上 下
13 / 35
二章〜最後の鬼ごっこ〜

しおりを挟む
 雨の音で目が覚めた。鳴海さんの教室、鳴海さんの机で帰りを待っている間。先ほどのとりとめのないことを考えてしまうので、さっさと腕に顔をのせて寝た。

 あれから二時間は寝ていたらしく、時計を見れば五時を指している。窓をたたく水滴をみて、雨が降っていることに気づいた。教室は暗く、俺一人しかいない。よほどこってりと絞られているらしい。

 まだ来る気配がないので、少し伸びをしてトイレに行こうと薄暗い廊下に出る。すぐ出て行ったつきあたりにトイレはある。あくびを噛み殺しながら、そのつきあたりを曲がろうとしたとき。

「俺に?」

 鳴海さんの声だと、俺の足が歩みを止める。どうやらトイレの前というよりトイレの少し横にある階段前で、誰かといるようだ。なぜか分からないが、彼に気づかれぬよう壁を死角にして様子をのぞいてみた。

 鳴海さんがいる。そして、隣に見知らぬ女がいた。

「これ、お願いします!」
「でも……その、でもさぁ」
「一生のお願いなんです!本当に、お願いします!」

 暗くてそこまではっきり見えるものではなかったが、女生徒が彼に手紙を渡している。それをみれば、ラブレターを渡されていることくらい一目で理解できた。その現場を見つけたとたん、息苦しくて仕方ない。
 鳴海さんに好意を向けている、俺以外の人間が。俺以外の人間が鳴海さんの隣にいる。鳴海さんが、俺以外の人間と……。

「でもなぁ……」

 女生徒の押しに彼が尚も渋るのをみて、ただ一心に受け取るなと唱えて拳を握りしめた。鳴海さんが受取らなければ、全てはセーフ。だが、女もしつこくすがっている。止めろと、今すぐ飛び出して二人の間に割って入りたい衝動を抑え込む。

 鳴海さんが受取るはずがないと自分に言い聞かせながら、耳に神経を集中させて返答を待った。その時間、たったの十秒。だが、俺には一時間にも感じられた。そして。

「分かったよ……」

 しばらく、世界が凍りつく感覚を味わった。

 女生徒が手紙を渡したのか、礼を述べて階段を降りる音が聞こえる。彼が手紙を入念にみているのか紙擦れの音がした。

 こちらに向かって歩いてくる足音。戻らなければ……。だが、動けない。鳴海さんがこちらを曲がってくる……この場を離れられない。

「うわぁぁ……て、渉!?」

 壁に隠れるようにして立っていた俺に悲鳴を上げた。俺が幽霊にでもみえたのだろう。彼は怖がりだから。

 化け物ではなく俺であるとわかったとたん。鳴海さんが胸をなでおろすが、どこかうろたえた様子にみえた。

「その、ごめんな、遅くなって!迎えに来たのか!?実は、先生が1200字の課題押し付けてきてさ。それで、その課題がけっこう」
「その手紙、貰ったの?」

 何かをごまかそうとする彼に苛立って、先に切り出した。白い封筒にハートのシールが貼られている、安っぽい愛の手紙。俺が手紙を直視していることに気づいた鳴海さんが、何故かそれを背中に隠した。

 作り笑いを俺に向けて、ごまかそうと必死に目線をそらす。作り笑いなんて初めてだ。

 その行為と笑顔が俺の崖っぷちの理性を追い詰める。そして重なるように、星野さんと立川の姿が浮かぶ。じくじくと、火傷が痛むのだ……。

「その、これはさ、違くて……それより、渉さぁ」
「ねぇ、なんで手紙隠すの?」
「なんでって……?」
「さっき、そこで女の子から貰ってたよね?見てたよ、俺。なんで受取ったの?鳴海さんの好みのタイプだった?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ねぇ、はっきり答えて」

 俺から視線をそらす鳴海さんを壁に押し付けて、逃げ場をなくす。正面から睨みつけながら、本音を吐き出した。抑えようとしても、先ほどの指先から凍りつく出来事に、自重という防御は効き目を果たせそうにない。
 鳴海さんはあの女が好きなの?鳴海さんは手紙をもらって嬉しい?鳴海さんは俺よりあの子といる方がいいの?ねぇ、鳴海さん鳴海さん鳴海さん……。あぁ、心が止まらない。

「答えてよ!」

 全ての質問を終えて応えを求めるが、彼は今にも泣きそうな顔をしていた。作り笑いよりはマシだと考えて、自嘲する。

「渉……なんで?」
「なにが?」
「なんで……、なんでそんなこと聞くんだよ?お前には関係ないだろ?」
「え?」
「だって、そうだろ!俺が誰から手紙をもらおうが、お前に関係ないし、気にすることでもないし。それなのに……渉、すごい怖い……なんでそんな泣きそうな顔して怒ってるんだよ……」

 鳴海さんの目から、とうとう涙がこぼれおちる。
 彼に友達と認識されてから、一度も泣かしたことはなかった。いつだって初めて会った時と同じように、笑ってほしくて努力したつもりなのに……どうして、あんたが泣くんだ。
しおりを挟む

処理中です...