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一章〜すれ違い〜

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「大翔は運動部に入っていそうなのに、経済部に入っているんだよな。笑える!」

 俺が大翔に借りていた教科書を届けに行ったのは、校舎五階にある多目的準備室兼経済部の部室だった。経済部は何をするんだと以前聞いたら何も理解できなかったので、活動目的および活動内容は不明。だが彼がこの部活に入っている理由は、顧問の立川先生に憧れているからだそう。

「てか、お前立川先生のこと、好きすぎだろ!」
「うるさい、鳴海!」

 大翔のもとに行った時、ちょうど経済部の活動は終わりを迎えようとしていた。部室を後にする立川先生に挨拶して帰り支度をしている彼に、一緒に帰ろうと誘いをかけた。そして今は、二人で校舎裏に置いてきた弁当箱を取りに戻る最中だ。

「そんなに好きなら、立川先生に告白しちゃえよ。なぁ!」
「そんなんじゃないってば、たくっ。それをいうなら、鳴海だってなんだかんだで渉のこと好きだよな」
「はぁ、なんで?」

 納得のいかない言葉に、不服の体当たりをくらわせる。それをたくましい体で受け止めて、びくともしない大翔が俺の頭をはたく。

「だってそうだろ。鳴海は嫌いな相手に、あんな付き合い方しない。嫌いな奴は、とことん嫌いだし噛みつく。そうだろ?」
「いや、だってイジメるから。好きも何も、怖いだろう……」
「まぁ。お前に比べて渉の方は正直というか、不器用というか」
「はぁ?あいつなんて俺のこと大嫌いに決まってるじゃん!」
「相手が鈍感過ぎるのも、問題か……。あ、それよりこの道に入るんだっけ?」
「そうそう、そっちの方が近道だから」

 俺は人間一人なら悠々と通れる、狭い脇道を指差した。そこを通れば校舎をまわるより、幾分か近道になる。

 先を歩いていた大翔がその道を左折しようとしたとき、突如不良らしき数人のグル―プがその脇道から飛び出してきてぶつかりそうになる。だが大翔は持ち前の反射神経でぶつかることを回避。二歩ほど退いて奴らを見物した。

 見た目でも随分痛そうな打撲や怪我をしており、酷い奴は額から血を垂れ流して足をひきずっている。不良たちは俺らに目もくれず、どこかへ走り去っていった。

 さして平和とは呼べない公立学校なだけに、喧嘩は多い。だが、あそこまで酷い仕打ちを受けている奴らは初めて見た。大翔が感想を告げようとして、俺はあることに気づく。

「喧嘩かな?」
「……いや、なんでもない」

 別に何かを感じ取ったわけではない。しかし嫌な予感というものが胸の内から湧き上がるもので、先ほどの不良達が通り過ぎた横道を速足で駆け抜ける。そこを抜ければ、すぐに子犬がいるはず。

 大翔の追いかけてくる足音を背後に聞きながら、その通路を抜けた。そして、そこで最も見たくない相手と対峙する。

「……渉」
「あぁ、鳴海さん」

 彼がそこにいたことよりも、足元にある塊に俺は息をのんだ。それは、先ほどまで俺が撫でていた子犬の姿。何故か土埃で汚れて、遠目でも死んでいると分かった。

「そいつ……し、し、し」
「この犬?うん、死んでるよ」

 大翔が息をきらしながら、俺に追いついた。しかしこの状況を理解できないのか、俺と渉を交互に見比べている。俺も全てを理解したわけではないので、この状況の説明ができない。ただ死んだ子犬の傍らに立つ無表情の彼が、異様な存在のように見えた。

「お前が……お前が殺したのか?」

 静かに問いかければ、渉はしばし考える仕草をして「……そうだね、俺が殺したようなもんだよ」と頷いた。その肯定の言葉だけで充分だった。

 彼に走りよると、力の限り殴りつけた。なんの受け身をとらなかった渉が、盛大にふっ飛ぶ。俺を即座に見上げてきた綺麗と称される顔に、赤い殴り痕がついた。口の端から血が流れている。口の中を切ったのだろう。

 彼をどかすと、しゃがんで子犬を拾い上げて抱きしめる。気付けば怒りが先に立って叫んでいた。

「お前に、お前にこいつの命を奪う……奪う権利なんてない!」

 いっているそばから涙が止まらなかった。温もりが過ぎ去ろうとしている子犬の体を強く抱きしめれば、俺の涙がその体に雨をふらす。

「他人の命をどうこうするっていう権利なんて誰にもないさ」

 渉が立ち上がりながら、俺の言葉に返答する。

「それでも……それでもお前を許さない!お前なんて嫌いだ!大嫌いだ!世界で一番……嫌いだ、馬鹿野郎」
「……なんだ、少しは好かれてたってことか」

 俺の告白に何故か卑屈な笑みを向けてくる。いつもの無表情ではない。殺気が宿る目つきに、怒っていた俺の体がすくんだ。

 その威圧を放ちながら、一歩距離まで近づいてくる。俺の頬に流れる涙を手でぬぐってきた。殴られると思って身をすくめていた俺は、さらに身を固くして防御を固める。

「あんたは……俺の前だと泣いてばかりだな」

 そういって大翔の横をすり抜けると、俺たちが通ってきた抜け道を曲がって姿を消した。あとに残された俺は彼が声をかけてくれるまで、そこで盛大に泣き続けた。

 その日。俺は大翔と共に、校舎裏の桜の木の根元に穴を掘ってそこに子犬の遺体を埋めた。
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