Next to Her Last Message

羽上帆樽

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第5章 封筒に仕舞う作業

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 次の日も、朝食をとったあと、僕とクレイルは応接室に移動して、遺書の執筆を行った。二日目にしてクレイルも段々と慣れてきたようで、僕が書く速度と彼女が話す速度は、適切な具合で合うようになった。僕の方も万年筆の使い方には慣れ、昨日よりはインクを付ける頻度が小さくなった。文字の大きさやインクの厚みも一定になってきて、着実に進歩しているのが実感できた。

 リィルは、昨日話していたように、クレイルに許可をとって、子どもたち二人と外へ出かけたようだ。玄関を出る際、ココとヴィは不安そうな顔をしていたが、リィルは二人の面倒を上手く見れているだろうか。草原で遊ぶのは大変そうだから、森まで行ってくるとリィルは話していたが、その分怪我をするリスクは増えることになる。まあ、何だかんだいってリィルは運動神経が良いし、大事には至らないと思うが……。それに、ココもヴィも長い間ここで暮らしているのだから、当然外で遊ぶ機会もあっただろう。

 羊皮紙が二枚埋まったタイミングで、僕とクレイルは少しだけ休憩した。昨日は同じ分量を書くのに三時間を要したが、今日は二時間ほどで終わった。

「体調は、大丈夫ですか?」

 持ってきてもらった熱いお茶を飲みながら、僕はクレイルに質問した。

「ええ、お陰様で」彼女は微笑む。「私、これでも、もうすぐ最期を迎えるとは思えないくらい元気なんです。毎日きちんと家事もできているし、このままなら、もう少し長生きできるのではないかと考えているくらい」

 僕には、それが強がりであることが分かった。家事も、子どもたちの世話も、彼女は無理をして行っている。本当は辛いはずだ。けれど、辛いと正直に言えない気持ちも、僕にはなんとなく分かった。僕も無理をしてしまう質だし、他人に心配をかけたくないとは常々思う。

「……彼女たちは、どこまで知っているんですか?」

 カップをソーサーに戻す素振りとともに、僕はそれとなく質問した。

 クレイルは、反対に、カップを持ち上げ、それを一口飲む。

 目を伏せて、喉に液体を通す表情。

 お茶を飲み終えた彼女と、僕は自然と目が合った。

「まだ、何も話していません」クレイルは言った。「でも……。ええ、そう、あの子たちは、もう気づいていると思います。私が言うのは変かもしれませんけど、なかなか賢い子たちなの。昔からそうだった。二人とも、私の言うことをよく聞いてくれる。きっと、私一人で世話をしなくてはならないから、色々と考えてくれたのね」

「伝えなくて、いいんですか?」

 それは、僕が言うべき言葉ではないと分かっていたが、僕はあえて尋ねた。クレイルなら許してくれると思ったからだ。

「ええ、そうね……」クレイルは、僕に笑いかけてくれた。「本当は、伝えるべきだと分かっています。でも……。やっぱり、なかなか伝えられないんです。どう言ったらいいのか分からない。いえ、本当は分かっている。本当のことを、正直に言えばいいのですからね。それでも、言えない。私は、あの子たちとは違って、弱い人間なんです。身体も、心も、弱い。だから、あの子たちを置いて、先に行ってしまうの」

「……遺書は、そのために、書いているんですか? その、つまり……、自分が死んだことを伝えるために……」

「それもあります。ただ、すべては伝えられないから、今の内に、本当に伝えたいことをピックアップしておこうと思いました」

 僕は頷いた。

 さらに一時間ほどかけて、僕たちはもう一枚分執筆を行った。もう、僕は、クレイルが話す内容をほとんど理解していなかった。合計で数時間にも満たない経験から、僕は、人が話す内容に耳を傾けている振りをする技能を、習得してしまったのだ。こういう実益のない技能は、不思議とすぐに身につく。悪戯をするときだけ悪知恵がはたらく子どもと同じだ。

 正午を過ぎた頃、玄関の方から音がした。そして、間髪を入れずに、応接室のドアが開かれた。

 僕とクレイルは同時に顔を上げ、部屋の入り口に顔を向ける。

 リィルが、息を切らして立っていた。

 見ると、服や、顔が、汚れている。

 汚れの原因は、土だけではない。

 乾いた血が付着しているのが分かった。

「ヴィが、怪我をしてしまって……」

 リィルは震えた声で呟いた。

 クレイルは立ち上がり、応接室を出ていく。リィルも彼女と一緒に部屋を出ていった。少し遅れたが、僕も二人のあとについて玄関に向かった。

 玄関のドアを入った辺りに、ココとヴィが立っていた。ヴィの衣服に付着した泥を、ココが叩いて落としている。しかし、二人とも泣いている様子はなく、いたって冷静な表情で状況に対応していた。

 クレイルがヴィに近づき、様子を観察する。怪我は大したものではなく、腕と脚の一部を擦り剥いた程度だった。

 ヴィの世話をするとき、クレイルは終始笑顔だった。

 ヴィも、何ともないような顔で、母親の顔を見つめていた。

「大丈夫?」

 クレイルは、手を伸ばしてヴィの頭を撫でる。

「あのね、木に上っていたら、落ちちゃって……」ヴィは説明した。「それで、でも……、そのお姉さんが、助けてくれた」

 そう言って、ヴィはリィルを指差す。僕とクレイルは彼女に視線を向けたが、リィルはきょとんとした顔で固まっているだけだった。

「落ちそうになったのを、下で受け止めてくれたんだよ」今度はココが言った。「だから、ヴィは怪我しないで済んだ」

「そう……」クレイルは頷く。「貴女たちが無事で、よかったわ」

 ヴィを風呂場に連れていき、クレイルはヴィの怪我の手当てを始めた。その間、僕はリビングでリィルの方の手当てを行った。先ほどは、彼女は怪我をしていないと思ったが、見ると、腕に少し深い傷ができていた。ただ、もう血は出ていない。彼女の体液はそれなりに早く乾く性質を持っているようだ。リィルには、赤、青、そして黄色の体液が流れているが、今回欠損した管は赤色の体液が流れるもので、色々な意味で不幸中の幸いだった。

 消毒液を借りて、ガーゼを使って僕はそれをリィルの肌に押し当てる。

 彼女は少し顔を顰めたが、声は上げなかった。

「大丈夫?」僕は尋ねる。

 リィルは黙って一度頷いた。

 リビングのドアが開いて、ココが室内に入ってくる。その後ろからクレイルとヴィも姿を現した。僕が治療セットをクレイルに手渡すと、今度は彼女がヴィの消毒を始める。

 僕とリィルは彼女たちから少し距離を置いて、話した。

「それにしても、君が転んだのは、どういうこと?」僕は質問した。

「え、いや、えーと……」リィルは答える。「実は、わざと転んだ」

「え? どうして?」

「危なかったからだよ。そうしないと、衝撃が大きくて、ヴィの怪我が酷くなりそうだっ
たから……」

「なるほど」

 リィルの身体には、万能のスタビライザーが搭載されている。そのため、相当な衝撃が加わらない限り、彼女は転倒しない。落ちてきたものを受け止めたり、ちょっとした石に躓いたりしただけでは、バランスを崩すことがあっても、そのまま踏ん張ってすぐに体勢を立て直す。だから、彼女が転んで怪我をしたというのは、僕には疑問だったのだ。

「木って、どのくらいの高さ?」

 治療されるヴィを遠目に見ながら、僕はリィルに尋ねる。

「そんなに高くないよ。せいぜい、私の背より、少し高いくらい」

「上りたいって、二人が言ったの?」

「うん……。危ないから、やめた方がいいって言ったんだけど、どうしてもって言うから……」

「阻止できなかったのは、君の責任かもね」

「うん……」

「いや、冗談だよ。クレイルがどう思うは分からないけど、うん、僕は、そんなふうには思っていないから、安心して」

「じゃあ、最初からそう言ってよ」

「たしかに」

 傷の手当てが終了し、ヴィは椅子から立ち上がった。特に痛みを感じるわけではないらしい。風呂に入るときに痛むかもしれないが、怪我の程度を見る限りすぐに治るだろう。

 ゆっくりとした足取りで、ヴィが僕たちの方に近づいてくる。

 それから、彼女はリィルに向かって軽く頭を下げた。

「迷惑をかけて、ごめんなさい……」

 呟くように小さな声だったが、今まで聞いた中では、僕には一番感情が籠もっているように聞こえた。

 リィルは、戸惑いながらも、ヴィの謝罪に応える。

「いや、私の方こそ、うん……、怪我させちゃって、ごめんね」

「今度から、気をつけます」

「うん、気をつけて」

 ヴィはクレイルの傍に戻っていく。彼女は笑顔でヴィの頭を撫でた。

 ちょうど良い時間だったから、昼食をとることになった。昨日のように庭に赴くことはせず、今日は朝と同じようにリビングで食べた。

 昼食の場では、ココとヴィはいつにも増して快活だった。いや、平均以上に快活な印象は受けないが、いつもに比べれば元気があった。外で遊んだ様子をクレイルに説明し、何が楽しかったのか、それぞれ感想を述べた。食事をしながら僕は二人の話を聞いていた。

 どうやら、リィルは二人と打ち解けることができたようだ。完全ではないにせよ、少しずつ前進しているのは確かだろう。特に、落ちそうになったのを助けるというのは、信頼関係を築くのにプラスに作用した可能性が高い。そうしたアクシデントは起きないに超したことはないが、実際に危険な状況に遭遇し、それをリィルが解決したとなれば、好感度が上がる要因になったのは間違いない。

 昼食をとり終えると、僕とクレイルは再び応接室に向かった。ココとヴィは室内で勉強をするらしい。もちろん、その場にはリィルが付き添うことになる。

「なかなか、上手くいっているみたいじゃないか」仕事を始める前に、僕はリィルに言った。

「うん、まあね」

 リィルの表情は、まだ迷いはあるのだろうが、比較的明るかった。

「子どもたちと仲よくして頂いているみたいで、本当に助かります」応接室に入ったタイミングで、クレイルが僕に言った。「彼女には、怪我を負わせてしまったみたいで、本当に申し訳ありません」

「ええ、いえ……」僕は椅子に座る。

「でも、子どもたちも心を開いてくれたようで、よかったわ」

「お二人は、よく、外で遊ばれるのですか?」気になったので僕は尋ねた。

「もう少し小さかった頃は、私と一緒に遊びに行きましたけど、最近はあまり……」

「静かで、いい環境ですからね」

「ええ、そうね」クレイルは頷く。「でも、本当は、もう少しほかの場所にも連れて行きたかったと思っています」

 午前中の成果は羊皮紙三枚だったので、午後は二枚を完成させることを目標にした。クレイルにはまだ伝えたいことのストックが沢山あるようで、途中で考え込むようなことはなかった。

 母親がこんな状態だから、ココもヴィも、一緒に外で遊んでくれるリィルが嬉しかったのかもしれない。僕も、子どもの頃は、今よりは家の外に出ることが多かった。夏に虫捕りをしたこともあるし、冬に雪達磨を作ったこともある。けれど、僕は一人で遊ぶことがほとんどで、僕の傍に友人がいることは稀だった。だから、姉妹という関係は多少なりとも憧れる。遊ぶことだけではなく、勉強や食事など、生活そのものを一緒に経験できる者が傍にいるというのは、それだけで心強い。もちろん、一人の方が良い面もある。ただ、僕にはココとヴィのような関係が羨ましく感じられた。

 午後四時を迎えたタイミングで、今日の仕事を終えた。書き終えた羊皮紙を纏めて、昨日の分と合流させる。片づけをしてクレイルと一緒に応接室を出た。

 リビングに入る前から、三人の話し声が聞こえていた。

 テーブルが置かれた一画で、ココとヴィはリィルと向かい合って座っている。

 適宜説明をしながら、リィルは二人に勉強を教えていた。

 二人も説明を熱心に聞いている。

 僕たちの気配を感じて、リィルが顔を上げた。

 ココとヴィもこちらを振り返る。

 三人が良好に仲を深められているようで、僕は安心した。

 夕飯までの間、僕とリィルは自室で休憩することにした。クレイルから貰ったコーヒーを飲みながら、僕は一人で読書をする。リィルはベッドに上がって、そこで寝転がっていた。

「なんか、思ったより、明るい子たちだった」

 僕が本を読んでいると、リィルが唐突にそんなことを言った。

「へえ、そうなの?」僕は応答する。

「うん……。やっぱり、私のことを知らないから、不安だったみたい。一度一緒に遊び出したら、けっこう、積極的に話してくれたよ。あと、勉強するときも、色々質問してくれたし……」

「よかったじゃないか」

「うん……」

 沈黙。

 開いている窓の隙間から、涼しい風が室内に流れ込む。

 布団のシーツが軽く靡いて音を立て、それからまた無音に戻った。

「そっちは、どう?」

 リィルの問いを受けて、僕は考える。

「うん、まあ、順調かな」僕は答えた。「クレイルも、色々と考えてくれたみたいで、なかなかいいペアワークができている」

「まだ、二日か……」

「意外と、長く感じるよね」

「うん……。でも、この二日間、慣れるのに大分体力を使った気がする」

 僕も同感だったので、頷いた。

「一週間したら、家に帰るわけだけど、そのとき、名残惜しいといいなあ……」リィルが言った。

「どうして?」

「いや、なんとなく……。それくらい、二人と仲よくなれれば、いいなってこと」

「二人は、いい子だって、クレイルが言っていたよ」僕は言った。「きっと、君のことももう信頼してくれたんじゃないかな」

「そうだといいけど」

「まだ、自信がないの?」

「うーん、どうだろう……」

 二人と接点が少ない分、ココとヴィの人柄について、僕はあまり詳しく知らない。きっと、想像しているよりも、二人は個性的な人間なのだろう。子どもと付き合うのは大変だが、リィルはその難問に短期間で攻略法を見つけたのかもしれない。僕が知らない一面を、リィルもまだ沢山抱えているようだ。

 夜に近づくにつれて、この辺りは暗くなる。暗くなるのはどこでも同じだが、周囲に人家がない分、より一層闇の濃度が増す。部屋の照明を点ければ問題ないが、窓の外を見ても、もう先の様子はほとんど窺えない。

 生活するだけなら、これ以上ないくらい良い空間だ。不便な部分もあるが、対処できないわけではない。都会にいて、静かな環境を持ってくることはできないが、静かな環境下で、必要なものを届けてもらうことはできる。そう考えると、僕たちが住んでいる場所よりも、こちらの方が優れた条件下にあるのかもしれない。少なくとも、ココやヴィがほかの人間と異なった環境で育ったことは、将来の二人にプラスの影響を齎すだろう。

 今日は僕の方が先に風呂に入ることになった。

 階段を下りて、洗面所に向かう。浴室の扉を開け、湯船に浸かった。

 自然とルルのことを思い出した。

 予言書がルルからのメッセージだとすれば、そこには何らかの内容があるはずだ。当たり前だが、もしそうであれば、僕たちはそれが何か確認する必要がある。しかし、今のところ確認する方法は考えられていない。何らかの方法で予言書を調べなくてはならないが、その方法が分からない。

 ルルは、どうして、僕たちにそのメッセージを伝えようとしているのだろう?

 そして……。

 それ以前の問題として、ルルは本当に存在しているのか?

 分からないことだらけだった。逆に、分かることだらけの場合など滅多にない。そして、リィルと出会ってからというもの、僕の周りでは分からないことばかり目立つようになった。その中には解決したものもあるが、一つが解決すると、次が分からなくなることがほとんどだ。生きていくとは、日々直面する問題を一つずつ解決していくのと同義だが、それにしても、解決しなくてはならない問題の数が、すでに飽和しているように思える。

 本当のところ、解決しなくてはならない問題というのは存在しない。僕が意識的にそれらを避ければ、何も考えなくて済む。解決しなくてはならないと感じるのは、僕の性分も大きく関係している。一度それを問題だと認識してしまうと、どうしても解決したくなってしまうのだ。普段は、そうした状態に陥らないように、やはり意識的に問題との直面を回避している。けれど、ルルやリィルに関することについては、その意識がはたらく前に、問題を問題として捉えてしまう傾向にある。

 それは、ルルやリィルの存在が、僕にとって大きいということでもある。

 自分の人生の中で、彼女たちは重要なファクターとしてはたらいている。

 ルルからのメッセージを、僕たちは解き明かさなくてはならない。

 そのゴールには、きっとルル本人がいる。

 理由は分からないが、僕にはそう思えた。

 風呂から出てリビングに向かうと、クレイルが料理を作っていた。ココやヴィの姿は見当たらない。二階の部屋にいるのだろう。

 クレイルに許可をとって、冷蔵庫からお茶が入ったボトル取り出し、コップに注いで飲む。キッチンに立つクレイルの姿は、どこか家庭的な雰囲気で溢れていた。エプロンを付けているからかもしれない。それ以前に、彼女の柔和な性格がそう感じさせるというのもある。

「夕飯、楽しみにしていますね」

 社交辞令のつもりで、僕はクレイルにそう伝えた。

 彼女はこちらを振り向き、僕に笑いかける。

「ええ、そう言って頂けると、嬉しいわ」

 キッチンを出て、自室に戻った。

 もう一人風呂に入るくらいの時間はあったが、リィルは、本を読んでいて、食事のあとで入ると話した。昨日と立場が逆だ。こういうことは割と頻繁に起こる。人と人との関係は、互いに影響し合って形作られるものだから、特に不思議ではないかもしれない。

 リィルはデスクの前に座っている。彼女が行儀良く座っているのを、僕は久し振りに見た気がした。

「何?」

 ベッドに座って後ろ姿を眺めていると、リィルはこちらを振り向いた。

「いや、何も」僕は答える。

「何か、変なこと考えていたでしょう」

「変なこと?」僕は首を傾げた。「何も、考えていないけど」

「今日の夕飯、何だと思う?」リィルは突然話題を変える。

「さあ……。まあ、たぶん、昨日と同じではないだろうね。彼女、豊富なバリエーションを持っていそうだから」

「秋刀魚の塩焼きは、ありそう?」

「いや、だから、それはないと思うよ」僕は言った。「君さ、なんで、そんなに秋刀魚に拘るわけ?」

「え、だから、格好良いから」

「何が?」

「フォルムが」

「それについて、一日考えてみたんだけど、やっぱり僕には理解できない」

「そんなこと、考えていないでしょう?」

「うん、そうだけど、考えても、理解できなかったと思う」

「秋刀魚と鮪だったら、秋刀魚の方が、圧倒的に格好良いでしょう?」リィルは説明した。「秋刀魚のしゅっとした体型が、私にはぴったりなの。鮪って、どっちかっていうと、割とふっくらしているじゃない? そうじゃなくて、魚らしい、鋭利な感じの方が、心にぐっと来るっていうか……。それが、私が秋刀魚が好きな理由だよ」

「ごめん、全然分からなかった」

 僕がそう言うと、リィルは若干目を釣り上げた。

「君さ、私の話聞いていなかったの? 今、ちゃんと、説明したじゃん」

「説明されたけど、その説明の意味が、理解できなかったってことだよ。適当な順番に単語を並べて文章を作ったら、単語の意味は分かっても、文章の意味は分からないだろう?」

「私の説明が、文章になっていないって言うの?」

「うん、まあ、そう」

「酷い」リィルは勢い良く顔を背ける。「まったく。人が一生懸命説明しているのに」

「君さ、何をそんなにかっかしているわけ?」

「していないから!」

「しているよ」

 危険な感じがしたので、僕はそれ以上彼女には触れなかった。

 夕食の場でも、ココとヴィはリィルとコミュニケーションをとってくれた。二人の方から話しかけてくることはあまりないが、リィルが何かを尋ねると、大抵の質問には答えてくれた。ただ答えるだけではなく、ごく自然な感じで自分の意見も述べてくれたりする。彼女たちの距離は、今日一日で大分縮まったようだ。

 しかし、僕にはまだ気を許してくれていないみたいで、二人ともなかなか僕の方を見ようとしなかった。話した回数が少ないから当たり前だが、なんとなく、もう少し話せたら良いな、とは思う。他人との関係に積極的な方ではないから、僕にも改善するべきところはあるだろう。

 ココとヴィは、食事が終わるとすぐに自室へと戻った。リィルは風呂に入ると言って、リビングを出ていった。

 部屋には、食器を洗うクレイルと、僕だけが残された。

 食事が終わったタイミングで、洗い物を手伝うとクレイルに申し出たが、彼女はそれを断った。大事な客人を煩わせるわけにはいかない、というのが彼女の主張だった。客人だからといって、何でもやってもらうわけにはいかないと僕も食い下がったが、寛いでもらった方が嬉しいと言って、クレイルは譲らなかった。

 窓際にあるソファに腰をかけて、僕はじっと天井を見つめている。リビングの照明は消えていて、クレイルが立つシンクの辺りだけ明るかった。

 顔を横に向けて、窓の外を見る。空は見えないが、そこに沢山の星が輝いていることは知っている。自室の窓から確かめたからだ。

「ここでの生活には、慣れましたか?」

 僕がぼうっとしていると、洗い物を続けながら、クレイルが尋ねてきた。

「ええ、まあ……」僕は彼女の方を見て答える。「普段自分たちでやっていることを、色々とやってもらっているから、負荷がかからなくて助かります」

「それならよかったわ」クレイルは振り返った。「本当は、お客様をお呼びすることはあまりないから、私もわくわくしているの」

「普段は、訪問者は、あまりいないんですか?」

「ええ、そうね……」クレイルは再び前を向く。「場所が場所ですから、特別な用がない限り誰も来ません」

 暫くの間無言が続く。

 食器が擦れる音が響いた。

「……身体の方は、大丈夫ですか?」

 今尋ねるべきだと思って、僕は質問した。

「ええ……」クレイルは答える。「不自由はしていません。自分では、体調は良いつもりです」

「その病気は、その……、発症してから、どのくらいなんですか?」

「もう、ずっとです。二人が生まれてから、すぐに症状が表れて……。だから、あの子たちには、本当に健康な母親の姿を、一度も見せられなかったことになります」

 僕は頷く。

「でも、それでもよかったと思っているの。二人が生まれる前に病気を患っていたら、あの子たちがどうなっていたのか、分かりませんから……」

 僕は再び顔を上に向ける。

 生物学的な観点からいえば、クレイルは、個体としての役目をすでに全うしたといえる。生物の役目とは、自分の遺伝子を後世に残すことだ。クレイルには二人の子どもがいるから、その遺伝子が今後も存続する可能性は、一人の場合よりも明らかに高い。人間以外の動物では、子どもを産むとすぐに死んでしまう種も多い。そう考えれば、この十二年間、クレイルは立派に親として機能したといって良い。

 ただ……。

 人間には、生物学的な観点からでは説明のできない、欲というものが存在する。

 それは、人によって様々な形を成す。

 自分が産んだ子どもの行く末を、最後まで見届けたいと思うのも、その一つだ。

 あるいは、その反対の立場でも……。

「何か、飲みますか?」

 気がつくと、クレイルが僕の前に立っていた。

 僕は椅子の背に預けていた身体を起こし、彼女の質問に答える。

「じゃあ、お願いします」

「何がいいですか?」

「何でも」僕は言った。「あ、でも、アルコール以外でお願いします」
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