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第四話 『無色の終夜』を君へ

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「そうなの。弟の悠馬。今年、高校生になったのよね? こちらはアルバイト先の店主さんで、天草志貴さん」
「葵悠馬です。姉がお世話になってます」

 悠馬は淡々とあいさつをする。

 いつもそうだ。無愛想なわけでも、怒ってるわけでも、無関心なわけでもない。ただただ彼は感情的にならない冷静さを幼少期から身につけていて、年相応のふるまいは期待できない子だった。

 沙代子は誤解されやすい彼を案じることがよくあったが、彼は要領が良く、絶大な信頼感を周囲に与える器量の良さもあり、心配するより心配されているんじゃないかと思うことの方が多かった。

 だから今日も、新しい生活を始めた沙代子を案じて、会いに来てくれたのかもしれない。

「悠馬、ひとりで来たの?」

 沙代子はふたたび、門の方へ視線を移す。母の姿はないようだ。

「母さんには内緒で来た」
「そうなの? あっ、そっか。4月から寮に入ったんだっけ?」

 悠馬は今年、東京都内の私立高校に進学した。自宅から通えないから寮に入ると、母から聞いていたんだった。

「夏休みは実家にいる」
「じゃあ、しばらくこっちにいるのね。今日はたまたまいたからよかったけど、用事があるなら連絡してから来て」
「姉さんがどうしてここに戻る決心したのか知りたくて、鶴川を見たかっただけ」

 興味本位で、気まぐれにやってきたようだが、空気を読まない彼の発言にはひやひやしてしまう。

「悠馬は心配しなくていいのよ?」
「姉さんの大嫌いなやつがいるのに、戻ってくるなんて変だよ」

 沙代子の行動を不可解に感じているみたいだが、やはり彼は淡々としている。

「……悠馬」
「姉さんの、は違うか。俺も嫌いだし」
「そんなこと言いに来たの? 天草さんもいらっしゃるし、とにかく中に入って」

 心配そうにする天草さんに気づいて、沙代子はあわてて玄関扉を開く。

「天草さん、ごめんなさい。秋祭りの話はまた」
「あ、うん。困ったことがあれば、言って」
「すみません。名刺いただけますか?」

 唐突に、悠馬が天草さんにそう言う。

「え、俺の? いいよ。待って」

 天草さんは驚いたようだが、すぐにトートバッグを開くと、カードケースから名刺を取り出す。

「まろう堂っていうカフェをやってます。しばらくこっちにいるなら、寄ってもらえるとうれしいな」
「古本、扱ってるんですね」

 天草さんの言葉を聞いているのかいないのか……、いや、悠馬のことだから、しっかり聞いているんだろうけど、名刺を確認すると、彼は無感情につぶやく。

「葵さんの……っていうか、悠馬くんのお父さんの古本を預かって販売してるんだよ。まろう堂は城下町の東通りの入り口にあるから、よかったら来てください」
「はい。行かせてもらいます」

 悠馬は礼儀正しく頭を下げると、さっさと開いた扉の奥へと進み入る。

「天草さん、本当にごめんなさい。じゃあ、また」

 沙代子はそう言い置いて、彼からの返事を待つことなく、悠馬を追いかけた。
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