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浜田

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 文理が分かれるということは、授業が分かれるということだ。
 そして、授業が分かれるということは、教室が分かれるということになる。
 俺は理系で、絶対に会いたくない人は文系なので、幸運なことに顔を合わせずに済んでいる。
 そして、幸運なことはもう一つある。

「おはよう、村上」
「ああ、おはよう。桜井」

 理科科目のための移動教室で、親友の村上と会う。
 幸運なのは、選択科目の席が、村上と隣同士だったことだ。
 世間では文系クラスとか理系クラスとか、あるいは混合とかがあるみたいだけど、俺にはその辺りのシステムはよくわかっていない。
 そもそも、俺の周りの人間は色んな事情でクラスを動きがちなので、感覚が麻痺していそうだ。
 なんにせよ、村上と話せる貴重な機会であることには変わりない。

「村上、進路希望どこで出した?」
「ああ、それはね――」

 村上の口からは、俺でも知ってる有名大学の名前が出てきた。
 有名どころか、日本で一、二を争う大学と言っても過言ではないんじゃないだろうか。
 まあ世界に目を向けると違うのかもしれないけど、俺の中ではやっぱり村上はすごい奴だった。
 村上には立派に、幸せになって欲しいというのが、俺のささやかな願いだ。

「桜井、大丈夫?」
「え? なにが?」
「いや、顔色悪いから」
「そうか?」

 そんなに顔色が悪いだろうか。
 まあ、これから難しい授業を受けるわけだから、ちょっと憂鬱なのかもしれないな。
 たぶんそう。絶対にそうに違いない。

「桜井の方は進路どうするの?」
「ああ、俺は――」

 決まってない。そう答えようとしたところで、何故か村上とは反対側から肩を叩かれた。
 正直に言えば振り向きたくはないが、無視をするのもなんだか負けた気になるので、振り向く。
 そこには、ちょうど今朝、A組の前で七瀬紗花と談笑していた男子生徒がいた。
 要するに、七瀬紗花の彼氏だった。

「おはよう、桜井くん」

 ハスキーな声。声だけで、多くの人間が惚れこんでしまいそうな魅力を秘めている。
 顔は整っていて、美形。まあ、要するにイケメンだ。
 イケメンにも色々あるけれど、この男子生徒は歌舞伎の女形みたいな色っぽさを持っている。
 つまり、中性的な顔つきで、色気があって、男にも女にもモテモテってことだ。

「おはよう、浜田」

 かろうじて挨拶を返すけれど、本当は話したくない。
 そもそも、俺と村上が話してるところに割り込んで挨拶をしようという神経がわからない。
 でもまあ、あいつが選んだ相手なんだから、きっと良い奴には違いないんだろう。
 今の俺には負のフィルターがかかっているから、よくわからないけれど。

「桜井くん、大丈夫?」
「……なにが?」
「顔色悪いよ?」

 お前のせいだよ、と言いたいところだが、さすがに言えない。
 まあ浜田は、本当は何もかもわかってやっているのかもしれない。
 いや……さすがにそれはないか。あいつの選んだ相手なんだから、良い奴に決まってる。
 でも、あいつの観察眼は俺のことを見誤るぐらいにはズレているから、実は悪い奴なのかもしれない。
 まあ、そんなことは関係ない。痴情のもつれは勝手にやっておいてくれ。
 もう連絡することもされることも、金輪際永遠に未来永劫ないし。

「ところでさ」
「……ああ」
「桜井くんはどこに進学するの?」

 お前も同じ話をするのか。こいつらみんな本当にめんどくさいな。
 世の中のみんなが幸せな家庭で、当然のように未来について気楽に語れる環境で生きているとでも思ってるのか?
 お前の隣にいる人間は、本当はすごく辛い環境で生きていて、今この瞬間だけ普通に見えているかもしれないんだよ。
 でも、言わない。どうせ理解してもらえないだろうから。

「さあ。進学するかどうかも決めてない」
「じゃあさ。南西にしない?」
「なんで?」
「ボクも紗花もいるよ?」

 “いる”って、もう合格前提なのかよ。これだからカップルの惚気トークは嫌なんだ。
 あと、俺の前でその名前を呼ばないで欲しい。まあ、それが彼氏の特権ってやつなんだろうけどさ。
 もう答える気も失せたので、曖昧に無視で返す。

「ひどいなー」

 浜田の口調は、どこかあいつに似ていて、それだけで話すのが嫌になってくる。
 カップルは段々とお互いに似ていくとか言うけれど、それにしたって限度があるだろ。
 ああ、もしかしたら本当は前から付き合ってたのかな。それだったら納得いく。
 いや……あいつはそんなことする奴じゃないか。これは、ただの俺の僻みだな。
 本当に、自分が醜くて嫌になるよ。

「ねぇ、桜井くんはどんな本読むの?」
「なんだ? 急に」
「紗花から聞いてさ。ボクも読むんだよね、ラノベ」

 ああ、そう。それはようござんしたね。さぞ話が弾むでしょうよ。
 村上から俺を横取りしてこれだけゴリゴリに話しかけてくるんだから、こいつは相当なポジティブモンスターだ。
 たぶんテストをしたら自己肯定感の数値が半端ないと思う。
 まあ、そんなものかもな。こいつもまた、学園のアイドルなんだから。

「まあ、テキトーなファンタジーを少々」
「恋愛小説は?」
「は?」

 アイドルという言葉は、何も女性だけを意味するわけではない。
 巷では有名男性アイドルグループが無数にいるわけで、終わらない戦国時代でそれぞれが天下布武を謳ってる。
 浜田は、七瀬紗花と双璧を成す「学園の男性アイドル」だった。
 おかげさまで、嫌でもフルネームを知ってる。確か、浜田英人だったかな。

「あれ、てっきり紗花と同じ趣味なんだと思ってた」
「はぁ」

 モテモテ男の感覚はよくわかんねぇなぁ。
 浜田もまた、あいつと同じで一年の頃から告白を受けまくっていたらしい。
 で、あいつと同じで全部断っていたとか。
 そんなこんなで、当然ながら七瀬紗花と浜田英人が付き合っているというのは、学園の一大ニュースだった。
 情報の出所はよくわからないけれど、まあ否定の言葉も聞こえてこないし、たぶん合ってる。
 本人たちも否定してないし。

「俺は、恋愛小説は読まないよ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんですよ」
「でも、同じ作品を読んでたことがきっかけで、紗花と仲良くなったんじゃないの?」

 なんでそんなことまで喋ってるんだよあいつは。
 おかげで浜田が変に俺に興味を持ってくるだろ。
 勘弁してくれ。意趣返しのつもりか? そんなに俺のことが嫌いか?
 確かに俺は最低な奴だよ。馬鹿で、阿保で、何もかも台無しにしてきたよ。
 でもさ。でも……俺はお前のことを嫌いになれそうにないよ。だから辛いよ。
 こんなの、やめてくれよ。
 もう、許してくれよ。

「――桜井、ちょっと」
「あ……ああ……」

 村上が声をかけてくれたおかげで、沈みそうになった意識が紛れる。
 おまけに、浜田を無視する口実ができた。
 ありがとう、村上。口には出せないけど。

「今度さ。理数の参考書一緒に買いに行かないか?」
「ああ……いいよ。村上がいてくれるなら心強いし」

 本当は進路も決まっていないから買いに行ったところで意味ないのかもしれない。
 でも、そのぐらいはして気を紛らわせないと、気が触れてしまいそうだった。
 何より、村上と一緒に出かけるのも、誘われるのもこれがはじめてのことだ。
 それは、純粋に嬉しい。

「瀬戸も一緒にいるんだけど、いいかな?」
「え? ああ……うん、いいよ」

 瀬戸って文系理系どっちだっけ、とは思うけど、どうでもよかった。
 もう完全に出かける気満々で、それ以外考えられなかったから、瀬戸がいるかどうかは大した問題じゃない。
 まあ、また瀬戸に色々探られるかもしれないけど、浜田と話すよりはマシだ。
 瀬戸はコミュニケーション能力が高いから、さすがにその辺りは弁えてくれている。

「よかった。じゃあ、後で連絡するから」
「……ああ、ごめん。スマホ変えたんだ」
「やっぱりそうだったんだ。じゃあ、連絡先交換しよう」
「ああ……いいよ」

 瀬戸はまだしも、村上なら大丈夫だろう。
 そう思って、俺は村上に新しい電話番号とメールアドレスを伝えた。

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