小指は契約の香り-秘密の二人編-

弥都 史誠(ヤツ フミタカ)

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第八章

『手紙』

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「アグリビジネスとは“農業”と“ビジネス”を合わせた造語になるわけですね」
 シエンの声が、静かな教室内に響く。
 その声に合わせるかのように、生徒達がノートやタブレット端末を使い、メモをして行く。
「──アグリビジネスは農業関連に携わる企業を指します。例えば、農産物の生産は勿論ですが、流通、加工、最新のテクノロジーを駆使して品種改良をしたりする事も含まれます。では、次の項を…そうですね、今日は二十五日ですから十番の方、読んで下さい」
「え~俺か~」
 教室内に笑いが起こる。
 指された男子生徒が渋々立ち上がり、教科書を読み始め、他の生徒はそれを目で追って行く。
 シエンは教科書を片手に、机の列の間をゆっくりと歩く。
 ロイスはチラリとシエンを見て、すぐにタブレット端末に目を戻した。
(来る! …シエンが来るっ)
 心臓の鼓動が早くなる。
「はい、ありがとうございます。次を七番の方お願いします」
「は、はいっ」
 続いて指名された女子生徒が立ち上がり、続きを読み始めた。
(あ…またあの紅茶に似た香りだ…)
 シエンが横を通り過ぎる。アマンシアが言っていた、シトラスの香りではない。
 香水には疎《うと》い自分でも、シトラスがレモンやライムの、柑橘系のスッキリとした酸味のある香りだということくらい判る。
 一番後ろまで行くと、隣りの列へは行かず、再びロイスへ近付いて来る。
(──まさか、本当に俺の授業のある時だけ、この香水なのか?)
 シトラスと同じ柑橘系の香りがほんのりするが、酸味は全く感じられない。
(──やっぱりそうだ。アマンシアの言っていた香りと違う)
 シエンがロイスの横で止まる。
 心臓が跳ね上がるが、ここで顔を上げてシエンを見るのは不自然だと、じっと我慢した。
「ありがとうございました」
 と、シエンが言ったと同時に、ロイスの目の前に四角に折られた白い紙がコトリと落とされた。
(え…?)
 ロイスが視線を上げると、シエンが教壇へ戻って行く。
「では、今のところを解説します」
 シエンが黒板に向かって、図を描いている。
 黒板に書かれているシエンの文字は、大きく見やすいが、何となく意図して見やすく書いているように見えた。
 ロイスは落とされた紙を見る為に、こっそりと手に取る。
「……‼︎」
 一気に顔が熱くなる。
 裏側に落ちた手紙をひっくり返すと、真ん中にハートが折り込まれている。
 初等部の頃、シエンに折り方を教えて貰った覚えがあるが、まさか今ここで使って来るとは思わなかった。
 こんな物がレイモンドに見つかったら、また何を言われるか判ったものではない。
 何食わぬ顔で、そっと手紙を開いていく。
『今度の土曜日、空いていますか? X.U』
 と、先日の封筒と同じ、少し小さく文字間の詰まった、シエンの手書きの文字が並んでいる。。
 一瞬、呼吸が止まった。
(こ、これは…まさかデートのお誘い⁉︎)
 ロイスは瞬時に頭の中でスケジュール帳を検索する。
(──土曜日…空いてる! 予定が入っていたとしても、キャンセルする‼︎)
 手紙の折り方から、これは間違いなくラブレターであり、デートの誘いだ。
 瞬きが多くなり、視線が定まらない。顔が綻ぶのを必死で堪え、唇が震える。
 返事はどう伝えようか…。
 レイモンドがいつも使ってくる、ノートの切れ端を使うか? いや、そんな生徒間で授業中に、先生の目を盗んでやるような手は使いたくない。
 それから、何て書けば良い?
 「OK」だけでは簡潔で、他人に見られたとしても、何の返事か判らないだろうが素っ気ないと思う。
 どうやって渡す?
 メールで送るにも、まだプライベートの携帯電話の番号もメールアドレスも交換していない。この前…指切りをした、あの日に連絡先の交換をしなかったことに、激しく後悔をする。学校のタブレット端末なら可能だが、使う訳にいかない。
 迷いながらロイスが顔を上げると、図の説明をしているシエンと目が合った。
 心臓が高鳴るのは、シエンと目が合ったからなのか、授業中に秘密の手紙を受け取ったからか、デートの期待からなのか。
 ロイスはシエンに向かって、ゆっくりと頷いた。
 ロイスからの返事を確かに受け取った、と合図するように、シエンは笑った。
(──つ…伝わった、のか?)
 ロイスは慌てて板書を始める。
 前に座るロドルフの大きな背中の向こうで、レイモンドが振り返って、面白い物を見るかのように、ニヤニヤと笑っている。
 それに気付いたロイスは眉間を寄せると、アイスブルーで射る。
「ここまでで判らないところはありますか?」
 レイモンドは肩を竦めると、前を向いた。
「──質問は無いようですね。判らない所があれば、後からでも聞きに来て下さい」
 ロイスはシエンからの手紙を、丁寧に四つ折りにし、とりあえずノートの間に隠した。
 そこで終業のチャイムが鳴った。
 シエンが教室を去ると、すぐにレイモンドがロイスの元へやって来る。
 隣席のクラスメイトがいない隙に、椅子を奪うとロイスの机に肘を付いて、目尻を下げて笑っている。
「…何だ、その顔は」
 ロイスは悟られないように、いつものポーカーフェイスに戻す。
「いやいや~。あのセンセ、坊ちゃんの横で止まってたじゃん? 坊ちゃんがどんな顔してんのかな~って思ってさ。つか、見るなって方が無理じゃん?」
 レイモンドには、手紙を受け取ったことはバレていないようだ。
 ロイスは地理の教材をまとめて机の中にしまう。
「何が言いたい」
「別に~。滅多に見られない坊ちゃんの反応が面白いだけ!」
「…お前は何をしに学校に来ているんだ?」
 レイモンドはロイスが反撃に転じて来たことに、驚きの表情変わる。
「お、俺? 俺は坊ちゃんの護衛だよ?」
「だから、頼んでいない。お前が生徒会室に来ているのは…」
 ロイスはレイモンドに視線を移すと、ニヤリと笑う。
「──アマンシアが目的だろ?」
「ちっ…ちげぇよ‼︎」
 レイモンドの耳が、赤くなる。
「──便所、行こーっと」
 レイモンドはわざとらしく立つと、去って行く。
「フンッ」
 いつもやられてばかりいられるか。
 しかし当てずっぽうで、確率は四割と睨んでいたが、まさか当たるとは思ってもみなかった。
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