転してってこと?」
「それは言い出しっぺなんだから、わたしが車を出して運転もするってば」

 琴音の立候補はありがたい。

「でも、高速だよ? 琴音、自分の運転で何回走ったことある?」
「ゼロ」
「えー、不安しかないよ。わたしだってないし、安全に向こうに着くこと考えたら、やっぱり福永さんに乗せていってもらったほうが」
「何とかなるって」

 琴音はどうしても福永さんに頼りたくないらしい。
 わたしだって、そりゃあ緊張する。でも、永遠にそれが続くわけではない。安全と緊張を天秤にかけるなら、わたしは安全を取る。

「優愛、ちょっと考えてみなよ」
「何を?」
「二時間半だよ? 途中でトイレに行きたくなったらどうする? 福永さんに言える?」

 なんとも女子中学生じみた不安だけど、琴音も本気で心配しているわけではないのだろう。どんな理由でもいいから、わたしを説得したいのだ。

「それはまぁ、恥ずかしいけど、いざとなったら言えるよ」
「ふうん」
「女子二人を引き連れていくんだし、そこは福永さんのほうで気を遣ってくれるんじゃないのかな」
「どうかねぇ。あの人、あんな感じだからモテないよね。たぶん、そんなに女性と付き合ったことないよ。女の扱いとか、ぜんぜんだめだと思う。だからいまだに独身なんだって」

 憶測の域を出ていないのに、琴音は自信たっぷりだ。

「乗せていくっていうのだって、厄介なことが起きた時に、責任を取りたくないからでしょ。結局、自分がかわいいだけじゃん」
「それはそうかもだけど」
「優愛さ、福永さんと何かあった?」

 どきりとした。

「な、何かって?」
「優愛は前から、誰かの悪口を言うような子じゃないけどさ。この頃なんだか、やたらと福永さんの肩を持つような?」
「そんなことは……でも、そんなに悪い人でもないのかなぁ、とは思ってるかも。怖いのは怖いけど」
「送迎してくれるって言ったから?」
「それもあるし……」

 視線を前に向ければ、そこには空のペットボトル。ここ数日の福永さんが、それを背景に浮かび上がった。

 キャラメルマキアートを置いていった指。埃まみれで什器を差し出した仏頂面。お詫びだと、すまないと謝った背中。好きな飲み物だと言ったら、それはよかったと言った意外にも穏やかな声。過呼吸になったわたしの背中をさする、大きくて少し熱い手のひら。

 もう少しその人となりを知ってみたい、そんな気に駆られているわたしがいた。
 もしかしたら、パパが言うように冷たい表情の仮面を被っているだけで、その奥には、生真面目で思いやりのある大人の男性の、ただ静かな表情があるのかもしれない、と。

 でも、琴音に話せばきっと、冷静になりなよと、真剣に諭されてしまうだろう。

「……相馬さんとかパパとか、福永さんは真面目なだけで、本当は面倒見のいい人だって」
「ふうん」

 琴音は素っ気ない返事。ちょっとやそっとでは、嫌いという感情は引っくり返らないのだろう。

「とにかく、わたしは絶対にごめんだから。うまいこと言って断っておいて」
「わたしが?」
「だってわたし、うまいこと言える自信ないもん」
「そんなの、わたしも一緒だよ」

 むしろ、嫌われている分、より怒らせる結果になる予感しかしない。
 いやでも、と思い直す。悪口を言った当人である琴音を、一人で福永さんと対峙させることは、やめておいたほうが無難かもしれない。

「……わかったよ。なんとか頑張ってみる」

 ため息とともに吐き出した。琴音にはいつもお世話になりっぱなしなのだ。わたしが恩返しできることなんて、このくらいしかない。

「ありがとー、優愛。今度ランチ奢る!」

 調子いいなぁと呆れつつ、でも、琴音のそういうところが嫌いではないわたしは、次に休みが会う日はいつだったかなぁと早速楽しみになる。

「その時にさ、新店まで下見に行こうよ。リハーサルしておけば、当日は慌てないで済む分、安全に行けるって」
「そだね」

 琴音は頼もしいし、たくましい。わたしにもそんな強さがあったら、トラウマに長く悩まされることもなかったかもしれない。そう羨ましく思ったあとで、またその強さにすがりたくなった。

「あのね、わたしが溺れた時に、助けてくれた人」

 琴音は、わたしが気兼ねなくあの事故のことを話せる、唯一の友達だ。

「ん? ああ、優愛のヒーロー」

 噴き出してしまう。ヒーローとはなかなか垢抜けない響き。でも、わたしの人生が途切れかけるという大ピンチを救ってくれたのだ。確かに英雄と言える。

「ヒーローがどうしたって?」
「うん、今どこでどうしてるのかなって。会って、お礼を言えたらいいのに」

 お礼を言いたい気持ちは本当。でも、今恩人のことが気になるのは、パパが言った意味深なセリフのせいが大きかった。
 あれはもしもの話。近くにいるわけがない。でも、どんな名前で、どんな顔をしていたのかくらいは知りたい。

 実は、思春期に入った頃、一度そういう思いが強くなった。でも、家族に相談できるわけがなく、できたとしても、知る術がないというすげないセリフが返ってくることは明らかで、そのうち諦めた。パパの言葉は、そんな願望を蘇らせた。

「何もわからないんだっけ」
「うん。事故のあとすぐに会社を辞めて、それっきりだし」
「社長とかも知らないの?」
「知らないんじゃないかな。そもそも、事故の話自体を避けてるところあるんだよね。そしたら、こっちも聞きづらくて」

 改めて、パパに悪いことをしたと後悔する。
 琴音が思いも寄らないことを言ったのは、それからすぐ。

「社員名簿は?」
「社員名簿?」
「履歴書とか。会社に残ってないのかな」
「え、でも、辞めてから十五年も経つよ?」
「廃棄されちゃってる可能性もあるけど、調べてみる価値もあるんじゃない?」

 琴音のセリフが耳に届くと、真っ暗闇の洞窟の中で、パッとライトが点灯するような感覚があった。

「そっか……そうかも」
「社長や副社長がいない隙を狙って、あと希美さんもか。バレないようにこっそり探せば、迷惑かけないんじゃない?」
「うん」
「明日、優愛は休み?」
「あ、うん」
「わたしは遅番だから……じゃあ、夕方にちょっと顔出せる? 明日は発注日でも納品日でもないし、そんなに忙しくないはずだし。その頃なら、本部社員はほとんど帰っちゃうだろうから」
「琴音、手伝ってくれるの?」

 向こう側で、小さく息を吐き出す音が聞こえた。笑ったのだ。

「いや、ここまできて手伝わない選択肢はないでしょ」
「ありがと」
「んじゃ明日、五時以降にね」
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