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第2章 社燕秋鴻

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「なぁ、弥桜。そんなに俺と一緒にいるのは嫌か。そんなに俺のことが嫌いか」
マスターが戻っていって静かになったこの空間で先に口を開いたのは静先輩だった。
捨てられた子犬のような寂しそうな表情で見つめられると、自分がすごく非道なことをしているように思えてくる。

それに嫌いか、なんて。
そんなわけないのに。
僕があの一瞬でどれだけ惚れたか。
自力じゃ抜け出せないほど強く惹かれた。

だから僕が性を隠していたことを知って静先輩が軽蔑して先輩から捨ててくれれば、そんな簡単に離れられる方法は他になかったのに。
もうどうすればいいのかわからない。

「・・・・・・」

嫌いかと訊かれて、嫌いだとはどうしても言えない。
でも好きだとはもっと口が裂けても言えない。

僕はΩだ。
これは変えようのない事実で、Ωである以上静先輩とは一緒にいられない。
好きだなんて声に出してしまったら絶対に抑えられなくなる。

なんで好きになっちゃったんだろう。
好きでもなんでもなければ、一緒にいて幸せにならない相手なら僕は気にせずいられたのに。

無言でただ首を振るだけの僕を静先輩はどう思うだろう。
こんなめんどくさいやつなんか放っておいてくれればいいのに。
どうしてこんな僕なんかと一緒にいたがるのかほんとにわからない。

「じゃあ、どうして一緒にいられないんだ?」

静先輩の言葉にどきりと心臓が大きな音を立てた。

出来ればこんなこと自分の口からは言いたくなかった。
好きな人に自分から軽蔑されにいくようなものだ。

でももうこのまま黙っていることは出来ないところまできてしまった。

「僕がΩなのは知ってますよね。・・・・・・それを、今まで隠していたことも噂で聞いたと思います」
口から絞り出すようにして音を出す。
「親が僕には不自由をさせたくないから、と隠すことを決めたんです。僕には両親と腹違いの兄が一人いるんですけど、αとβなんです。家系にもΩは随分長い間いませんでした。普通ならそんな家に生まれたΩに不自由をさせたくないなんて考えたりしないし、ましてや大事にしようなんて思わないじゃないですか。それなのに父も母も義兄あにもすごく大事に育ててくれました」

静先輩も朝夜先輩も僕が話しているのを、特に何か言うわけでもなく静かに聞いていてくれる。
ここまでは何も言われなかった。
でもこの先は何か言われるかもしれない。
軽蔑されるなら軽蔑されるでむしろそれを望んでいるのだけれど、やっぱり実際に言われるかもと思うと怖くなってしまう。

そんな気持ちを無理やり抑えて重い口を開いた。

「でも僕はそんなこと望んでなかった」

二人の反応にすごく過敏になっている今、朝夜先輩が一瞬目を見開いたことも見逃さなかった。
それに対して静先輩は今まで通り静かに僕が続きを話すのを待っている。

もうここまで来たら話すしかないし、ここまで話しても静先輩が何も言わないことに全部話した後もどんな反応をされるのか全く分からなくて、考えることをやめて一気に話してしまおうと口を開いた。

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