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【人間界20年後】

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「知らない? 一時期、ワイドショーでかなり取り上げられたんだけど。愛の力か! 命日にバラを届けるゾンビ! なんてね。知らないか。あなたが生まれる前の話だからね」

 彼女は、「愛の力か!」のところだけ、やたらと強調した。

「はあ」
「もっと興味持ってよ。どんな関わりにも、無駄なものなんて一つもないのよ」
「はあ」
 そう言われても。
「まぁ、いいや。話したいことあったら、話して。なんでも聞くよ」

 結局、彼女が何者なのかわからない。その言葉が本当なのかもわからないのに、縁石から腰を上げることを選ばなかった。
 休日の街中。歩道には、たくさんの人が行き交っている。これだけの人が目の前を歩いていれば、彼女も変なことはしないだろう。

 本当は、ずっと誰かに話を聞いてもらいたかった。
 彼女のような、これまでまったく自分の人生に接点がなかった相手のほうが、気楽に、正直に、すべてを吐き出せるのかもしれない。

「わたし……夢があって」
 おずおずと切り出す。

「いいね。最高」
「本当にそう思ってます?」
「もちろん。わたし、思ったことは素直に言っておきたいし、やりたいことはやっておきたいの。人生ってさ、自分が思うより短いんだから」
「へえ」
「なにやりたいの?」
「え?」
「夢」
「え、えっと……小説家」

 自分のやりたいことを話すのは、それが知らない相手であっても、どこか気恥ずかしい。

「いい。素敵」
「ありがと……」
「なんで、小説家になりたいの?」
「えっと」

 一瞬、言葉が出てこなかった理由は、どうしてそれを目指すのか、と訊かれたことがなかったせいだった。

 夢を打ち明けたあとは、たいてい「すごいね! 読ませて!」といったその場限りのお願いをされるか、もしくは両親のように「何を子供みたいなことを」と馬鹿にした笑いを浮かべられるかの、どちらかだった。
 読ませて、はまだマシで、馬鹿にされると、自分の存在価値までしぼんでしまうかのようで辛かった。

「まぁ、好きだから、には違いないんだろうけど」
「うん。それと……他人と気持ちを共有したくて?」
「気持ちを共有?」
「物語って、それを読んだ人たちが、感動とか笑いとかを同じように感じられるでしょ?」
「まれに笑いのツボがずれている人もいるけど」
「それはそうだけど。でも、だいたいの人は、クライマックスだって感じる場所は同じだと思う」
「まあね」
「書いている側も、それは一緒で。それって、会ったこともない人たちと、わたしは同じ気持ちを共有しているってことにならないかな」

 遠慮がちに、初めてその思いを打ち明けた。
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