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社員名簿が出納室に、しかも、紙のまま保管されているなんて知らなかった。
出納室には金庫が置かれている。
わたしたちは基本的にレジ業務はやらないし、早番の際にレジをオープンする時と、閉店後に釣り銭を戻しにきた時くらいしか入らない。
名簿がデジタルで管理されていないことは、時代遅れなのだろうけど、やっぱりそれも中小企業であることが大きい。紙で管理できないほど膨大な社員数ではないし、費用の問題もある。そして、それはわたしたちにとっても都合がよかった。
狭い室内の一角に几帳面に積み重ねられた、小ぶりなダンボール箱。一箱に、リング式の分厚いファイルが五冊ずつ詰められているのだという。
一冊のファイルには、ざっと五十人分の履歴書。配属先や勤務履歴を記したものを追加して、社員名簿としてあるのだそう。現状は紙だけど、そのうちデジタルに移行する名目で置いてあるらしい。
「パソコンでぱっと新店の分だけ出されなくてよかった」
それらを目の当たりにした時、琴音がこそっと耳打ちしてきた。わたしも同感だった。
「長くは開けておけないですからね」
森さんは、お腹の前で組んだ両手を動かしていた。その指に、鍵が引っかかって揺れている。出納室は普段、施錠されているのだ。
琴音が威勢よく答える。
「わかってるって。こっちも仕事中なんだから。十分くらいで出るってば」
ダンボール箱は、十箱はある。ファイルに隙間なく名簿が挟まれているとしたら、その数は単純計算で二千五百枚を超える。社員の分だけでなく、パートやアルバイトの分もあるのかもしれない。一枚一枚チェックすることを考えると、それだけで眩暈がしてきそうだ。もちろん十分では厳しい。
「あ、ちゃんと何年から何年て、年代が書かれてるじゃん」
琴音が嬉しそうに言い、「そりゃそうですよ」と森さんがふて腐れて返す。
箱の後ろに、黒いマジックで数字が書かれていた。
胸を撫で下ろす。これなら、片っ端から箱を開けて中身を確かめなくていい。
「ちょっとそれ」
森さんが制止の声を出した。
「新店の社員の分、そっちにないですよ」
腕まくりした琴音とわたしが、古い年度の箱から開け始めたからだ。
「そう?」
琴音は素知らぬ顔で言って、手を止める様子はない。もちろんわたしもだ。
「まずいです。僕が怒られます」
疑いが確信に変わったらしい森さんは、最初こそ懸命に阻止しようと頑張った。だけど、わたしたちがまったく聞く耳を持たないでいると、やがて口出ししなくなった。さっさと目的を果たさせて出ていってもらうことに、方針を変更したらしい。
「ちょっと、どういうこと?」
それからすぐ、驚きと怒りがまぜこぜになった声を出したのは、琴音だ。
わたしはと言うと、その年度が示された箱に入ったファイルの表紙を、一冊ずつ見返していた。でも、何度見返しても、結果は変わらなかった。
「十五年前の分だけ、一枚もないじゃない」
「そんなこと、僕に言われたって。知らないですよ」
別の箱を確認する。同じ年度が書かれた箱が、他にもあるのかもと思ったのだ。
「……ないね」
ない。恩人が入社したはずの十五年前。その年の名簿が一枚も見つからない。それ以前の古いものはちゃんとあるのに。
「こんなことってある? まるで故意に隠されたみたい」
当惑した琴音の声が、わたしの不安をずばり言葉にした。鼓動が早打ちを始める。
誰かが故意に、十五年前の分の社員名簿だけを抜き取った?
もしもそれが本当なのだとしたら、わたしが探すことを前もって知って、見つからないようにしたとしか思えない。誰が? どうして?
「十五年前って、何かあったんすか?」
森さんが興味津々に訊いてきた。探偵まがいの行動をするわたしたちに、好奇心が刺激されたのかもしれない。
「君には関係ない。でも、協力してくれてありがとね」
琴音にぴしゃっと突っぱねられて下唇を突き出したものの、後半に笑顔でお礼を言われると悪い気がしないらしく、森さんは嬉しそうにはにかんだ。
「きっと偶然だよ。変に考えすぎないほうがいいって」
ファイルを持ったままぼんやりとするわたしに、琴音が慰めるように言ってきた。不用意に口にしたセリフに、わたしがあまりにショックを受けたものだから、申し訳ないと思ったのだろう。
「そうだよね……偶然、だよね」
「偶然に決まってるって。たぶんさ、何かの確認のために誰かが持ち出してるんだよ」
「うん……」
そう思いたい。
だって、こんなのまるで、十五年前に、私に知られてはいけない何かがあるみたいだ。
「またあとで確認させてもらえば、はっきりするじゃない」
「また来る気なんですか」
「あーでも、収穫なしも腹立たしいな。せっかくだから、嫌いな上司の名簿でも見てやろう。何か弱みになるネタでも見つかるかも」
わざとらしいくらい明るい声を出して、琴音は新しい箱を開け始めた。森さんは肩をすくめただけで、止める気はないようだ。
琴音が求める名簿が誰のものかなんて、確認するまでもない。ほどなくして、「あった」と苦々しげにそれを掲げた。
「なんだ。予想以上に何もネタがないわ。写真が指名手配犯みたいだけど、そんなの今も同じだし」
琴音が見せてきた名簿の写真欄には、大学を卒業したばかりの福永さんが写っていた。今に通じる生真面目さをそのままに、少しだけあどけなさを残している。
琴音はただ、空気を変えたい一心だったに違いない。だけど、わたしの目は、名簿のとある箇所に釘付けになった。
「この大学……お姉ちゃんの出身校だ」
「え? 希美さんと福永さんって同じ大学に通ってたの? 知り合い?」
わたしは首を振る。
「わからない……そんな話、聞いたことない」
それだけではなかった。
現住所。こっちは何も問題ない。本店にほど近い番地に、おしゃれなマンション名と部屋の番号。確か、似たようなマンションがいくつも建ち並んでいたはずだ。
問題は本籍。現住所とは違う。今の生活の拠点には、別の土地から引っ越してきたのだ。心臓がまた不穏な音を鳴らす。
「この住所……この地名は」
わたしが溺れた川のある町。
出納室には金庫が置かれている。
わたしたちは基本的にレジ業務はやらないし、早番の際にレジをオープンする時と、閉店後に釣り銭を戻しにきた時くらいしか入らない。
名簿がデジタルで管理されていないことは、時代遅れなのだろうけど、やっぱりそれも中小企業であることが大きい。紙で管理できないほど膨大な社員数ではないし、費用の問題もある。そして、それはわたしたちにとっても都合がよかった。
狭い室内の一角に几帳面に積み重ねられた、小ぶりなダンボール箱。一箱に、リング式の分厚いファイルが五冊ずつ詰められているのだという。
一冊のファイルには、ざっと五十人分の履歴書。配属先や勤務履歴を記したものを追加して、社員名簿としてあるのだそう。現状は紙だけど、そのうちデジタルに移行する名目で置いてあるらしい。
「パソコンでぱっと新店の分だけ出されなくてよかった」
それらを目の当たりにした時、琴音がこそっと耳打ちしてきた。わたしも同感だった。
「長くは開けておけないですからね」
森さんは、お腹の前で組んだ両手を動かしていた。その指に、鍵が引っかかって揺れている。出納室は普段、施錠されているのだ。
琴音が威勢よく答える。
「わかってるって。こっちも仕事中なんだから。十分くらいで出るってば」
ダンボール箱は、十箱はある。ファイルに隙間なく名簿が挟まれているとしたら、その数は単純計算で二千五百枚を超える。社員の分だけでなく、パートやアルバイトの分もあるのかもしれない。一枚一枚チェックすることを考えると、それだけで眩暈がしてきそうだ。もちろん十分では厳しい。
「あ、ちゃんと何年から何年て、年代が書かれてるじゃん」
琴音が嬉しそうに言い、「そりゃそうですよ」と森さんがふて腐れて返す。
箱の後ろに、黒いマジックで数字が書かれていた。
胸を撫で下ろす。これなら、片っ端から箱を開けて中身を確かめなくていい。
「ちょっとそれ」
森さんが制止の声を出した。
「新店の社員の分、そっちにないですよ」
腕まくりした琴音とわたしが、古い年度の箱から開け始めたからだ。
「そう?」
琴音は素知らぬ顔で言って、手を止める様子はない。もちろんわたしもだ。
「まずいです。僕が怒られます」
疑いが確信に変わったらしい森さんは、最初こそ懸命に阻止しようと頑張った。だけど、わたしたちがまったく聞く耳を持たないでいると、やがて口出ししなくなった。さっさと目的を果たさせて出ていってもらうことに、方針を変更したらしい。
「ちょっと、どういうこと?」
それからすぐ、驚きと怒りがまぜこぜになった声を出したのは、琴音だ。
わたしはと言うと、その年度が示された箱に入ったファイルの表紙を、一冊ずつ見返していた。でも、何度見返しても、結果は変わらなかった。
「十五年前の分だけ、一枚もないじゃない」
「そんなこと、僕に言われたって。知らないですよ」
別の箱を確認する。同じ年度が書かれた箱が、他にもあるのかもと思ったのだ。
「……ないね」
ない。恩人が入社したはずの十五年前。その年の名簿が一枚も見つからない。それ以前の古いものはちゃんとあるのに。
「こんなことってある? まるで故意に隠されたみたい」
当惑した琴音の声が、わたしの不安をずばり言葉にした。鼓動が早打ちを始める。
誰かが故意に、十五年前の分の社員名簿だけを抜き取った?
もしもそれが本当なのだとしたら、わたしが探すことを前もって知って、見つからないようにしたとしか思えない。誰が? どうして?
「十五年前って、何かあったんすか?」
森さんが興味津々に訊いてきた。探偵まがいの行動をするわたしたちに、好奇心が刺激されたのかもしれない。
「君には関係ない。でも、協力してくれてありがとね」
琴音にぴしゃっと突っぱねられて下唇を突き出したものの、後半に笑顔でお礼を言われると悪い気がしないらしく、森さんは嬉しそうにはにかんだ。
「きっと偶然だよ。変に考えすぎないほうがいいって」
ファイルを持ったままぼんやりとするわたしに、琴音が慰めるように言ってきた。不用意に口にしたセリフに、わたしがあまりにショックを受けたものだから、申し訳ないと思ったのだろう。
「そうだよね……偶然、だよね」
「偶然に決まってるって。たぶんさ、何かの確認のために誰かが持ち出してるんだよ」
「うん……」
そう思いたい。
だって、こんなのまるで、十五年前に、私に知られてはいけない何かがあるみたいだ。
「またあとで確認させてもらえば、はっきりするじゃない」
「また来る気なんですか」
「あーでも、収穫なしも腹立たしいな。せっかくだから、嫌いな上司の名簿でも見てやろう。何か弱みになるネタでも見つかるかも」
わざとらしいくらい明るい声を出して、琴音は新しい箱を開け始めた。森さんは肩をすくめただけで、止める気はないようだ。
琴音が求める名簿が誰のものかなんて、確認するまでもない。ほどなくして、「あった」と苦々しげにそれを掲げた。
「なんだ。予想以上に何もネタがないわ。写真が指名手配犯みたいだけど、そんなの今も同じだし」
琴音が見せてきた名簿の写真欄には、大学を卒業したばかりの福永さんが写っていた。今に通じる生真面目さをそのままに、少しだけあどけなさを残している。
琴音はただ、空気を変えたい一心だったに違いない。だけど、わたしの目は、名簿のとある箇所に釘付けになった。
「この大学……お姉ちゃんの出身校だ」
「え? 希美さんと福永さんって同じ大学に通ってたの? 知り合い?」
わたしは首を振る。
「わからない……そんな話、聞いたことない」
それだけではなかった。
現住所。こっちは何も問題ない。本店にほど近い番地に、おしゃれなマンション名と部屋の番号。確か、似たようなマンションがいくつも建ち並んでいたはずだ。
問題は本籍。現住所とは違う。今の生活の拠点には、別の土地から引っ越してきたのだ。心臓がまた不穏な音を鳴らす。
「この住所……この地名は」
わたしが溺れた川のある町。
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