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04-2 舞踏会デビューまであと3日

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 二人がお茶を楽しんでいる最中、3日後の舞踏会で美鈴のエスコート役を務めるリオネルが、フラリとルクリュ家にやって来たのは午後3時をいくらか過ぎた頃だった。

 初めて会った時からリオネルに対して苦手意識を抱いている美鈴には全くありがたくない展開だった。

 むしろ、先日のドレスの最終調整の時、少なくとも舞踏会までは彼と顔を合わせずに済むことに心底ほっとしたくらいだったのに……。

 前触れもなくルクリュ家を訪問したリオネルは、当然のように夫人と美鈴の午後のひと時に同席し、子爵夫人と愉し気に世間話をしている。

 趣味と実益を兼ねて数々の洋服商と親しく付き合いがある彼らしく、偉丈夫というに相応しい彼の身体に完ぺきにフィットした仕立てのよいダークグレーのテールコートに縦じま模様がアクセントになった薄いグレーのジレを合わせている。
 
 夫人との会話中も絶え間なく自分に対して秋波のような視線を送ってくるリオネルが、美鈴は気になって仕方なかった。

「ここのところ、本当にいい天気だこと。ずっとこんな天気が続くとよいのだけど……」

 柔和な微笑みを浮かべながら、夫人がリオネルと美鈴のどちらに言うともなく言った。

「3日後の舞踏会の日は、間違いなく晴れると思いますよ」

 優雅な手つきで紅茶のカップを口元に運びながら、澄ました顔でにリオネルが夫人に答えた。

「ふふ、何かジンクスでもあるのかしら?雨の前触れなら知っているけれど……。猫が顔を洗う、ツバメが低く飛ぶ……」

 無邪気な少女のような表情で夫人が思いついたジンクスの数だけほっそりとした指を折る。

「俺がとびきり美しい女性をエスコートする日は、いつも必ず晴れるんですよ」

 そう言いながら、リオネルは美鈴に向かっていたずらっぽく片目を閉じて見せる。

「まあ、リオネルったら……!」

 夫の甥であり、親しく交流しているリオネルの軽口に子爵夫人はコロコロと無邪気に笑っている。

 当の美鈴は夫人の手前恥じらうフリで顔を伏せたものの、内心ではたった2か月前出会ったばかりのよくも知らない女によくもそんな甘ったるいセリフが吐けるものだと、益々リオネルに対する不信感をつのらせていた。

 そんな美鈴の素気ない態度に気を悪くした様子もなく、口元に軽く笑みを浮かべたリオネルの、ヘーゼルの瞳は温かさを湛えて美鈴を見つめている。

 この屋敷に滞在するようになってから、リオネルとは何度も顔を合わせてはいるものの、ふとした瞬間彼と目が合うとき、美鈴の心は不思議に波立ってしまうのだった。

 その理由は、誰よりも美鈴が一番よくわかっていた。

……美鈴がこの世界に飛ばされた直後、混乱と困惑の中、霞がかった記憶の中で唯一ハッキリと思い出せるのは、リオネルの瞳とその手の温もりだけだったからだ。

「叔母上、実は今日は「ちょっとしたお願い」があって参ったのです」

 さも、ふと思い出したようにリオネルがルクリュ子爵夫人に視線を向ける。

「突然ですが今日これから、ご令嬢の時間を一時頂けないでしょうか?……気晴らしにブールルージュの森にお連れしたいと思って」

 リオネルの突然の提案に、思わず美鈴は美しい紅茶のカップを取り落としそうになった。

 ……わたしが?リオネルと?なぜ、森なんかに……

 美鈴が慎重に言葉を挟もうとした瞬間、子爵夫人が楽し気な声でリオネルに答えた。

「いいわね。ぜひ、行ってらっしゃいな。こんな素敵なお天気なのだもの。この季節、森も新緑できっと美しいことよ!」

 そうと決まれば……と子爵夫人は森へ出かける身支度をさせるため、美鈴を促して立ち上がらせる。

 ……何でっ、こんなことに……!

 思わぬ展開に頭を抱えたい気分だった。

 あまりに突然の申し出にリオネルの誘いを断る適当な理由がとっさに見つけられず、あれよあれよという間に、ルクリュ子爵夫人の指示で、召使いによって外出用のドレスに着替えさせられてしまう。

 飾り襟がポイントの爽やかなブルーグレイの外出着にリボンとレースをあしらったラベンダー色の帽子を着けた美鈴が身繕いのための化粧部屋を出ると、外で待機していたリオネルが待ちかねたように手を差し伸べてくる。

「さあ、ご令嬢、参りましょうか、新緑の森へ」

 恐る恐る差し出された美鈴の手を取ったリオネルの表情は、以前に一度見せたことのある、いたずらっ子の少年のそれだった。
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