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 居間に下りてすぐ、レムは長椅子に目を向けた。
 リューがいない。
 死んでしまったのだ。クウの血がとぎれたために。自分もそうなるかもしれなかったのに。
「フォーヴァさん」
 レムはぞくりとした。
「ほんとうに大丈夫?」
 カーラはレムを倚子に座らせ、うなずいた。
「あいつはおれなんかより、ずっと力を持っている。心配しなくていいよ。血の浄化のために、二三日はまた眠り続けるだろうがね」
 カーラが持ってきてくれた牛乳粥をスプーンでかき混ぜていると、 外の方で声がした。低くささやきかわす、女の子たちの声だ。
 カーラは戸を開いた。ミイアを先頭に、村の女の子が三人ばかり、ぱっと笑ってカーラを見上げる。
「おはようございます、カーラさん。これ、朝一番に焼いたパンなの」
 持っていた籠を差し出したミイアは、テーブルのレムに気がついた。
「あら、よかったわ、熱は下がったの? レム」
「うん、ようやくね。フォーヴァはまだすこしかかりそうだが」
「そう、お大事にね」
 カーラはパンを皿にうつし、空になった籠をミイアに返した。
「いつもありがとう。チュスクの女の子たちはみんな親切で可愛いな」
 ミイアたちは、嬉しそうにくすくすと笑い、帰って行った。
「人気者だね、カーラさん」
 きょとんとしてレムは言った。
「きみとフォーヴァは悪い風邪にかかってしまった。で、通りすがりのおれが看病と魔法使いの代理を引き受けた、と村の人たちには話してある。〈穴〉に結界も張った。フォーヴァのは消えてしまったから」
「そうなんだ」
「あの子たちには、トルグの墓にも案内してもらったよ」
「カーラさんは、トルグさんとも知り合いなんだね」
「うん。おれもトルグの生徒だった。こう見えて、おれはフォーヴァの先輩なんだぜ」
 カーラは、昔を思い出したかのように微笑んだ。
「楽しかったな、あのころは」
「トルグさん、先生だったのに、なんでチュスクに?」
「おてたちも寝耳に水だった」
 カーラは顔をしかめ、首を振った。
「急な使命としか聞いていない。ま、上層部が決めたことなんだろうさ」
 カーラは、それ以上語る気はなさそうだ。レムは、つい思ったことを口にした。
「ぼくのために病気を治してって言ってれば、トルグさんもそうしてくれたかな」
「どうだろう」
 カーラは眉を上げた。
「トルグはありのままを受け入れる人だった。病気に気づいた時にはもう遅かったのだと思う。きみのことは心残りだったろうが、かわりにフォーヴァが志願した。今は草葉の陰で満足してるさ」
「志願?」
「昔から、フォーヴァは変わった子でね。こちらから働きかけなければ、決して他人とかかわりを持とうとはしなかった。それが、トルグの死んだ村に行ってトルグが残した子供のめんどうを見たいと言い出した。たいした進歩だ。教授たちも頷くしかなかった」
「そうなの」
 フォーヴァは、トルグの最後の地だったからチュスクに来たわけではなかったのだ。
 最初からレムを受け入れるために来てくれた。自分なりにトルグの死を悲しみ、レムをトルグの代わりに一人前にしようとしていたのだろう。レムがフォーヴァに血を入れ替えてもらう以前に、自分たちはトルグで繋がっていた。
 フォーヴァへの感謝の言葉は、いくら言っても言い足りないと思った。でも再びフォーヴァが目ざめたら、彼の手を握りしめることしかできないような気がした。自分たちの手の傷を重ね合わせて。
 フォーヴァは、レムの手を握りかえしてくれるだろうか。

「フォーヴァは、ほとんど癒えている」
 その朝、カーラが言った。
「じきに目ざめると思うよ」
 レムは朝食を終えてすぐ、フォーヴァの様子を見に部屋へ入った。
 閉めたままだったはずの窓が、大きく開いていた。
 フォーヴァが窓辺に立っていた。
「フォーヴァさん!」
 喜びに声をふるわせて駆けよろうとしたレムは、はっと身体を強ばらせた。振り向いたフォーヴァの目は、見慣れた灰色ではなくなっていたのだ。
 黒い。
 〈穴〉と同じ底なしの漆黒だ。
 フォーヴァはレムを見て、わずかに唇の端を引き上げた。フォーヴァなりの笑みのようだった。
 フォーヴァは、無言で窓の外を指さした。〈穴〉の方向だ。
 カーラが階段を駆け上がってきた。
「フォーヴァ!」
 カーラは怒鳴るように言った。
「おまえ、何を──」
 カーラの言葉が終わらぬうちに、強い風が窓を揺らして吹き込んできた。それは部屋の中で渦を巻き、机の上に置いたままの羊皮紙や羽根ペンのたぐいを散乱させた。
 レムは思わず顔を覆った。
 風が止み、レムが目を開いた時、フォーヴァの姿はすでになかった。
 カーラが窓に駆けより、身体を乗り出して外を見ていた。
「レム」
 カーラはささやいた。
「あれは?」
 レムは、カーラの示した方角を見て息をのんだ。
 〈穴〉が消えていた。
 かわりに、のどかに煙突から煙を立ち上らせたレムの家が、懐かしい姿のままそこにあった。
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