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波紋と波動
第94話 波紋と波動 『奈落の底』
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そこは闇の世界……。
真の闇の世界、無限地獄の底の底、シェオール(穴)の下層……奈落である。
その奥底にある氷の牢獄ー。
そのさらに最下層にその者は降り立った。
少し微笑んだ人物の顔が剞まれた仮面をつけたその者は、暗闇に向って手をかざした。
「そこにいるのであろう?」
闇に問いかける……。
「……。何者だ……? いや……。幻覚か? こんな奈落の底にいったい何者が来れるというのだ?」
ナニモノカが闇の中で答える。
「幻覚……かもしれないね……? でも、君を迎えに来たんだよ!? 一緒に行こう!」
そう誘いかけた。
「余のことを知っているのか……?」
「もちろんだよ……。だからこそ、こんなところまで誘いに来たんじゃないか? 解放してあげるから僕の仲間になってよ!?」
「貴様ごとき矮小なるものが、余を解放できるわけがない……。」
「へぇー? じゃあ、解放できたら仲間になるってことでいい?」
その者は簡単そうに言う。
「ふん……。いいだろう! 余をここから解き放つことができるのなら、貴様に従おうではないか?」
「言ったね? 約束だよ!?」
その者は明るく答えた。
「……ふふふ。余が約束を違えたことは……、一度しかない……。あの『****』と決別した時……だけしかな。」
闇の中の者はサタン・エル。
彼は過去2度に渡る天界との戦争に破れたため、その責任を問われ「第三階級の魔人」クラスに降格処分され、今や「奈落の底」に幽閉されている……。
その牢獄は如何なる魔力を持ってしても破壊することはできず、今はもう失われた旧世界の聖なる力でしか解放することはできない。
サタンはそれをよく知っているのだ。
未来永劫、幾億の年月が流れようとも、もうこの世界に残されたあらゆるパワーやエネルギーもすべてが無効である……と。
サタンを迎えに来た者が、その手を差し出した。
「この悠久の次元牢獄は……、このストレンジ物質で捻じ曲げる!」
かざした手から空間が歪む……。
牢獄の壁が渦を巻きだした。
そのまま進めば牢獄は破壊されてしまうかもしれないと思われたその瞬間ー。
「グォオオオオオオーーーーッン……!」
あらゆる時空を越えてそこに牢獄の門番が出現したのだ!
その名は、アバドーン!
『ヨハネの黙示録』に登場する奈落の王で、ヘブライ語で「破壊の場」「滅ぼす者」「奈落の底」を意味する。
底知れぬ所の使い、アバドーンは破壊者とも呼ばれる黙示録の殺戮の天使なのだ。
5番目の天使がラッパを吹く時に、「馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ」姿で蝗(いなご)の群れを率いる天使として現れ、人々に死さえ許されない5ヶ月間の苦しみを与えるという。
また奈落の主とも言われ、『奈落の鍵』を管理していて、無限とも思われる悠久の時間、サタンを閉じこめていたのだった。
「ま……まさか!? アバドーン! 輪廻の果て、次元の断裂を越えてここに現れたというのか!? 『奈落の鍵』を持って!」
サタンも驚きを隠せない……。
「そうさ! 『奈落の鍵』を持たずして、この牢獄を開けることは不可能……。だが、僕はそれを打ち破ることができる……。慌てて阻止しに来たというわけだよ?」
アバドーンがその大いなる翼を広げ、立ちはだかった。
なんたる巨大さ! この氷の牢獄の世界を覆い隠すほどの巨体がその手に持った大鎌を振るう……!
すると、無数の蝗がその背後から死の魔力を纏い、襲いかかる。
ブワワワァーーーッ!!
一瞬で黒い煙のようなおびただしい蝗の群れに彼の者は、覆い隠されてしまった……。
普通の人間なら骨も残らないであろう……。
いや、強大なる力を持つ悪魔でさえ、アバドーンの前においては無力と化すだろう。
アバドーンの力は悪魔どもの力とは対極にある。
その『死』の力からは何者も逃れることはできない……。
アバドーンが『死』を言う……。
「我々はそれを耳で伝え聞いただけだ!(ヨブ記の訳)」
闇と区別がつかないほどの毒を持った蝗の黒い影に包み込まれたその光景を見て、サタンはつぶやく。
「やはり……。無理であったか……。この場所にやって来れただけでも驚くべきことではあったがな……。」
そうして、また闇の眠りに入ろうとしたその時だった……。
「この『系譜』……。間違いないねぇ。アバドーンか。ふふふ……。無理やりこじ開ける必要……。なくなったね?」
ああ! なんと蝗の大群に飲み込まれたはずのその者が、なんと光を放ちながら周囲の蝗を振り落としたのだった。
「グォオオオオーーーン!?」
アバドーンが叫ぶ。
「おまえを僕の虚無の世界に招待しよう!」
そう言って、その身体に触れたアバドーンの蝗をすべてアバドーンに跳ね返し、蝗の大群が主人であるはずのアバドーンを飲み込んでいく。
「グァッツグアッツグァッアアアアアーーーーッ!!」
そして、その者はゆっくりとアバドーンに近づいていき、そのかざした手にアバドーンの巨体を吸い込んでいく……。
「はい! ごちそうさまでした……。」
辺りはまた静寂に包まれた空間へと戻る。
流れるように、空間の牢獄を叩き壊すと、その者はゆっくりとサタンに手を差し伸べて言うのだった。
「さあ! おいで! 君はもう自由だ!」
サタンはその手を取りながら、その者に尋ねる。
「新たなる我が主よ。御名をきかせ給え……。」
「ああ。名乗ってなかったっけ?」
しばしの間、考え込んだ彼はこう答えた。
「ヴァニタス・ヴァニタートゥム……とでも呼んでくれ……。」
****
その後、魔界の勢力図が激変することとなる。
復活した元・大魔王サタンに対し、現・魔界皇帝ベルゼビュートの勢力は、相互不可侵の協定を結ぶ。
サタンはかつての部下を取り込みながら、魔界での影響力を増していく。
そして、世界のバランスも大きく崩れていくこととなるのであったー。
これはなにかこの残された世界、ロスト・ワールドに異物がまじり、波紋を呼んでいることの現れに過ぎないのかー。
『魔界連合王国』は、皇帝ベルゼビュートが最大勢力派閥の連合国家である。
ここに、復活した大魔王サタンが勢力を盛り返しつつあるという。その傍らには蝗の仮面をつけたヴァニタスと名乗る参謀がついているという。
サタン、ベルゼブブに次ぐ第3位の地位を持つ強大な魔神レヴィアタン。
七つの大罪の一人、怠惰の悪魔ベルフェゴール。
同じく七つの大罪の一人、強欲の悪魔マモン。
赤い貴公子、大魔王ベリアル。
魔界の宰相ルキフグス。
さまざまな勢力が覇権を争いながらも、他国への影響力を増し、その魔手を伸ばしつつあった。
今後、その勢いはさらに加速していくであろう。
ヴァニタスという小石が魔界に投げ込まれ、一気に周囲の悪魔を巻き込みながら、暴風となっていく。
「サタンめ……。いかにしてあの『****』の牢獄から抜け出せたというのか……?」
皇帝ベルゼビュートは疑問に感じるも、サタンが解放されたという事実に変わりがないことを冷静に受け止め、さっそく不可侵協定を結んだのだった。
旅団長サルガタナスもベルゼビュートに上申する。
「私の持つ、人をあらゆる場所に移動させる力、あらゆる鍵を開ける力を持ってしても、不可能なことです。それにアバドーンが持つという『奈落の鍵』は世界の断絶によって、もはや手にすることも不可能のはず……。」
「サルガタナスよ。そのことはもういい……。貴公も配下の者どもの手綱をしっかり握っておけよ?」
「は! かしこまりました。」
「嵐が……やってきおったな……。まさかいまさら『****』の仕業ではあるまいな……?」
ベルゼビュートは一人考えにふけるのであったー。
~続く~
©(ヨブ記の訳文は岩波書店『旧約聖書Ⅻ』収録の並木浩一先生の訳)
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