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〜10章〜

人工島ムンサントルテ

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 ルーフェとエイマは今、目の前に広がる豪華絢爛な街並みに圧倒され、肩を寄せ合って呆然と立ち尽くしていました。

 首都ラティリアの港から船に乗ること二十分。

 初めて訪れる『人工島ムンサントルテ』はまるで別世界の装いでした。

 先日、マジディクラに一通のお手紙が届きました。

 珍しいこともあるもんだ、と宛名を見てみるとなんとそこにはディアボロ伯爵の名前が。

 慌てて封を切り手紙を引っ張り出したルーフェは、なんだか高鳴る胸はさておいて、伯爵からの手紙に目を通しました。

 その手紙には次のように書いてありました。

『エイマ・レットルテ殿。ルーフェ・オーレンワッフ殿。

 とろけるフォンダンショコラが恋しい季節がやってまいりました。

 さて、先般よりご協力いただいております焼き菓子の件につきまして、改めてご相談の場を設けさせていただきたく、つきましては一度我がホテルへのご来訪を賜りたく存じます。

 返信用封筒を同封しておりますゆえ、ご希望の日時をご記入の上ご返送いただけたらと思います。

 ご足労いただくことになり大変恐縮ではございますが、ホテルへと到着されましたらフロントにこの手紙をお渡しください。

 それではまたお会いできることを心より楽しみにしております。

 スウィッフルカンパニー 代表 ディアボロ伯爵』

 まぁ大変。なんてことでしょうか。

 ルーフェは慌ててエイマを呼び手紙を差し出します。

 手紙を読んだエイマもびっくりした様子で、何度も何度も読み返しているようです。

「ルーフェ。今日はもういいわ。行くわよ、買い物に!」

 エイマはそう言うとさっさと看板を下げ店仕舞いをしてしまいました。

「買い物って、何を?」

 その問いにエイマはニヤリと笑いルーフェの手を引いて店を後にしました。

 そんなこんなでムンサントルテへとやってきた二人。

 想像しうる限りのお洒落を決め込み意を決してやってきた二人でしたが、どこまでも広がる豪華な街並みと、そこに溶け込むかのように美しく華やかな人々に、二人は圧倒され動けずにいました。

「ねぇ、エイマ。早く行きましょ。約束の時間に遅れちゃまずいわ」

 エイマの腕にすがるように寄り添うルーフェは心細そうに小さく呟きます。

 ふぅっと深呼吸を三回ほど繰り返したエイマは「よし」とルーフェの腕を引き美しい街の中へと飛び込んでいきました。

 どこを切り取ってもまるで絵画のように美しい街並みは、歩いているだけでクラクラとしてきます。

 なんだかここにいてはいけない気がして、行き交う人々の目線を避けるようにして歩いていく二人は、やっとの思いでディアボロ伯爵のホテルへと辿り着きました。

 天まで届くのではないか、と思われるほど高いそのホテルは嫌味がなくそれでいて絶妙な華やかさを湛えている、なんとも素敵で上品な建物でした。

「あそこね」

 勇気を振り絞ってそのホテルへと立ち入った二人にすぐさま気がついたボーイは、美しい笑顔を湛えてこちらへとやってきます。

「いらっしゃいませ。今日はご宿泊ですか?それともレストラン利用で?」

 なんて素敵な笑顔なんでしょうか。

 いえ、見惚れている場合ではありません。

 エイマは咳払いを一つ、伯爵からの手紙をボーイへと差し出します。

 手紙を受け取ったボーイはまたもや素敵な笑顔を浮かべると、二人を案内してくれました。

 美しいホテルの中をボーイに誘われるままに歩いていくと、なんだか良い香りが鼻をついてきました。

「どうぞ」と案内されたのはなんとホテル内にあるレストランでした。

 それもムンサントルテの街並みが一望できる素晴らしい席を用意されていたようで、二人は呆然と席の前で立ち尽くしてしまいました。

 ボーイは微笑みを湛えたまま、何やら懐から取り出すと二人にそれを差し出します。

 手渡されたのはどうやらメッセージカードのようです。

 そこには伯爵の直筆で簡潔にこう書かれていました。

『ようこそ。我が自慢のレストランでの時間をぜひ二人に楽しんでいただきたく、お好きなものをお好きなだけ、遠慮なくお召し上がりください。

 呼びつけておいて大変恐縮ではありますが、本日は私はどうしても外せない来客があり同席はできかねますが、どうか素敵な時間を過ごされますよう。

 お二人のガトーショコラを私どものお客さまがいかに楽しんでくださっているか、ぜひその目で見ていただけたら幸いでございます。

 それでは、良い時間を。

 ディアボロ』

 エイマの隣でそのメッセージカードを覗き込んでいたルーフェは大変驚きました。

 きっと伯爵はルーフェたちに自信を持たせたかったのでしょう。

 なんて心の広いお方なのでしょうか。

 伯爵の粋な計らいにルーフェは心から感動しドキドキと胸を高鳴らせました。

「ほんと、できる男はどこまで行っても素敵ね」

 エイマはうっとりとそのメッセージカードを眺めると、大切そうにポーチへとしまいます。

 二人はなんだか馴染みのない華やかな空気の中ふわふわと落ち着かない気持ちではありましたが、せっかくの伯爵のご厚意に甘えることに腹を決め、意を決してメニュー表を眺めました。

「・・・・」

 二人は一旦静かにメニュー表を机の上へと戻すと、互いに見つめ合いなんとも弱々しい笑顔を浮かべました。

 想像はしていましたが、それでも実際に目にするとなんとも気の引けるものです。

「やっぱり・・・高いわね」

 珍しく弱気な笑顔を浮かべるエイマはふぅっと深いため息をつきました。

 その気持ちはルーフェも同じで、ほんとにこんなに高級なものをいただいても良いものか、と頭がクラクラとする思いでした。

「はぁ・・・いいわ」

 エイマはそう呟くとスッと手を上げ、ウェイターを呼びつけました。

 ルーフェは不安な気持ちをなんとか抑え、その動向をじっと見守ります。

「このコースを」

 震える指で指し示したコースを覗き見たルーフェはっと息を飲みました。

 信じられないことになんとエイマはメニューの中でも一番高いコース料理を頼んでいたのです。

 爽やかな笑顔で下がっていったウェイターの方を不安げに見遣りながら、ルーフェはエイマの袖を引っ張り抗議の声を上げました。

「ちょっと!わざわざ一番高いやつを頼む必要なんてなかったじゃない」

 冷や汗を浮かべながらも優雅な表情をなんとか保とうとしているエイマはゆっくりと微笑みました。

「いいの。伯爵からの挑戦よ、これは。一流を知らないものには一流のものは作れない。一流にいちいち怖気付いているようでは、一流にはなれない。そんなところよ・・・きっと」

 エイマは自身のその言葉に少しだけ背中を押されたようで、先ほどよりも少しばかりは余裕を取り戻した様子です。

「だから、いい?しっかりと学んで帰るわよ。私たちだって一流のお菓子を作るって決めたでしょ?」

 エイマはそう言うとゆったりとくつろいだ様子で窓の向こうに映るムンサントルテの街並みを優雅に見下ろしました。

 ルーフェは自身を落ち着かせようとゆっくりとした呼吸を意識して、エイマに倣って優雅に見えるよう努めます。

 そうしているとすぐに最初の料理が運ばれてきました。

 まるでブラックダイヤモンドのように妖艶に光るまん丸のお皿には、純白の真珠貝がしなりと佇み輝きを放っています。

 その真珠貝は片目を開けてこちらをチラリと見ると、すぐに興味が失せた様子で素気なく目を伏せます。

 ここで引いたらダメだわ。

 ルーフェは自らにそう言い聞かせ、意を決してその真珠貝を開きました。

 すると中には人魚が横たわっているではありませんか。

 目を瞬かせてその人魚を見つめていると、隣でエイマがルーフェをせっつきました。

「ちょっと、そんなに情けない顔しないでよ。いただきましょ」

 人魚だと思ったそれはどうやら美しく造られた貝の身のようです。

 ごくりと生唾を飲み込んだ二人は意を決してその貝の身をいただきます。

 まるで口の中で星が弾けたかのように、上品な香りが広がります。

 なんて美味しいんでしょうか。

 エイマを見やると彼女も驚いた様子を必死に隠そうとしていますが、それでもやはりその圧倒的な美味に目を白黒とさせています。

 こんな調子で料理を召し上がっていては、食べ終わる頃にはどうなってしまうのでしょうか。

 ルーフェたちは次から次へと運ばれてくる料理に舌鼓を打つどころか、舌交響曲を奏でています。

 何を言っているのでしょうか。

 もはやそれすらもわからないぐらいに、運ばれてくる料理たちはそのどれもが素晴らしく二人に新しい世界を見せてくれました。

「帰ったらしばらくご飯が食べられなくなるかも」

 一通り料理を平らげ食後のスイーツとカフェを待っていた二人は、信じられないくらいの満足感とこれまた信じられないくらいの焦りを感じ弱々しく洗い合いました。

「お待たせしました。当店自慢の『三日月のガトーショコラ』になります」

 すっと目の前に差し出されたスイーツはマジディクラで作られたあのガトーショコラです。

 もっと言うと、ルーフェ自身が焼いた焼き菓子です。

 それがなんということでしょうか。

 目の前のプレートにはまるで闇夜に浮かぶ三日月のように、ガトーショコラがその存在感を放っており、その周辺の夜空を星々がキラキラと彩っています。

 手前には広大な大地と森のソースが広がっており、月光を浴びて心地よさそうにツヤツヤと揺れているようです。

 それはまるで一枚の絵画のように厳かで美しいものでした。

「あなたが焼いたものだってことを忘れてしまうわね」

 エイマは食後のコーヒーを上品に運びながらそう呟きました。

 ルーフェはそれには応えずに、目の前のプレートに魅入られていました。

 まるで魔法、だ。

 ぼんやりと目の前の絵画に見惚れていると、ふと周りのお客様にも同様に食後のスイーツが運ばれていくのが聞こえてきました。

「当店自慢の『三日月のガトーショコラ』になります」

 当店自慢、だなんて。

 なんだか恐縮だわ。

 そんなルーフェの心を読み取ったのか、エイマはルーフェの肩にそっと触れ小さく呟きます。

「私の後ろ側の席のお客さん、見てみて。すっごい幸せそうな顔してるわよ」

 優しげな表情を浮かべるエイマは、今では立派にこのレストランにふさわしい女性になっているようでした。

 それもまた、まるで魔法だ、とルーフェは心の中で少しだけ笑った後、彼女の言った方向のお客さまへと視線を投げてみました。

 小さく切り分けられたガトーショコラを上品に口へと運んだ婦人は、まるで少女のように目をキラキラと輝かせて頬を緩ませています。

 その隣ではまた別の婦人がうっとりとした表情を浮かべて、口の中に広がるガトーショコラの風味を楽しんでいるようです。

 あぁ、あれを見るために私はお菓子屋さんになったんだ。

 別のお客さまへと視線を向けると、今度はでっぷりと太った壮年がこれまた子供のように目を輝かせてスイーツのプレートを眺めていました。

 大きく切り分けたガトーショコラを無邪気に口に運んだその壮年は深いため息をついて天を仰ぎました。

 その目はまるで巨大な一枚絵を目の前にした時のように、感嘆の想いを宿しています。

「もっと頑張らなきゃね」

 エイマのその言葉に心からの笑顔を浮かべたルーフェは目の前のプレートに視線を戻しました。

 いただきます。

 なんだか実家に帰ってきたかのような安心感が口の中に広がります。

「あぁ、美味しい」

 自画自賛のその言葉に、二人はいたずらっ子のようにニヤリと笑いました。

 目の前に広がるムンサントルテの街並みが少しだけ身近に感じた瞬間でした。

 悠々とした心でその景色を見下ろしたルーフェの心は、すっきりと晴れ渡り決意新たに燦々と輝いていました。
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