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〜5章〜

無垢なまじない

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 テントの中に頭だけを突っ込んだシエロは唖然としました。

 魔女の姿がありません。

 パタムールが興味津々と言った様子でぐりぐりと顔を覗かせてきます。

「おったまげたなぁ。空っぽだ」

 パタムールの言うとおりテントの中には何もなく、魔女は忽然と姿を消していました。

 と、突然シエロたちが首を突っ込んでいるところとは反対の方から魔女が顔を覗かせます。

 どうやらこの空っぽのテントには入口が二つあるようです。

「ちょっと、何してるのよ。早くしてよね」

 あぁ、なるほど、とシエロは身をかがめ反対の入口へと向かいました。

 ズボッと顔だけを覗かせると、なんと目の前には美しい浜辺が広がっているではないですか。

 カモメたちが優雅に潮風と戯れ、真っ白な砂浜がどこまでも広がっているようです。

 太陽の日差しに照らされた海がキラキラと輝いています。

 はぁー、と感心した様子のシエロとパタムールは顔を見合わせると、シニーの後を追いました。

「そこが私のお家よ」

 シニーは浜辺の上にポツリと立つ小さな木の家を指差して言いました。

 ウッドデッキが海の方へとせり出すその小さな家はなんとも味気のないものでした。

「言っとくけど、変なこと考えないでよね。カエルにしちゃうわよ」

 人差し指をピンっと突き立てシエロの眉間を突いた魔女は、それではどうぞお客さま、と恭しくシエロたちを招き入れました。

 中は案外質素なものでした。

 魔女の住む家ともなると、不可思議なもので溢れていると勝手に思っていたからです。

「適当に座って」とシニーは奥にあるもう一つの部屋の方へと消えて行きます。

 随分と使い込まれた様子のソファへと腰を下ろすと、うっすらと埃が沸き立ちました。

「乙女の部屋って感じじゃないな」

 パタムールは沸き立つ埃たちをかわし、そうこぼします。

 すぐに大きな本を抱えたシニーが嬉しそうに戻ってきました。

「あったわ!」

 ドンっと机の上にその大きな本を投げ出します。

 表紙には『お仕置きまじない大全』と書いてあります。

 シニーはその本をゆっくりとめくると目次の欄に指を這わせ、一つ一つ読み上げて行きます。

「深爪のまじない。んー、ニキビ、これも違うわね・・・あ、あった。これだわ」

 よっこいしょっとお目当てのページを開いたシニーは笑います。

 シエロとパタムールは首を伸ばしシニーの開いたページを覗き込みました。

 そこには『ご褒美禁止のまじない』と書かれていました。

 小さく細かい字でぎっしりと埋め尽くされているそのページを、シニーは食い入るように読み込んでいるようです。

「あ、ここね!」とシニーがとある箇所を指差しました。

 パタムールはシエロの肩から飛び降りると、シニーの指差す箇所を読み上げ始めます。

「えーっと、『濁りなき乙女の涙が光る時、濁りなき反逆者の欲望は奪われ、濁りなき乙女の人形へと閉じ込められる』」

 パタムールはシエロの方を振り返り「この人形ってオレのことだ!」と嬉しそうに笑います。シエロはブスッと黙ったままです。

 シニーは、そういうことみたいね、と笑いました。

「この箇所はつまり、あなたは子供の頃に誰か女の子を泣かせて、そのせいであなたにとって大切なものは全部、パタムールに閉じ込められちゃったってことよ」

 パタムールは腰に手を当て「はて?」と首を傾げています。

「子供の純真無垢な怒りって怖いわよ、それが女の子ならなおのこと、ね」とシニー。

 シエロはムッとした様子で本の上のパタムールを持ち上げると、続きを読み始めました。

「『濁りなき反逆者は名を奪われ、欲を奪われ、心を奪われる。濁りなき乙女への贖罪を果たした時、そのまじないは遂に解かれることだろう』・・・つまり?」

 シエロは困ったように眉を顰めました。

 なんだかわかるようなわからないような。

 そもそものところ;、シエロは糖分が足りていないのです。

 パタムールも何が何だか、と言った様子です。

 そんな二人を見てシニーは笑います。

「それはもっと単純明快だわ。『名を奪われ』ってのは、あなたが『幸運のピエロ』デシデリオとして生きているということでしょ。で、『欲を奪われ』ってのは甘いものが食べられないことかしらね。『心を奪われる』っていうのは・・・あぁ、そうか『恋』か」

 ははーん、とニヤニヤし始めたシニーは「なーんだ」と一人何か納得した様子でキッチンの方へと歩いて行きました。

「おもてなしがまだだったわね。準備するからちょっと待ってて」

 シニーはそういうとヤカンに火をかけ、おもてなしの準備を始めました。

 パタムールはシエロの肩の上で足をぶらぶらとさせながら何やら物思いに耽っているようです。

 なんて珍しいことでしょうか。

 それはさておきシエロはその続きが気になって仕方がありません。

 シエロはその本を自分のところへと手繰り寄せると続きを読み始めました。

 本の続きにはこんなことが書いてありました。

『真の名を名乗り、仮の姿を捨てた時、まじないをかけられた者の心は砕かれる』

 あれ、とシエロは首を傾げます。

「シニー、ちょっと」

 シエロは手招きをして魔女を呼びつけます。

 ちょうど準備が整った頃であったシニーは、コーヒーカップ二つと小さなバターの乗った小皿を宙に漂わせながら戻ってきました。

 ゆらゆらと漂うコーヒーカップたちは静かに机の上に着陸すると、ふわふわと真っ白な湯気をあげ始めました。

「これ食べていいからね」

 小さなバターの乗った小皿をパタムールの机の上に着陸させたシニーは、シエロの指差す文言を読み始めました。

 物思いに耽っていたパタムールは「やったー!」と歓声を上げながらシエロの肩の上から飛び降ります。

「あー、別にあなたが名乗ったわけじゃないでしょ?私が言い当てたんだから」

 シニーは鼻をツンと上げ、自慢げに胸を張ります。

「だから、ここに書いてあることには当てはまらない、ってことでいいんじゃない?実際、特に体に異常はなんもないわけでしょ?」

 パタムールは嬉しそうにバターを舐め回しています。先ほどまで静かに考え事をしていたことなどとうに忘れてしまったかのようです。

「なるほど。じゃあ、この次については、どう思う?」

 シニーはゆっくりとシエロの隣へと腰を下ろすと、コーヒーを一口啜ってから本を覗き込みました。

「えー、あ、ここね。なになに。『欲望に負けた手の早い者の心もまた砕かれる』か。んー、恐らくだけどあなたの場合の『欲』って甘いもののことだと思うのよね。手相にもそう出てたし」

 甘い者好きでしょ?と、シニーが尋ねシエロは黙って頷きます。

 ふふ、私も。とシニーは話を続けます。

「だから、甘いものを食べられないってことが罰の一つになっているってことだと思うわ。『心が砕かれる』ってのは死を意味するのか、はたまた苦しみを意味するのかはわからないけど、まぁいずれにせよやめといた方がいいわね」

 バターを食べ終え満足げなパタムールは、机の上にゴロリと寝転がりあくびをしています。

 シエロは美味しそうな湯気を立たせるコーヒーには手をつけず、さらにその続きを読み始めました。

「『罪を忘れ心移ろわせた者の心もまたしかり』だとさ」

 シエロはその箇所を指差しながらシニーへと手渡しました。

 シニーはそれを受け取ることはなく、懐からタバコを取り出すと美味しそうに吸い始めました。

 すぐさま室内が煙でモクモクとしてきます。

 ウトウトとしていたパタムールが煙に叩き起こされたようで、目を擦りながら風上へと避難して行きます。

「それはね」

 ぶわぁわぁっと煙を吐き出したシニーは面白がるようにこちらを見つめます。

「浮気しちゃダメよ、ってこと」

 真っ白なタバコの煙の中を星形のウィンクが飛んできて、シエロの額にぶつかりました。

 シエロは星のぶつかった額をさすりながら、苦笑いを浮かべます。

「なんのことやらさっぱりだ」

 今度はタバコの煙をシエロめがけて吐き出したシニーは、ふんっと鼻を鳴らし立ち上がります。

「男はいつまで経ってもお子ちゃまね」

 ゲホゲホっと煙に巻かれたシエロは抗議の声を上げましたが、それを遮るかのように魔女は話を続けます。

「その後に書いてあるでしょ?『濁りなき乙女への贖罪は、罪を背負い仮の姿で涙を晴らすべし』って。ピエロになって私を笑わせてみろってことよ」

 シニーはそう言うと大きな本を持って奥の部屋へと篭ってしまいました。

「なんだか、大変そうだな」

 煙たちの好奇心をめんどくさそうにあしらっているパタムールが呑気に言いました。

 シエロはその煙たちを手で追い払うと、深いため息をつきました。

「ほんとだよ。結局、この魔法を解く方法はわからずじまいってことなのかな」

 はぁっとソファに身を預け、ゆっくりと目を閉じるシエロ。

 なんだか疲れてきてしまったようです。

 ウトウトとし始めたシエロはすぐさまシニーの大きな声に叩き起こされました。

「ちょっと、何勝手に乙女の家で寝ようとしてるのよ。さっさと行くわよ」

 シニーはそういうとさっさと扉を開けて表に出て行ってしまいました。

「行くってどこに?」

 シエロは慌てて魔女の後を追いました。パタムールも慌てた様子で紐を手繰り寄せいつもの定位置へと収まりました。

「さっきも言ったでしょ?」

 美しい浜辺には不釣り合いの格好した魔女が言いました。

「『仮の姿で涙を晴らすべし』。あんたに魔法をかけたその子を笑わせに行くのよ」

 その魔女はそう言うとさっさと一人で歩いて行ってしまいました。

 呆然とその魔女の背中を見守るシエロ。

「解決方法、見つかったみたいだな」

 パタムールはなんだか気の毒といった様子で慰めるかのようにシエロの肩を叩きました。

 シエロは複雑な思いを抱えながらもその魔女の後を追いました。
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