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一章〜瑞生と禄郎〜

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 あれは大学に入ったばかりのころだった。

 幼くて人見知りだった瑞生の前に突然現れた太陽のように眩しい存在。その求心力はあっという間に人を集め、にぎやかで笑いの絶えないかたまりの中心にいたのが禄朗だった。

 一目惚れだった。その眩しさにくらんでしまったのは、多分瑞生だけじゃない。

 憧れを込めた視線を送っている人がたくさんいる中、たまたま同じゼミでたまたま前後に並んでいて話をするようになれたのが信じられないくらいの奇跡だった。

 最初はおどおどと、だけど強い力で禄朗に引き込まれていく。元々にぎやかな場所が苦手でうまく交じりきれない瑞生に、禄朗はいつも声をかけてくれた。

 写真が好きなんだとはじけるような笑顔で語っていた禄朗。

 隣にいれるだけで幸せで___好きだとは言えなかった。恋愛感情だとバレてしまったら、もう笑いかけてはもらえない。だから気持ちを押し隠して、友達でいれたら十分だと言い聞かせていた日々。

___きっかけはなんだったっけ、と記憶をたどっていく。多分あれは、サークルに誘われた時だったと思う。

「瑞生も一緒に写真サークルに入ろうぜ」

「……サークル?」

 垢ぬけなくて引っ込み思案だった瑞生がたじろぐと禄朗はおもむろに近づき、顔を隠していた長い前髪をグっとかきあげて「やっぱり!」と叫んだ。

「お前、絶対、美人だと思ったんだよなー」

 キラキラとした瞳で禄朗は勝ち誇ったように笑った。

「その前髪で顔を隠すのやめてさ。もっと、堂々として……視線上げて、背筋伸ばして。心の中でいってみ、ぼくは美人です、って」

「美人、て、なにを……?」

「瑞生のこと!絶対きれいだと思ってた。おれの勘は大当たりだな」

 うんうんと一人納得したようにうなずきながら、強く言葉をつなぐ。

「なあ、顔隠すのやめとけって。もったいないから。おれの行きつけの美容室連れってってやるよ。任せろ」

 ぐいぐいと腕を引かれ、何が何だかわからないうちにおしゃれな美容室の鏡の前に座っていた。緊張のあまりおどおどとしていても、大丈夫だからと言われるとと本当に大丈夫な気になってくるから不思議だ。

 禄朗は片時も離れず美容師と何やら言葉を交わし、その都度瑞生は変化していった。彼の望むように作り変えられていく。それは興奮さえ与えてくれる体験だった。

 こざっぱりと整えられた鏡の中の自分が自分じゃないようでオロオロする瑞生に禄朗は満足そうに笑いかけた。

「想像以上。やっぱお前きれいだわ……惚れる」

「ほ、惚れるって……っ」

「うん」

 禄朗は独りごちて何かを得たように頷くと今度は買い物へ行こうと連れ出された。

「おれ好みに変えちゃっていい?」

「……いい、けど」

 それはとても気持ちの高ぶる時間だった。
 自分をあまり構わず、普段の買い物も適当に済ませていた瑞生の世界が禄朗によって更新されていく。

 知らない世界、見たことのない煌めきの中に瑞生は足を踏み入れ始めた。

 あまり高くもないのに質が良くて瑞生になじむような服を選び、どんどん垢ぬけていく様を禄朗は嬉しそうに眺めている。

「いいなあ、やっぱりおれのタイプど真ん中だった。なあ、おれたち付き合わない?」

 その日の帰り道、なんでもないことのように禄朗は言った。

「つきあうって、どこに」

「そうじゃなくて、おれと恋人同士になろうってこと」

「こ、恋人?!」

 思いもしなかった展開に瑞生は動揺した。ほのかな想いがばれていたのかと焦ったがそうではなかったようだ。禄朗が真剣な顔で瑞生に求愛している。

「おれじゃダメ?」

「ダメ、じゃ、ない……けど」

「ホント?やった、じゃあさ、モデルになってよ」

「モデル?!」

 今まで目立たずひっそりと生きてきた日常では起こりえないことが次から次へとおこり、瑞生は必死に頭をひねった。

「君は一体、何を……」

「君じゃなくて、禄朗。呼んで、禄朗って」

「ろ、くろう」

「そう。おいで」

 手をつながれ、禄朗の家へと連れていかれた。瑞生の住む一人暮らしのマンションより少し小さくて古ぼけたアパートの一室で、その日瑞生は禄朗を初めて受け入れたのだ。








 禄朗に誘われて入ったサークル活動は思いのほか楽しかった。

 カメラを構えた姿はかっこよくて、見惚れていたらいつの間にか写真を撮られていたことなんかザラにあった。

「普段は風景画しか撮らないんだけど、なんだろな……瑞生を初めて見たときから、この子撮ってみたいなって思ってさ」

 布団の中で裸でくつろぎながら禄朗はよくカメラをいじっていた。

 その隣で寝ころびながら、裸で過ごすのはいつまで経っても慣れなくて恥ずかしかった事を覚えている。

「モロ、おれの理想だったっていうか。だから隠された瑞生がもったいなくて、でも、一皮むいたら想像以上に好みだったから、こりゃーほかの奴の目に触れさせるわけにはいかないぞって」

 そんな甘い言葉を吐きながら、シャッターを押していく。

 気だるげでアンニュイな表情の自分の写真を見たときは、これは本当に自分なのかと驚いたりもした。瑞生の知っている姿とはまるで別人で、禄朗にはこう見えているのかとほんの少し誇らしい。

 自信がなく俯いてばかりで、人との距離を怖がっていた瑞生を連れ出してくれた新しい世界。

 禄朗の隣で瑞生はどんどん花開いていく。

 日に日に華やかさを増す瑞生に、いつの間にか取り巻きができ、友人と名乗るものが現れ、それは禄朗がもたらしてくれたものだった。その先に今の瑞生がある。

 あれから10年が経つのか。

 禄朗と離れた世界で築いてきた生活が信じられないくらい、それは生々しく今に接続された。


「ぼくも、会いたい」


 メールにそう返信して久しぶりに味わう甘酸っぱさに端末を抱きしめる。禄朗だけが瑞生に変化を与え、否応なしに新しい世界へと引きずり出していく。

 まだ体内に彼がいるかのようだった。
 散々受け入れた瑞生の体内に、禄朗の命の種がまだ残っている。

 ぼんやりとイスに腰掛けながら空を見上げ、ただ禄朗のことを想っていた。
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