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第5話 生
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揺れる炎に掌をかざし続けて、ウルスは目を閉じていた。自分の内側に熱い感覚がある。それは、獣に臓物を触れられるような、気持ちの悪い感覚だった。その生物的な感覚は、彼女の内に潜む何かを触発した。それは今にも暴れ出しそうなほど、絶大な力を以て蠢いている。
掌が熱くなるのを感じる。炎に触れたのだと分かった。しかし、手の表面は焼けない。炎は彼女の掌を撫でるように動くと、やがてその内側へと潜り込んでいった。
炎が自分の中に宿る。
今まで完全に分け隔たれていたそれが、自分の一部となる感覚が確かに生じた。
世界へと干渉する。
自分が世界になる。
あるいは、世界が自分になる。
どちらかがどちらかになるのではない。
その段階を飛び越えて、両者が均一の存在として並立している。
いや、もはや並立さえしていない。
どちらでも同じこと。
目を開くと、テーブルの向こう側で老婆がこちらを見つめていた。大して驚いた様子もなく、ただ感心したような顔をしている。
「これは驚いたね」老婆が言った。「お前は、私が想像していた以上に、魔術師の才を持っているようだ」
「私は、魔術師になれるの?」
ウルスが尋ねると、老婆は静かに一度頷いた。
「ああ、なれるとも」老婆は話す。「いや、違うね。お前さんは根っからの魔術師だったんだ。こうなることは、ずっと前から決まっていたのさ。運命が云々というのでもない。これは、そうあるべきものが、そうあるようになっただけのこと。お前さんが干渉することが、最後のピースだったんだ」
ウルスはランプから手を離す。もうそこに炎はなかった。代わりに、空だったはずのランプの下部に、いつの間にか液体が入っているのが見える。液体はどこか濁っていたが、それでも綺麗だった。
老婆は椅子から立ち上がり、部屋の奥にある戸棚の方に向かう。引き出しから小箱を取り出して戻ってきた。もう一度椅子に座り、ウルスに小箱を差し出す。受け取って箱の蓋を開けると、中にマッチが入っていた。
「ランプにもう一度火を灯せば、お前は魔術師になる」老婆が言った。「その気があるなら、火を灯すといい」
マッチを一本取り出し、ウルスはその先を見つめる。
迷うことなどなかった。だから、棒を箱の側面に擦りつけて、彼女は火を点けた。それをランプの導線に移す。
揺れる、炎。
彼女が生み出した魔力を使って、燃える炎。
何かをカウントするように、ランプの内部に溜まった液体が、徐々に減っていく。
「そうそう、言い忘れていたけどね」
ランプが成す曲面の向こう側に、老婆の顔が見えた。湾曲した目がウルスを見つめている。おそらく、相手の側からも同じように見えるだろう、と彼女は想像した。けれど、それは、もう想像を超えている。
AとBは、すでに等号で結ばれている。
そして、両者は外形を捨て、本質的に等価になった。
AがBとなり、BがAとなる。
もはや両者の区別はない。
Aも、Bも、等しく世界だ。
世界はただ一つしか存在しない。
「魔術師は、一人しか存在できないんだ」
老婆の声。
ウルスは目を見開く。
見開いたつもりだった。
けれど、見開いたのは、果たして、彼女?
見開いたのは、果たして、自分?
彼女、とは誰を指す言葉か?
自分、とは誰を指す言葉か?
ランプの向こうに、彼女の姿が見える。
その反対側にも、彼女がいた。
「どちらが、どちらで、どちらが、どちら?」
と、どちらかが問うた。
「どちらも、どちらで、どちらも、どちら」
と、どちらかが答えた。
*
入り口のドアがノックされて、彼女は編み物をしていた手を止めた。なんとなく、誰かが来るような予感がしていた。その予感は外れることがない。それはほかに対する予感ではなく、すべて、自分の内に起こることだからだ。
針と糸をテーブルに置いて、彼女は椅子から立ち上がる。予め用意しておいたポットがキッチンで音を立てるのを確認し、そちらに寄り道してからドアの方へと向かう。
ドアを開けると彼女が立っていた。
「いらっしゃい。よく来たね」彼女は言った。
「あの……」彼女は声を漏らす。
「話は中でしようかね。さあ、お上がりなさい」
彼女が家の中に入ってくる。
ドアを閉める前に、彼女はその向こう側を見た。
向こうも、こちらも、すでにない。
これから起こることをすべて予想して、彼女は静かにドアを閉めた。
掌が熱くなるのを感じる。炎に触れたのだと分かった。しかし、手の表面は焼けない。炎は彼女の掌を撫でるように動くと、やがてその内側へと潜り込んでいった。
炎が自分の中に宿る。
今まで完全に分け隔たれていたそれが、自分の一部となる感覚が確かに生じた。
世界へと干渉する。
自分が世界になる。
あるいは、世界が自分になる。
どちらかがどちらかになるのではない。
その段階を飛び越えて、両者が均一の存在として並立している。
いや、もはや並立さえしていない。
どちらでも同じこと。
目を開くと、テーブルの向こう側で老婆がこちらを見つめていた。大して驚いた様子もなく、ただ感心したような顔をしている。
「これは驚いたね」老婆が言った。「お前は、私が想像していた以上に、魔術師の才を持っているようだ」
「私は、魔術師になれるの?」
ウルスが尋ねると、老婆は静かに一度頷いた。
「ああ、なれるとも」老婆は話す。「いや、違うね。お前さんは根っからの魔術師だったんだ。こうなることは、ずっと前から決まっていたのさ。運命が云々というのでもない。これは、そうあるべきものが、そうあるようになっただけのこと。お前さんが干渉することが、最後のピースだったんだ」
ウルスはランプから手を離す。もうそこに炎はなかった。代わりに、空だったはずのランプの下部に、いつの間にか液体が入っているのが見える。液体はどこか濁っていたが、それでも綺麗だった。
老婆は椅子から立ち上がり、部屋の奥にある戸棚の方に向かう。引き出しから小箱を取り出して戻ってきた。もう一度椅子に座り、ウルスに小箱を差し出す。受け取って箱の蓋を開けると、中にマッチが入っていた。
「ランプにもう一度火を灯せば、お前は魔術師になる」老婆が言った。「その気があるなら、火を灯すといい」
マッチを一本取り出し、ウルスはその先を見つめる。
迷うことなどなかった。だから、棒を箱の側面に擦りつけて、彼女は火を点けた。それをランプの導線に移す。
揺れる、炎。
彼女が生み出した魔力を使って、燃える炎。
何かをカウントするように、ランプの内部に溜まった液体が、徐々に減っていく。
「そうそう、言い忘れていたけどね」
ランプが成す曲面の向こう側に、老婆の顔が見えた。湾曲した目がウルスを見つめている。おそらく、相手の側からも同じように見えるだろう、と彼女は想像した。けれど、それは、もう想像を超えている。
AとBは、すでに等号で結ばれている。
そして、両者は外形を捨て、本質的に等価になった。
AがBとなり、BがAとなる。
もはや両者の区別はない。
Aも、Bも、等しく世界だ。
世界はただ一つしか存在しない。
「魔術師は、一人しか存在できないんだ」
老婆の声。
ウルスは目を見開く。
見開いたつもりだった。
けれど、見開いたのは、果たして、彼女?
見開いたのは、果たして、自分?
彼女、とは誰を指す言葉か?
自分、とは誰を指す言葉か?
ランプの向こうに、彼女の姿が見える。
その反対側にも、彼女がいた。
「どちらが、どちらで、どちらが、どちら?」
と、どちらかが問うた。
「どちらも、どちらで、どちらも、どちら」
と、どちらかが答えた。
*
入り口のドアがノックされて、彼女は編み物をしていた手を止めた。なんとなく、誰かが来るような予感がしていた。その予感は外れることがない。それはほかに対する予感ではなく、すべて、自分の内に起こることだからだ。
針と糸をテーブルに置いて、彼女は椅子から立ち上がる。予め用意しておいたポットがキッチンで音を立てるのを確認し、そちらに寄り道してからドアの方へと向かう。
ドアを開けると彼女が立っていた。
「いらっしゃい。よく来たね」彼女は言った。
「あの……」彼女は声を漏らす。
「話は中でしようかね。さあ、お上がりなさい」
彼女が家の中に入ってくる。
ドアを閉める前に、彼女はその向こう側を見た。
向こうも、こちらも、すでにない。
これから起こることをすべて予想して、彼女は静かにドアを閉めた。
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