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72.分岐
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テオドールは怒髪天を突いていた。
「何考えてるんだよ、正気の沙汰じゃねえだろ!だいたいあんた…」
そこまで言ったところで部屋に看護師が一人入って来た。
「なんの騒ぎですか、お静かに!大声を出すなら出て行ってもらいますよ!」
そう言ってテオドールを軽く睨んでから、看護師は私の点滴を確認した。
「そろそろ次のを用意しないと…この点滴の中には細菌感染を防ぐお薬など色々なものが入っていますが、少しずつ飲み薬に切り替えていく予定ですので…順調なら数日で点滴は外れますからね」
看護師はそう言うと、私の体温を測ってから去って行った。ちなみに熱はなかった。
「テオドールが反対するとは思わなかった。どうしてなの?」
私は静かに聞いた。本当に予想外だった。
「どうしてってお前…」
キョトンとしている私に絶句し、テオドールは矛先をガンザー伯爵に向けた。
「おかしいだろ、そもそもおっさんは妻帯者じゃねえか!」
ガンザー伯爵もキョトンとして小首を傾げた。堂々たる偉丈夫に似合わぬ可愛らしい仕草であった。
「何か問題でもあるのか?セシリアも儂の両親も、家族全員喜んでおるが」
「はぁ!?」
信じられないという顔をするテオドールに私は言った。
「ごめんね、テオドール。でも、この件では誰に何を言われても私の考えは変わらない。こうするのが一番良いと思うから。私にとっても、領民にとっても」
テオドールは言葉を失っている。伯爵はそんなテオドールの肩をパン!と叩いた。
「痛えんだよこの変態脳筋野郎!」
「何をカリカリしておる?エマの気持ちは変わっておらぬようだし、これからは儂のことを父さんと呼んでも良いのだぞ。父上かパパンでも良いが」
「は?何抜かしてやがる」
「儂とエマが正式に養子縁組を結べば、儂はエマの養父ということになる。おぬしがエマと異性交遊したいのであれば、当然儂の許可がいる」
「養子、縁組…」
テオドールは呆けたように伯爵を見ながら呟いた。こんな顔をしているところは初めて見る。
「そうとも。エマは儂の養女となり、旧ユリシーズ領はガンザー領に統合される。そして儂が老いぼれるか死んだ後は、エマが領主としてのあらゆる権利を含め領地を丸ごと相続するというわけよ。とはいえ儂もまだまだ現役だ。エマが女伯爵になるのはしばらく先だから、ゆっくり領地の経営に慣れていくこともできよう」
「なんだ、縁組って、そういうことか…」
力なくそう言い、テオドールは脱力してベッドの脇に力なく腰掛けた。
「なんだ、儂がエマを娶りたがっているとでも思ったのか?馬鹿者め、妻一筋に決まっておろう。…儂とセシリアの間には、子が出来ぬ。そのことは六、七年前には分かっておったが、これまで養子をとらなんだ。それは儂ら、特にセシリアが密かにエマを狙っておったからよ」
「そうなのですか?」
初耳だ。セシリア様は伯爵より少し歳上で、おそらく四十三、四歳ぐらいになる素敵な奥様だ。小柄で可愛らしく、ふんわり柔らかい雰囲気だが、実はとても頭が切れる。何気ない会話の端々にも知性や機知がちらりと垣間見える、そんな方なのだ。
わたしが王都に来てから年に二回ほどはお会いする機会があり、それとなく家族のことを聞かれたことはある。将来の展望について問われたこともある。でも、養女にならないかなどとは一度も言われなかったのに。
「セシリアなりに遠慮しておったのよ。エマはいつか必ず首席侍女になるだろうと予言しておったし、ロチェスターの御仁にもお考えがあるようだと察しておった。諦めるしかないと思っていたところでユリシーズ伯爵たちが領地をめちゃくちゃにしたから、これはエマにとっても民にとっても悪くない話だと思ったようだ。…統合には反対する民もいるだろうが、しっかり立て直していくことで納得してもらうしかないだろうよ。セシリアはすでに復旧の対策をあれこれ考えておるようだ。さすがガンザー家のブレインであり、陰の支配者よ」
本当にさすがである。ガンザー伯爵領の繁栄の鍵を握る人物に、私も是非教えを請わねば。
「ねえテオドール、良い考えだと思わない?私、領主の仕事は全然わからないけれど、少しずつ学ばせてもらえるなら大丈夫かなと思って。ううん、大丈夫じゃなくても絶対に頑張りたいの。旧ユリシーズ領の民のために」
「決めたのか?女が伯爵になるのは大変なことだぞ。それに…俺が親父の跡を継いで辺境の領主になるなら、俺たちは…完全に別々の人生を歩むことになっちまう」
「………」
私は唇をキュッと結んだ。
そう、テオドールの言う通りなのだ。
将来、テオドールはロチェスター辺境伯となる。
そして私はいつか、そこから遠く離れた地を治めるガンザー女伯爵となるのだ。
私はロチェスター家には嫁げなくなるし、テオドールだってガンザー家に婿入りすることはできない。
テオドールだけでなく、これからは私も爵位後継者となるからだ。
やっとお互いの気持ちを確かめ合うことができたのに、その直後にテオドールとは結ばれない道を選ぶのは、言いようもなく悲しいことだった。
胸が千切れそうなほどに痛く、苦しい。
それでも。
「そうね。私たち、別々の場所で生きていかなきゃいけない。あなたのことが大好きだけれど、一緒にいたいけれど…わたしはガンザー家に入って、苦しんでいる民のために、精一杯働くわ」
今までで一番辛いこの決断を伝えるのは、身を切られるように苦しかった。
それでも私は涙を見せずに、むしろ微笑んで、きっぱりと告げてみせた。
「何考えてるんだよ、正気の沙汰じゃねえだろ!だいたいあんた…」
そこまで言ったところで部屋に看護師が一人入って来た。
「なんの騒ぎですか、お静かに!大声を出すなら出て行ってもらいますよ!」
そう言ってテオドールを軽く睨んでから、看護師は私の点滴を確認した。
「そろそろ次のを用意しないと…この点滴の中には細菌感染を防ぐお薬など色々なものが入っていますが、少しずつ飲み薬に切り替えていく予定ですので…順調なら数日で点滴は外れますからね」
看護師はそう言うと、私の体温を測ってから去って行った。ちなみに熱はなかった。
「テオドールが反対するとは思わなかった。どうしてなの?」
私は静かに聞いた。本当に予想外だった。
「どうしてってお前…」
キョトンとしている私に絶句し、テオドールは矛先をガンザー伯爵に向けた。
「おかしいだろ、そもそもおっさんは妻帯者じゃねえか!」
ガンザー伯爵もキョトンとして小首を傾げた。堂々たる偉丈夫に似合わぬ可愛らしい仕草であった。
「何か問題でもあるのか?セシリアも儂の両親も、家族全員喜んでおるが」
「はぁ!?」
信じられないという顔をするテオドールに私は言った。
「ごめんね、テオドール。でも、この件では誰に何を言われても私の考えは変わらない。こうするのが一番良いと思うから。私にとっても、領民にとっても」
テオドールは言葉を失っている。伯爵はそんなテオドールの肩をパン!と叩いた。
「痛えんだよこの変態脳筋野郎!」
「何をカリカリしておる?エマの気持ちは変わっておらぬようだし、これからは儂のことを父さんと呼んでも良いのだぞ。父上かパパンでも良いが」
「は?何抜かしてやがる」
「儂とエマが正式に養子縁組を結べば、儂はエマの養父ということになる。おぬしがエマと異性交遊したいのであれば、当然儂の許可がいる」
「養子、縁組…」
テオドールは呆けたように伯爵を見ながら呟いた。こんな顔をしているところは初めて見る。
「そうとも。エマは儂の養女となり、旧ユリシーズ領はガンザー領に統合される。そして儂が老いぼれるか死んだ後は、エマが領主としてのあらゆる権利を含め領地を丸ごと相続するというわけよ。とはいえ儂もまだまだ現役だ。エマが女伯爵になるのはしばらく先だから、ゆっくり領地の経営に慣れていくこともできよう」
「なんだ、縁組って、そういうことか…」
力なくそう言い、テオドールは脱力してベッドの脇に力なく腰掛けた。
「なんだ、儂がエマを娶りたがっているとでも思ったのか?馬鹿者め、妻一筋に決まっておろう。…儂とセシリアの間には、子が出来ぬ。そのことは六、七年前には分かっておったが、これまで養子をとらなんだ。それは儂ら、特にセシリアが密かにエマを狙っておったからよ」
「そうなのですか?」
初耳だ。セシリア様は伯爵より少し歳上で、おそらく四十三、四歳ぐらいになる素敵な奥様だ。小柄で可愛らしく、ふんわり柔らかい雰囲気だが、実はとても頭が切れる。何気ない会話の端々にも知性や機知がちらりと垣間見える、そんな方なのだ。
わたしが王都に来てから年に二回ほどはお会いする機会があり、それとなく家族のことを聞かれたことはある。将来の展望について問われたこともある。でも、養女にならないかなどとは一度も言われなかったのに。
「セシリアなりに遠慮しておったのよ。エマはいつか必ず首席侍女になるだろうと予言しておったし、ロチェスターの御仁にもお考えがあるようだと察しておった。諦めるしかないと思っていたところでユリシーズ伯爵たちが領地をめちゃくちゃにしたから、これはエマにとっても民にとっても悪くない話だと思ったようだ。…統合には反対する民もいるだろうが、しっかり立て直していくことで納得してもらうしかないだろうよ。セシリアはすでに復旧の対策をあれこれ考えておるようだ。さすがガンザー家のブレインであり、陰の支配者よ」
本当にさすがである。ガンザー伯爵領の繁栄の鍵を握る人物に、私も是非教えを請わねば。
「ねえテオドール、良い考えだと思わない?私、領主の仕事は全然わからないけれど、少しずつ学ばせてもらえるなら大丈夫かなと思って。ううん、大丈夫じゃなくても絶対に頑張りたいの。旧ユリシーズ領の民のために」
「決めたのか?女が伯爵になるのは大変なことだぞ。それに…俺が親父の跡を継いで辺境の領主になるなら、俺たちは…完全に別々の人生を歩むことになっちまう」
「………」
私は唇をキュッと結んだ。
そう、テオドールの言う通りなのだ。
将来、テオドールはロチェスター辺境伯となる。
そして私はいつか、そこから遠く離れた地を治めるガンザー女伯爵となるのだ。
私はロチェスター家には嫁げなくなるし、テオドールだってガンザー家に婿入りすることはできない。
テオドールだけでなく、これからは私も爵位後継者となるからだ。
やっとお互いの気持ちを確かめ合うことができたのに、その直後にテオドールとは結ばれない道を選ぶのは、言いようもなく悲しいことだった。
胸が千切れそうなほどに痛く、苦しい。
それでも。
「そうね。私たち、別々の場所で生きていかなきゃいけない。あなたのことが大好きだけれど、一緒にいたいけれど…わたしはガンザー家に入って、苦しんでいる民のために、精一杯働くわ」
今までで一番辛いこの決断を伝えるのは、身を切られるように苦しかった。
それでも私は涙を見せずに、むしろ微笑んで、きっぱりと告げてみせた。
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