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月と水と
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この間、実朝が三浦義村の歓待を受けた三浦の海辺で見た月は格別だったとか。
御台所が幼い頃見た京の鴨川の水辺に映る月も美しかったとか。
将軍夫婦は、御所の縁側で、夜空に冴えわたる銀色の月を共に見上げながら、仲睦まじく語り合っていた。
そこから話が弾んだのか、実朝は、突然、御台所を連れて夜のお忍びに出かけたいと言い出した。
まだ日の出前に時鳥の初音を聞きに行ったり。
永福寺に御台所と一緒に夜桜を見に行ったり。
主君が、突然お忍びでのお出かけを強行することは実はよくあることだった。
「相変わらず、仲の良いご夫婦であることだ」
泰時の他に供をすることになった者達は、やれやれいつものことだと半ば呆れつつも、仲睦まじい主君夫婦の姿を微笑ましく見守りながら、支度を始めた。
「この間、三浦の海辺で見た月は格別だったが、あの時は御台はいなかったから。今夜は船を浮かべて、川辺に映る月を共に見よう」
実朝はそう言って、御台所に手を貸して同じ牛車に乗り込んだ。
実朝の瞳は、夜空に輝く銀色の月のように澄んでいた。
だが、月の光は万人を照らすが、実朝の瞳に映るのは、いつも愛する妻ただ一人だった。
泰時は、そんな主君を見るたびに、胸が締め付けられるように痛んだ。
主君夫婦が川辺に浮かべて乗った小舟に、警護のために泰時も同乗した。
「ちはやぶるみたらし川の底きよみのどかに月の影は澄みにけり。ここは本当はみたらし川ではないのだけれど」
実朝は、歌を口ずさんで御台所に語りかける。
「川の底が清らかなので、月の光は澄んでいるのだね。川の水のようにあなたが清らかで美しいから、月も澄んで輝いていられるのだよ」
サラサラと流れる川の音以外は何も聞こえない静寂のせいか、実朝が御台所の耳元でそっとささやいた言葉が、泰時の耳にも聞こえてきた。
月の美しさを女性の美しさにたとえるのが通常であるところ、川の澄んだ美しさを愛する妻に重ねて先に見たのが、実朝独特の感性であるともいえようか。
「まあ、そのようなことをおっしゃっては。私はどのようにお返ししたらいいのかわかりませんわ」
「御台は返歌をくれないそうだ。ならば、太郎。御台の代わりに、御台の気持ちになって詠んでみてくれないか」
夫婦だけの会話から、突然矛先を自分に向けられて泰時は大いに動揺した。
実朝の目はいたずらっ子のように輝いている。
(私の気持ちも知らないで。無邪気な顔で何と意地の悪いことをおっしゃるのか)
涙目になりそうなのを必死で堪えて、泰時は目を閉じて、主君の問いかけに思案する様子を見せた後、やがて歌を口ずさんだ。
「ちはやぶる神世の月のさえぬればみたらし川もにごらざりけり」
神の世から月が冴えて澄んでいるからこそ、みたらし川もにごらずにすんでいる。
月のように御所様が澄んでいらっしゃるからこそ、私もにごらずにいられるのですよ。
「私にとっては御所様こそが澄んだ月なのです。太郎殿、ありがとう」
「そう言われると、私の方も嬉しいような、恥ずかしいような」
微笑み返す実朝の瞳には、やはり御台所しか映っていない。
(聡明だが、こういうことには鈍い方だから。永遠に気づきはしないだろうな)
万人を優しく温かく照らす月の光のような実朝。その澄んだ姿があればこそ、泰時を始め、実朝を慕う多くの者達はにごらずにいられるのだ。
けれども、ほんの一時でもいいから、万人を照らす月を自分一人だけのものにできないだろうか。
泰時は、大きなため息をついて、舟の縁にしゃがみこみ、澄んだ川の水を両手でひとすくいし、水に映る月をそっとその手に閉じ込めた。
御台所が幼い頃見た京の鴨川の水辺に映る月も美しかったとか。
将軍夫婦は、御所の縁側で、夜空に冴えわたる銀色の月を共に見上げながら、仲睦まじく語り合っていた。
そこから話が弾んだのか、実朝は、突然、御台所を連れて夜のお忍びに出かけたいと言い出した。
まだ日の出前に時鳥の初音を聞きに行ったり。
永福寺に御台所と一緒に夜桜を見に行ったり。
主君が、突然お忍びでのお出かけを強行することは実はよくあることだった。
「相変わらず、仲の良いご夫婦であることだ」
泰時の他に供をすることになった者達は、やれやれいつものことだと半ば呆れつつも、仲睦まじい主君夫婦の姿を微笑ましく見守りながら、支度を始めた。
「この間、三浦の海辺で見た月は格別だったが、あの時は御台はいなかったから。今夜は船を浮かべて、川辺に映る月を共に見よう」
実朝はそう言って、御台所に手を貸して同じ牛車に乗り込んだ。
実朝の瞳は、夜空に輝く銀色の月のように澄んでいた。
だが、月の光は万人を照らすが、実朝の瞳に映るのは、いつも愛する妻ただ一人だった。
泰時は、そんな主君を見るたびに、胸が締め付けられるように痛んだ。
主君夫婦が川辺に浮かべて乗った小舟に、警護のために泰時も同乗した。
「ちはやぶるみたらし川の底きよみのどかに月の影は澄みにけり。ここは本当はみたらし川ではないのだけれど」
実朝は、歌を口ずさんで御台所に語りかける。
「川の底が清らかなので、月の光は澄んでいるのだね。川の水のようにあなたが清らかで美しいから、月も澄んで輝いていられるのだよ」
サラサラと流れる川の音以外は何も聞こえない静寂のせいか、実朝が御台所の耳元でそっとささやいた言葉が、泰時の耳にも聞こえてきた。
月の美しさを女性の美しさにたとえるのが通常であるところ、川の澄んだ美しさを愛する妻に重ねて先に見たのが、実朝独特の感性であるともいえようか。
「まあ、そのようなことをおっしゃっては。私はどのようにお返ししたらいいのかわかりませんわ」
「御台は返歌をくれないそうだ。ならば、太郎。御台の代わりに、御台の気持ちになって詠んでみてくれないか」
夫婦だけの会話から、突然矛先を自分に向けられて泰時は大いに動揺した。
実朝の目はいたずらっ子のように輝いている。
(私の気持ちも知らないで。無邪気な顔で何と意地の悪いことをおっしゃるのか)
涙目になりそうなのを必死で堪えて、泰時は目を閉じて、主君の問いかけに思案する様子を見せた後、やがて歌を口ずさんだ。
「ちはやぶる神世の月のさえぬればみたらし川もにごらざりけり」
神の世から月が冴えて澄んでいるからこそ、みたらし川もにごらずにすんでいる。
月のように御所様が澄んでいらっしゃるからこそ、私もにごらずにいられるのですよ。
「私にとっては御所様こそが澄んだ月なのです。太郎殿、ありがとう」
「そう言われると、私の方も嬉しいような、恥ずかしいような」
微笑み返す実朝の瞳には、やはり御台所しか映っていない。
(聡明だが、こういうことには鈍い方だから。永遠に気づきはしないだろうな)
万人を優しく温かく照らす月の光のような実朝。その澄んだ姿があればこそ、泰時を始め、実朝を慕う多くの者達はにごらずにいられるのだ。
けれども、ほんの一時でもいいから、万人を照らす月を自分一人だけのものにできないだろうか。
泰時は、大きなため息をついて、舟の縁にしゃがみこみ、澄んだ川の水を両手でひとすくいし、水に映る月をそっとその手に閉じ込めた。
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