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休日
しおりを挟むそれからは特別なことは何も起きることなく数日が過ぎていき、適度な距離を保ちながら七瀬の後ろを歩く生活が始まってからはじめての週末を俺は迎えていた。
今日は日曜日。俺の日曜日の過ごし方といえば、特に用事がなければ家から出ることはない徹底的なインドア派。
ゲームと漫画とラノベ、そして食事とシャワーで完結するミニマルな生活だ。
しかし、今日の俺は外に出ている。それもよりにもよって街中、文明社会のど真ん中に。
そこから導かれる答えは一つであり、ようは「用事があった」ということ。
そして今の俺の用事といえば、当然の帰結として「七瀬案件」になる。
「そろそろ、か」
スマホの画面を明るくすると、時刻はもう少しで約束の十一時ちょっと前というところ。
念のために一時間前から時間を潰していたが、結局七瀬は時間まで現れなかった。
どうして俺がこんなことをする羽目になっているのかといえば、その原因は昨夜に七瀬から送られてきたメッセージにある。
『明日ショッピングに行きたいと思っているのですが、ついてきていただけませんか?』
やたらと畏まった言葉遣いが如実に表す今の俺たちの距離感に罪の意識を感じながらも、俺の返答は決まりきっていた。
『時間と場所を教えてください』
そして、今に至る。俺は七瀬のことを待っていた。
スマホの時刻表示が、十一時になる。それとほぼ同時に、二つのバイブレーションが連続する。
一つは、あらかじめ設定しておいた三十分刻みのアラームの最後の一つ。
可能な限り七瀬との約束を守るために俺が用意した、目一杯の滑り止めだ。
もう一つは、七瀬専用アプリから。
『着きました。噴水の前にいます』
『了解』
言われるがままに噴水の方を眺めるが、七瀬の姿は見当たらない。
少し角度が違うのかもしれない。
すぐにそう思い、噴水の円周上の点になって俺は歩き出す。
しかしまあ、カップルの多いこと多いこと。
日曜日の昼前ということもあり、百人以上がうごめきあっているような気もしてくる。
実を言えば、俺は人混みが苦手だ。
各々が自分の意志で無軌道に動いているわけだから、それぞれの動きを演算して他人とぶつからないようにするだけでも一苦労。
運が悪ければすぐに頭が痛くなってくる。七瀬みたいにショッピングをするなんて絶対に御免だ。
「――おっと」
飛蚊症みたいに目の中をぐにゃぐにゃと動く人の群れにうんざりしていると、ようやく七瀬を見つけた。
ちょうど俺がいた場所とは反対側だったようだ。
上着はリブニットに、膝下ぐらいまでのフレアスカート。
髪型は今日も少しハネ気味のストレートロング。
上品で清楚な感じが、七瀬によく似合っている。
なんで俺が知っているのかといえば、七瀬から服の名前を教えてもらったことがあるからに他ならない。
まあ、女性服はとにかく種類が多すぎて、とてもじゃないがほとんど覚えていない。
お洒落な女の子はすごいと思う。
『見つけた。反対側だったみたいだ。見つけるのに時間がかかって申し訳ない』
『大丈夫。でも、Tシャツは寒くない?』
「……は?」
スマホの画面から目を離して七瀬を見るが、俺とは明後日の方向を見ているし、こちらに気づいた様子もない。
なのにどうして俺がジーンズの上にTシャツを着ているだけという、ファッションとは程遠い恰好で来ているのを知っているのか。
どうせそんなもんだろうと決めつけているのか、あるいは……先に俺を見つけていて、からかっているのか。
まあ、どうでもいいか。そんなことは。
『俺は体温高めだからな。そんなことより、早く用を済ませてくれ』
『寒かったら無理しないでね?』
『リュックにカーディガン入れてきたから大丈夫』
視界の中の七瀬が動き出す。
七瀬が俺の服装をいじったおかげで少しは気楽に話せる距離感になったことを微笑ましく思いながら、俺は七瀬とアキレスと亀の関係になる。
七瀬が動いて、俺が追う。
七瀬がさっきまでいた地点に俺が着く頃には、七瀬は別の地点に行っている。
動く順番が決まっているから絶対に追いつくことはないし、同じ方向に動き続けているから絶対に離れることもない。
そんな一連のステップを繰り返す。
暇潰しに数えたステップが十を越え、信号を三つほど超えたところで、俺のスマホが振動した。
『ここに入ります』
大雑把に「ここ」って言われても、わかるはずないだろ……そう思って建物を見上げたところで、七瀬の言葉の意味を理解した。
街中の大型書店。七瀬は決まって本をここで買っている。
俺も参考書なんかはここで買っているが、ラノベを買う時は人目を特に気にせずオタショップに突撃してしまう。
でも、七瀬はやっぱりちょっと恥ずかしいと、前に話していた。
今となってはなおさらだろう。
『わかった』
俺の返信を待ってから、七瀬は入り口の自動ドアを通り抜ける。
そこに続く人並みに紛れながら、俺も店内に入る。
相手を見失いそうな状況だが、七瀬はゆっくり歩く方なので、周囲との相対速度のズレによって必然的に七瀬の存在は浮く。
要するに、俺にとっては見つけやすい。
そのままの流れでエスカレーターに乗る。数段登って七瀬との距離を詰め、スマホはポケットに入れる。
俺が七瀬のスカートの中を覗こうとしているとか、撮ろうとしているとか周囲に思われたら大変だから。
だから……エスカレーターに乗る時は、いつも緊張してしまう。
自分が考えすぎなのはわかってはいるものの。
エスカレーターが終わり、二階に着く。
スマホが震えるが、見なくても内容は予想がついている。
この大型書店の二階は文庫本のコーナー。
七瀬がお目当てにしているライトノベルも、この階に置いてある。
予想通り七瀬がライトノベルのコーナーの一角で立ち止まったのを見てから、スマホを取り出す。
『桜井くんは、何か買わないの?』
こちらを気づかう七瀬の言葉に、俺の緊張もほぐされた。
『何か良いのがあったら買おうかなとは思ってた』
『田中先生の新作は?』
俺と七瀬の共通のお気に入り作家、田中。
俺が好きなファンタジーと、七瀬が好きな恋愛要素を組み合わせた作風を得意としている。
前はああ言ったが、新作の内容が気にならないと言うと嘘になる。
既刊を全部読んでいるぐらいには、お気に入りの作家だから。
『じゃあそれにするわ』
七瀬は物色中のようで、ライトノベルの棚を眺めたまま動かない。
この分なら、少しぐらいの自由行動は大丈夫か。
俺はレーベルごとに分けられた棚のコーナーを流し見ながら、目的の作家の名前を探す。
一架目は……ない。二架目も……ない。
どれだけ棚が大きくても、目的の物が定まっていれば、眺めるのにそんなに時間はかからない。
三架目と四架も外れだ。
そうなると……
「……マジかよ」
残るは、七瀬のいる棚しかない。
これまでの棚に田中先生の本は置いていなかった。
以上の二つより、七瀬の前にある棚に田中先生の本が置いてあるという結論が導かれる。
Q.E.D。
『動いてくれないか?』
祈るような気持ちで送信すると、返事はすぐにきた。
『まだ眺めてる』
「は?」
思わず漏れた声に、七瀬は反応しない。
目と鼻の先にいるというのに、お互いに不毛な不干渉を続けている。
どうしたものかと困惑する俺をさげすむように、通知がもう一つ。
『そのまま取れば?』
「…………はぁ~」
果てしなくめんどくさい気持ちがため息に昇華された。
七瀬は無表情で棚を眺めているフリをしているが、口元がほんの少しだけ笑っている。
ニヤついてるんじゃねぇよ、こいつ。俺で遊んでるのか?
『わかった』
考えることが面倒になった俺は、結局すぐに白旗をあげることになる。
このまま二人並んで不自然に立ち止まり続けるよりは、さっさと終わらせてしまった方がいい。
何より、至近距離にある田中先生の新刊という引力は、俺が七瀬に対して無思考に譲歩をしてしまうほどにすさまじいものだった。
「よっと」
七瀬の斜め後ろから少し眺めるだけで、おおよその場所の見当はつく。
そのまま七瀬に触れないように、腕を伸ばす。
こういう時に身長がすごく高かったり、腕が長ければ得なんだろうが、生憎と俺は七瀬に対してアドバンテージを取れそうな身体スペックは持っていない。
「ちょ、う……くっそ……」
ものすごく微妙な位置にあるせいで、指は触れられるのだが、棚から本を抜き出せる程度に指をかけることができない。
下手糞な影絵みたいに指先が滑稽な動きをする。
目の前で突然開催されたお遊戯会のせいで気を散らされたのか、七瀬もすっかり固唾を呑んで俺の指先を見守っている。
これはまずいな、見物客が増えて変に思われても困る。
もう一つの白旗をあげて、さっさと終わらせた方が良さそうだ。
「――ちょっと、すみません」
あくまで他人として自然になるよう意識をして、七瀬に小さく声をかける。
斜め後ろから声をかけられた七瀬は、思わず冷たいものを当てられてびっくりしたかのように、何かに弾かれるまま身を動かす。
気をつけてはいたが、もしかしたら耳元に息がかかってしまっていたのかもしれないと思い、申し訳なくなってくる。
「は、はい……」
七瀬が横に二歩ほど動いてくれたおかげで、俺の指は悠々と目的の物を掴み取る。
そのまま表紙とタイトルを確認。今回は珍しく学園モノか。
まあどうせ田中先生だから、途中からファンタジー要素が混ざるに違いない。
柄にもなくニヤニヤとしながら、俺は本を二階レジに持っていき、会計を済ます。
新しく手に入れた宝物をリュックに入れようとするところで、レジ列の脇に立ったまま、こちらの方を見る七瀬と目が合う。
「…………?」
手には何も持ってないみたいだが、もう用は済んだのだろうか。
七瀬に対して九十度になるように身体を逸らし、スマホで七瀬にメッセージを送る。
『もういいのか?』
『うん。収穫はあった』
特に買いたいものがなくても、ただ何となく棚を眺めて最近のトレンドを掴んだりして楽しむのは、俺にも覚えがある。
今日の七瀬もそんなものだったのかもしれない。
引き出しから経験則を取り出して納得した俺は、再び七瀬という亀を追うアキレスになる。
もしかしたら、本当は手を抜いた兎なのかもしれないが。
もう一度、上に向かうエスカレーター。
もう一度、俺はスマホをしまって七瀬との直線距離を詰めた。
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