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序章 第一話 日常

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とある部屋の一室。真ん中のテーブルを囲むように四人の女子高生が座っている。その上には教科書やノートが広げられており、シャーペンがカリカリと音を立てている。

窓の外は夕方特有のオレンジ色で染まっており学校が終わり、そのままここに集まったという感じだ。

『あんず、ここ教えて』
『うんっ、いいよ』
『私はここ教えてくれるかな?』
『うん、わかった』

あんずと呼ばれた女生徒は少しも嫌な顔をせず相手にあわせて説明の仕方を変える。

そのやり方はとても分かりやすいのであろう、質問をした二人(ありさ、めぐ)の晴れ晴れとした表情が物語っていた。

『ほんとにあんずの説明は分かりやすいな』

めぐが嬉しそうに呟く。

『ほんとほんと、さすがは学年トップのあんずちゃんだよね』

とありさがいつもの調子で茶化す。

『そんなにわかりやすいかなぁ、でもそういってもらえると嬉しい!!』

あんずは頬を赤らめながら、笑顔で素直な気持ちを口にした。

『うーん、どうやったらそんなに頭よくなんのさ。あぁ、もうぜんっぜんわかんないっ!!きっと今回も駄目だな私』

一人教科書とにらみあっていたるりが嘆く。

『るり、諦めちゃ駄目だよ。頑張ろ!!』
『そうだよるり』
『るりも補習なんてしたくないでしょ?みんな一緒』

めぐ、あんずに続いてありさも口を挟む。それぞれ短い言葉ながら、るりをもう一度やる気にさせるには十分な力があった。これが友達というものなのだろう。

・・しかしもう日は落ち時計の針は十九時を回っていた。今日は解散することに。

『じゃ、またね』
『うん、ばいばい!』

あんずは、手を振りめぐを見送る。

『今日はあんがと、わたしもうちょい頑張ってみる』
『るりならきっと大丈夫だよ。わかんないこととかあったら遠慮しないで電話してくれていいから』
『うんっ、あんず!・・なんかわたしやれる気がしてきた!』

めぐとるりを見送ったあんずはトイレに入っているありさを待つ状態だ。

『ふぅ、すっきりしたぁ』

水の流れる音が聞こえ、ありさがトイレから姿を現わした。

『なにも声に出して言わなくても』
『ふふ、気にしない気にしない』

といつもの笑顔。ありさの言葉には相手を(そういうものなのかな)って思わせる力がある。そんなオーラをまとった女の子だ。

『・・ねぇ、あんず・・』

靴を履きおわったありさは振り返るとあんずに話かける。その表情、声のトーンからは先程の明るさが感じとれない。

(なにかあったのかな・・それも大変なことが?)

あんずは一度も見たことのない親友の変わり様に戸惑いながらも、その後に続くであろう言葉を待った。

『・・あんず・・・あのね・・』
『・・・うん』

『・・信じて・・・もらえない・・と・・思うんだけど・・昨日の夜・・・みちゃった・・んだ・・人の死ぬ・・ううん・・たべ、食べ・・
られる・・とこ』

『・・えっ』

あんずには始め理解し難い話だったが、ありさの今の状態を見れば嘘、偽りのない真実だと言うことはわかる。

今まで一度として涙を見せずに他人を励まし元気づけてきたその親友が今、自分の目の前で涙を流し、小さく震えているのだから。

(だからといって、私に何ができるの?話をきいてあげることしか)

『・・やっぱり・・こんな話、信じられないよね・・』

(ありさは私にどうしてほしいんだろう・・わかんないよ)

『もういいよっ!!』

ーバァンッ!!

玄関の勢いよく閉まる音があんずの奥深くに響き、突き刺さる。

『あっ、ありさ!』

(ちがう・・ちがうんだよ・・信じてないわけじゃないよ・・信じる・・信じて・・そうだ・・ありさはこの言葉を待ってたんだ・・それなのにわた・・私は・・・

自分に何ができるとか考えてて・・そんなに凄い人間じゃないのに・・ごめん・・ごめんなさい・・傷つけちゃったよね)

とめどなく溢れ出してくる涙・・・それはあんずの後悔、懺悔の気持ちを現したようだった。

感情の波に呑まれ、あんずの家を飛び出してきたありさはただやみくもに走り続けていた。視界を妨げる涙を拭いながら・・彼女の精神状態がそれを促していた。

・・しかし、体力にも限界というものがある。だんだんと速度が落ちて、徒歩になるのは当然というものだ。自分の駆け足の音が消え、周りの静けさがありさの心に恐怖を植え付ける。

『・・ここ、どこ?』

今だ止まらない涙を手で拭いながらキョロキョロと辺りを見回す。

どうやら途中で道を間違えたらしかった。見覚えのない景色に自分の血の気が引いていくのがわかる。感情に呑まれ振り回された結果だった人気がなく闇に覆われている状態・・まさに絶望。

『うそ・・そんな・・』

絶望という名の現実。それはありさの思い出したくない記憶をフラッシュバックさせはじめるやがてそれは鮮明に脳裏に広がり形作る。

(いや・・暗い・・怖い・・怖いよ・・誰か・・誰かたすけて)

『いっ、いやああああああっ!!』

思いはやがて絶叫となり、漆黒の世界に響きわたる。

・・ガサッ

『・・えっ』

ありさの人としての防衛本能が働いたのだろう。いつの間にか涙はとまり音のした一点を見つめていた。

ガサッ、ガサガサガサ・・

『・・なに・・えっ・・なんなのよ』

草木の擦れあう音、掻き分ける音。風はない・なにかがいる。その音がだんだんと近づいてくるにつれ、自分の心臓の鼓動がはやくなるのがわかる。

『いや・・こないで・・こないでよおおおおっ!!』

姿の見えない何かに恐怖する。暗闇・・頭の中を支配している思い出したくなかった戦慄の記憶。それらが拍車をかけているのだ。

急に身体の力が抜け、立っていられなくなる。ドンッっと後ろに尻餅をつく。

すぐにでもその場所から離れたいと思い脳から各部に指令を送る。人が何か行動をするときなどにする事。だが、それを肉体が受け付けなくてはどうすることもできない。

(動け・・動いてよ・・動けえええええっ!!)

『おいっ!』
『ヒッ』

身体全体を引きずるように後退していたありさは突然の声、肩に感じる温もりに小さな悲鳴をあげた。

『・・おいっ!どうしたっ!しっかりしろ!!』

とても力強く、頼りがいのある大人の男性の声それはありさの心を支配していた絶望という名の暗闇に希望の光をさしこませる。ゆっくりと振り返りその姿を確認する。

警官だった。何かを調べに来ていたのであろうその手には懐中電灯を握っていた。なんでこんな時間に・・とも思ったがそんな事を今は気にする必要はない。

『うわああぁぁぁんっ!!』

感極まりとまっていた涙が再び溢れ出す。気づいた時にはその胸に飛び込んでいた。

始めはいきなりの出来事に驚きを隠せない警官だったが、その気持ちを理解したのであろうありさの小さな背中を包みこむように腕をまわした。

(・・あったかい)

『もう・・大丈夫だ』

・・今まで生きてきた人生の中でこれほどこの言葉に安心感、安らぎを覚えることはなかったであろう、そして人の体温を暖かく感じることも・・。

警官は背中に回していた腕を戻すと、腕時計に視線を移し時間を確認する。

そして再びありさに視線を戻した。

『・・さぁ、もうこんな時間だ家まで送ろう』

(帰れる・・家に帰れる・・ここから出られる・・)

『家は・・どこだい?』

警官はありさを刺激しないよう、幼い子供と話すような口調で優しく問いただす。

『に・・ヒック・・にし・・クッ・・ウゥ・・』

なんとか口に出して伝えようと思うのだがままならない。

『相当怖い目にあったんだな・・可哀想に。とりあえずは明るい所まで行こう。ほら』

警官はそう言いながらありさの前に手を差しのべる。

小さな手のひらが、大きな手のひらに包まれるそれは成るべくしてなったもの・・警官である姿がそうさせた?

・・いや、今手を握ってくれている一人の人間の(人間性)が16歳という年頃の少女に安心感を与えたのだ。

・・始めは自分だけだった足音が今では二つ響いてくる。

(・・一人じゃない・・一人じゃないよ・・)

ありさは人の温もりを今一度実感するため、手に力をこめる。

『はははっ、大丈夫だ。私はここにいるよ』

と優しい声。暗闇で表情は見えないがきっと笑顔だろう。

・・一言でいいからお礼を言いたい。大分気持ちが落ちついてきたありさは自分にしか聞こえない声で呟いてみる。

(あ・・ありが・・とうござ・・います・・ありがとうございます!!・・言えた・・よし』

『あっ、あの、ありがとうございます!!』
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