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06-2 森の中の出会い 1
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細身の男とは対照的に小路から現れた貴族らしき青年は、リオネルほどではないものの、鍛えられ引き締まった肉体に、栗色の柔らかな巻き毛を後ろで束ね、見るからに上等な衣服に身を包んでいる。
さきほどから二人のやり取りを小路の茂みに隠れて観察していたらしきその青年は、美鈴と男の間に割って入り、男らしい大きな手で黒服の男の腕をつかんだ。
「君、嫌がるご婦人をムリヤリ引き留めるなど、無礼にもほどがあるぞ。すぐに、その手を離したまえ」
男の腕を捉えた手に力をこめながら、栗色の髪の青年は男を一喝した。
「……うぐッ……!」
腕をギリギリと締め付けられて、男は美鈴の手を咄嗟に離したが、同時に憎しみの炎が揺らめく瞳を青年に向けた。
「ここは、私に任せて……。さあ、お行きなさい」
男の気色ばんだ様子に怯むことなく、濃い琥珀色の瞳で男の目を見返し、なおも男の手を片手で締め上げたまま、青年は美鈴に囁いた。
「あ……!ありがとうございます」
美鈴は青年に軽く会釈すると、ドレスの裾を両手で掴んで元来た道を走り出した。
「はっ、はぁっ……!」
一刻も早くあの不気味な黒髪の男から逃げおおせたい一心で、美鈴は並木道を走り続けた。
時折、恐怖心から後ろを振り返り、男が追って来ないことを確認しては、森の中を無我夢中で駆け抜ける。
普段は冷静沈着で通っている自分が、あれしきのことでこんなにも取り乱してしまっている……。
美鈴は自分の軽率な行動と非力さを悔みながら、一刻も早く元の場所へ、リオネルの元に向かって走った。
裾の長いデイドレスは、夜会服ほど扱いづらくはないのだが、問題は靴の方だった。
美鈴が履いている革製の華奢なバレエシューズに似た靴は長歩きにはとうてい向いていない。
それどころか、この世界では貴族の女性の移動手段の基本は馬車であり、遠乗り用のブーツなど特別な場合を除いて長距離を歩く、ましてや森を疾走するような靴の用途は想定されていない。
あれだけ気持ちよく晴れていたのに、急に雲が出てきたのだろうか。日が陰って暗くなった森の中は、さきほどの木漏れ日の溢れる美しい森とは全く別の表情をみせていた。
天気が崩れてきたためか、散歩中の人の姿もほぼ見かけられなくなってきた。
走り続けて苦しくなった呼吸と足の痛みに耐えながら、少しでも先に進もうとしていた美鈴はふいに違和感を感じて足を止めた。
……ここは……さっき通ってきた道じゃない。
往きの時点では十分注意を払っていた並木道の分岐を、どうやらどこかで間違えてしまったらしい。
いつの間にか美鈴が迷い込んでしまった、メインストリートから分岐した道の先は複雑に曲がりくねっていて、その先はより細い小路に通じているように見える。
青ざめた美鈴は引き返そうと踵を返しかけたが、走り続けたせいで呼吸は乱れ、足の痛みはどんどん増してくる。
もう、動けない……いっそ、この場に座りこんでしまいたい……。そんな、投げやりな考えが頭をよぎった瞬間。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
……鳥の声すら聞こえない、シンと静まり返った森の奥から、明らかに獣とわかる息遣いが近づいてくるのがはっきりと聞こえた。
オオカミか、はたまた野犬の類か。いくら国政事業によって整備された森とはいえ、これだけ広大な森ならば、何か得体のしれない獣が潜んでいてもおかしくはないと美鈴は思った。
とっさに、近くにあった低木の茂みに身を隠したが、獣の息遣いと足音はその間にもどんどん美鈴の方に近づいて来ている。
低木の茂みで自分の両肩を抱きながら、美鈴は涙の滲んだ瞳をつむった。
「ハア、ハア、ハッ、ハッ」
……獣の息遣いがすぐ間近に聞こえる。観念して美鈴が目を開けたその時、美鈴の横にいたのは、シェパード犬に似た耳のピンと立った大型犬だった。
犬はよく手入れされた毛並みで青い革製の首輪をつけており、何をするでもなく、美鈴の横におとなしく座って、やや小首をかしげ、ふんふんと控えめに鼻を鳴らしている。
「か、飼い犬……?」
野生のオオカミではなかったことに大いに安堵しながらも、犬を刺激しないよう、ゆっくりと立ち上がりながら美鈴は呟いた。
それとほぼ同時に、犬がやって来た森の奥の小路から、人の足音と涼やかな男の声が聞こえてきた。
「おい、ドルン!あまり先に行ってはいけない。……一体、何をそんなに急いでいるんだ?」
美鈴の隠れている茂みに現れたその男……それは、美鈴がかつて見たこともないほど美しい容姿をした青年だった。
さきほどから二人のやり取りを小路の茂みに隠れて観察していたらしきその青年は、美鈴と男の間に割って入り、男らしい大きな手で黒服の男の腕をつかんだ。
「君、嫌がるご婦人をムリヤリ引き留めるなど、無礼にもほどがあるぞ。すぐに、その手を離したまえ」
男の腕を捉えた手に力をこめながら、栗色の髪の青年は男を一喝した。
「……うぐッ……!」
腕をギリギリと締め付けられて、男は美鈴の手を咄嗟に離したが、同時に憎しみの炎が揺らめく瞳を青年に向けた。
「ここは、私に任せて……。さあ、お行きなさい」
男の気色ばんだ様子に怯むことなく、濃い琥珀色の瞳で男の目を見返し、なおも男の手を片手で締め上げたまま、青年は美鈴に囁いた。
「あ……!ありがとうございます」
美鈴は青年に軽く会釈すると、ドレスの裾を両手で掴んで元来た道を走り出した。
「はっ、はぁっ……!」
一刻も早くあの不気味な黒髪の男から逃げおおせたい一心で、美鈴は並木道を走り続けた。
時折、恐怖心から後ろを振り返り、男が追って来ないことを確認しては、森の中を無我夢中で駆け抜ける。
普段は冷静沈着で通っている自分が、あれしきのことでこんなにも取り乱してしまっている……。
美鈴は自分の軽率な行動と非力さを悔みながら、一刻も早く元の場所へ、リオネルの元に向かって走った。
裾の長いデイドレスは、夜会服ほど扱いづらくはないのだが、問題は靴の方だった。
美鈴が履いている革製の華奢なバレエシューズに似た靴は長歩きにはとうてい向いていない。
それどころか、この世界では貴族の女性の移動手段の基本は馬車であり、遠乗り用のブーツなど特別な場合を除いて長距離を歩く、ましてや森を疾走するような靴の用途は想定されていない。
あれだけ気持ちよく晴れていたのに、急に雲が出てきたのだろうか。日が陰って暗くなった森の中は、さきほどの木漏れ日の溢れる美しい森とは全く別の表情をみせていた。
天気が崩れてきたためか、散歩中の人の姿もほぼ見かけられなくなってきた。
走り続けて苦しくなった呼吸と足の痛みに耐えながら、少しでも先に進もうとしていた美鈴はふいに違和感を感じて足を止めた。
……ここは……さっき通ってきた道じゃない。
往きの時点では十分注意を払っていた並木道の分岐を、どうやらどこかで間違えてしまったらしい。
いつの間にか美鈴が迷い込んでしまった、メインストリートから分岐した道の先は複雑に曲がりくねっていて、その先はより細い小路に通じているように見える。
青ざめた美鈴は引き返そうと踵を返しかけたが、走り続けたせいで呼吸は乱れ、足の痛みはどんどん増してくる。
もう、動けない……いっそ、この場に座りこんでしまいたい……。そんな、投げやりな考えが頭をよぎった瞬間。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
……鳥の声すら聞こえない、シンと静まり返った森の奥から、明らかに獣とわかる息遣いが近づいてくるのがはっきりと聞こえた。
オオカミか、はたまた野犬の類か。いくら国政事業によって整備された森とはいえ、これだけ広大な森ならば、何か得体のしれない獣が潜んでいてもおかしくはないと美鈴は思った。
とっさに、近くにあった低木の茂みに身を隠したが、獣の息遣いと足音はその間にもどんどん美鈴の方に近づいて来ている。
低木の茂みで自分の両肩を抱きながら、美鈴は涙の滲んだ瞳をつむった。
「ハア、ハア、ハッ、ハッ」
……獣の息遣いがすぐ間近に聞こえる。観念して美鈴が目を開けたその時、美鈴の横にいたのは、シェパード犬に似た耳のピンと立った大型犬だった。
犬はよく手入れされた毛並みで青い革製の首輪をつけており、何をするでもなく、美鈴の横におとなしく座って、やや小首をかしげ、ふんふんと控えめに鼻を鳴らしている。
「か、飼い犬……?」
野生のオオカミではなかったことに大いに安堵しながらも、犬を刺激しないよう、ゆっくりと立ち上がりながら美鈴は呟いた。
それとほぼ同時に、犬がやって来た森の奥の小路から、人の足音と涼やかな男の声が聞こえてきた。
「おい、ドルン!あまり先に行ってはいけない。……一体、何をそんなに急いでいるんだ?」
美鈴の隠れている茂みに現れたその男……それは、美鈴がかつて見たこともないほど美しい容姿をした青年だった。
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