少年Cの終末目撃証言

陸一 潤

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破 魔王志望Aの支配工作

チェシャー猫は笑えない③

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◎◎◎◎◎

 アリスは生きている。
  俺は、その事実を噛み締めた。
  あいつは生きている。


  夢の中の俺は、あの時の『俺』になっていた。
  俺たちは、最上階の会議室だった部屋にいた。あの巨大な円卓を撤去して、大きなソファと、広々とした猫脚のガラステーブルを入れ、フロアをエレベーター前以外は土足厳禁にして、床の絨毯を板張りに張り替えたのだ。室内の四隅には空気清浄機やロボット掃除機も設置して、清潔を保っている。
  あの異世界人と遭遇したパーティーから、さらに半年が経っていた。
  帽子屋は、性格のわりに趣味が内向的で、なんと映画鑑賞と紅茶のブレンドだ。休みとなると、一人っきりで映画館に行ったり、部屋で永遠とDVDを見てたりする。紅茶は、家業でやっていたことの延長らしい。
  顔には合ってるな。妖精みたいな顔しているから、キッチンで黙々と秤を触ってンのは似合ってると思う。アリスもよく言っている。『帽子屋は人柄や技能じゃなくって、顔で選んだのよね~』。
  せっかく茶葉を調合しても、「人に振る舞うのは苦手だ」と言って渋るので、あいつの部屋の棚には紅茶の缶が壁の様に並んでいるんだ。
  映画もそう。他人と見ると気が散るらしい。でも、俺たちとはよく見ていた。『見ていた』というのは、ジェイムズがいなくなってからの一年間、忙しくてなかなかテレビの前に座っていたりしていられなくなっていったからだ。
  それでも、クイーンとキングの姉弟や、白ウサギとはよく見ていたようだ。

  俺は、帽子屋と話す必要がある。あいつは操られていた。だからあんなことをしたのだ。



  夕日の差す会議室。帽子屋は、クイーンと遊んでやっていた。
  木製の、もう何十年も前のカートゥーンのキャラがプリントされたジグソーパズルだ。
  知育玩具の類は、帽子屋がチビたちに積極的に使わせるもので、うちの研究所にはワンサカとある実験のための小道具でもある。特にクイーンは力加減の訓練で、よくこういう遊びをやらされていた。金属製のジグソーパズルでも、クイーンは指先だけで簡単に捻じ曲げてしまうのだ。
  クイーンの役割は、最終手段的な扱いの戦闘員である。冷静に話すことが出来れば、やたらと頭がいいことも分かるのだが、基本的なステータスが闘争に振られすぎていて、気質も凶暴だ。あいつはその気質のせいで、かなり粗悪で乱暴な扱いを受けていたために、研究員はもちろんのこと、ジェイムズや研究員に近かった俺とも、いまだに流血が無い会話が難しい。同じ境遇の白ウサギ、キング、この二人を先に懐かせた帽子屋とは、辛うじてまともに子供らしい会話ができるという感じだ。


  久しぶりに、静かな午後だった。
  クイーンは、パズル自体よりも、それを砕かずに嵌めることに苦戦していた。
  アリスはそれを、ソファに座って後ろから眺めていて、俺はそんなアリスの横で漫画を読んでいた。
 「ああもう! ぼうしや! こんなの、いつまでもできませんわ! 」
 「ギブアップか? 堪え性が無いなあ」
 「なっ……! ふ、ふん! ただちょっと、つかれたっていってるだけ」
 「はいはい女王様。じゃあお菓子でも持ってくるよ」
  アリスがそれに飛びついた。
 「あっ! じゃあ帽子屋! わたし、帽子屋のお茶飲みたいわ! あのレモンのやつがいい。あれ美味しかったもの」

  帽子屋は一つも隠さず、嫌な顔をする。
 「勘弁してくれよ。人に飲ませるためのやつじゃないんだよ」
 「じゃあ、なんのため? 」
 「単に性分じゃねえんだよ。誰かのためになっちまったらもう趣味じゃあ無くなんの! 」
 「じゃあ命令。あのレモンのお茶を持ってきなさい」
 「おい社長。パワハラだぞ」
 「違うわよ。ねえ、チェシャー? 」
  俺はちょっとだけ、紙面から顔を上げて頷いた。「そうだな」
 「クイーンもそう思うわよね」
 「ぼうしや! しのごのいわず、はやくもってきなさい! これはこうえいなことなのよ! 」
 「へーへー女王様の仰せのままに……苦情は受け付けないからな」


  帽子屋の部屋も、もちろんこのガラス瓶の中にある。一階下がスタッフの居住階となっているのですぐだ。
  しかし帽子屋はなかなか帰ってこなかった。ようやくエレベーターが上がってきたと思ったら、ふらりと戻ってきた帽子屋の両手は手ぶらに見える。

 「ぼうしや? おちゃはどうしたんですの? あら……なに、このにおいは」

  クイーンが顔をしかめて、鼻を抑える。
  ブゥン……と、部屋の隅で、空気洗浄機が動き始めたのと同時に、腐臭が俺の鼻にも届いた。人間の鼻には本当に微かな……五感が強化されている『キメラ』には、確かな臭気。現にアリスは、不思議そうな顔をしていた。

 「いや、部屋の鍵を忘れてさ……」
  ふらりとガラステーブルに近づいた帽子屋は、ソファに座っているアリスを見下ろすように立ち止まった。
 「帽子屋? 」

  シュウシュウと、空気洗浄機がおかしな音を立てていた。俺は跳ね上がるように立ち上がり、アリスをソファに押しつけて間に……入り込もうとした。
  唐突に帽子屋が動く。空気を払うように、片腕を横に凪いだ。瞬間、俺の頭の奥が白くスパークして痙攣する。背中のアリスを潰さないよう、横に倒れるだけで精一杯だった。「チェシャー! 」

  帽子屋が呟く。
 「なんだ……こんな簡単なことだったんだなぁ……」

  どさりという軽い落下音と、クイーンの潰れたようなうめき声。顔が濡れた感触があった。何か霧吹き状のものを撒かれたのだ。ピントが合わない視界は揺らいでいる。それでも、ガラステーブルの対岸で、赤い塊が俺と同じように転がっているのが分かった。クイーンは俺より酷いのか、それとも動かない体にパニックを起こしたのか、金切り声を上げてもがいている。最強の戦闘員は使えない。
  ガラステーブルに肘をついて身を起こした俺を、帽子屋の陰が見下ろした。

 「裏切ったのか? 帽子屋」
  帽子屋は無言で、俺の襟首を片腕で掴んで投げ飛ばす。帽子屋はただの、戦闘員でもない人間だ。その腕に、そんな力は無いはずだった。
  俺は、ソファを越えた二メートル先にあった大きなガラス窓に背中からぶつかった。ガラスが割れ、にわか降り注ぐ。アリスが聞いたことのない悲鳴を上げたことを最後に、俺の頭は点滅して暗くなっていった。

  ……意識の底で電話の音を聞く。いつもの着信音よりも、なんだか古めかしい濁った音に、違和感を覚えた。
  ――――ジリリリリリリリ。

  再び目を開けた俺が見たのは、帽子屋に寄りかかるようにして縋りつくアリスの姿だ。
  アリスのシャツの背中には、どす黒い血を噴き出す穴が見える。俺の目は冷静に、それが心臓の真後ろにあたり、位置からして背骨も砕いているのではないかと推測していたが、胸から吹き上がる憤怒が、脳を介さず口を動かした。

 「てめえ……っ! 裏切り者……! 」
  帽子屋は、俺に初めて気が付いたようにぽかんとして、目を泳がせた。俺を見て、胸元のアリスを見て、足元のクイーンを見て、空を睨むように凝視したかと思ったら、慌てて胸元のアリスの体を確かめる様に抱きしめようとする。

  その腕をすり抜ける様に、アリスの体は床に崩れた。
  帽子屋の足元で、クイーンが咆哮を上げる。上を睨んだ目は虚ろでも、真っ赤に燃え上っていた。獣の牙の様に、その振り上げた腕が帽子屋の首を捉えて、小さな体が飛びかかる。
  視界が点滅する。暗闇の遠く、肉を殴打する音と、磨り潰される音がした。
  ――――ジリリリリリリリ。
  遠くで電話の音を聞いた気がする。

  そして次に目が覚めた時、俺は、あの独房にいたのだった。


  ◎◎◎◎◎


 俺の意識は、深い穴の中を、ゴルフボールみたいに転がって落ちていく。俺は『チェシャー猫』なのに。
  ――――ジリリリリリリリ。
  電話の音がする。アリスからの合図だ。俺は、ばたばた手足を動かして、なんとか止まろうとする。俺はきっと叫んでいる。 アリス! 俺はここだ!
  ――――ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。ジリリリリ……ぶつん。
  ――――あなたはだあれ?
  暗闇の中で、アリスの声だけが響く


 何言ってるんだ! 俺だよ。チェシャーだ。

  ――――わたしはここにいる。

  どこに? アリス! 

  ――――わたしをみつけて。



  アリス! 




  ぶつん。

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