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彼方灯火

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第8話 皆無という状態は存在しないことに関する説明

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 隣を歩くジュークボックスの様子がおかしくなった。奇妙な音が響く。体内に入っているコインが、上方にある投入口からリバースされて、胸もとに付いているランプがちかちかと点滅した。両サイドに生えている腕が大車輪のように交互に回る。その動作が何度か繰り返されたのち、今度は身体ごと宙に向かって何度も飛び盛った。

 空中で一回転。

 雪で覆われた地面に着地する。

〈お待たせ〉

 突然、今までとは異なる声になって、ジュークボックスが言った。

「リ・ドゥ?」ドルスはその場に立ち尽くし、ジュークボックスに確認する。

〈談話室の外には出られないから、こうすることにした〉

「なるほど」ドルスは頷く。「君らしいね」

〈そうかな?〉

「今のところ、君の中での世界とは、地球のことかな?」

〈とりあえずは、そう理解することにする〉

「いいね。判断を保留するのは嫌いじゃない。あとでの楽しみが増えるというものだ」

 隕石が頭上を通過する。比較的距離が近いから、その熱も感じられた。日が暮れた空を引き裂くように、巨大な質量を伴った物体が移動する様は、言葉を失わせる力があった。物理の前に人間は無力だ。絶対に逸脱することのできないルールといえる。精神も、実は物理に拘束されている。物理の中の精神という位置づけが正しい。

 ジュークボックスに手を引いてもらって、ドルスは雪原の中を移動した。リ・ドゥが宿ったジュークボックスは、かつてのそれよりも遙かに力強かった。まるで彼女がその場にいるみたいだ。だから、ドルスには、だんだんと、彼女が本当にそこにいるように見えるようになった。

 金色の髪。

 細く長い腕。

 棚引くシャツの袖。

 彼女が世界征服をしたら、きっと、世界はこんな力強さで溢れるのだろうとドルスは想像する。それは、たぶん悪いことではない。活き活きとした未来が待っているだろう。

 けれど、それだけでは駄目だと彼は判断したのだ。いつもそうした姿であるのは、あの談話室だけで良い。

 前方から、吹雪。

 頭上に、隕石。

 死は、いつもすぐ傍にある。

 いつ心臓が停止してもおかしくはない。

 吹雪や、隕石があれば、その、忘れていた当たり前を、思い起こさせられる。

 人々には、時として必要な養分だろう。

 神も、そんなことを考えたのだろうか?

 前方に巨大な陰が現れて、二人の足は止まった。

 その建物は、三つの円錐状の構造物から成っていた。中心に一番大きな円錐があり、その左右にそれよりも一回り小さいサイズの円錐が立ち並んでいる。円錐の頂点には旗が靡いているのが見えた。吹雪に煽られて、その内の一つが二人の前に落ちてくる。旗には奇妙な紋様が描かれていたが、それが何を示すのかは分からなかった。

 正面にある一番大きな円錐には、木材で作られた重厚な扉がある。

 深い茶色の表面。

 縁が黒色の金属で補強されている。

 扉の中心に、一際目立つ金属板が設置されているのが分かった。その左右から、扉の縁に向かって鎖が張り巡らされている。

 金属板の中心に鍵穴がある。

 防寒具のポケットから、ドルスはキーを取り出した。彼はそれをリ・ドゥに渡す。

 リ・ドゥは首を傾げる。

 ドルスは一度頷いた。

 一秒。

 ドルスから受け取ったキーを、リ・ドゥは鍵穴に差し込む。キーに刻まれた溝と、鍵穴に刻まれたそれが一致する感触が、確かに掌に伝わってきた。彼女はそのままキーを右方向に一度捻る。金属板を繋ぎ止めていた鎖の一方が外れ、重力の影響を受けて垂れ下がった。

 リ・ドゥは、両手で扉を押し、それを開く。

 ドルスも彼女に続く。

 二人が建物の中に入ると、背後でドアが勢い良く閉まった。建物の中は真っ暗だから、たちまち何も見えなくなる。今まで白銀の世界にいたこともあって、目が慣れるまで時間がかかった。

 リ・ドゥが手を伸ばしてくる。

 ドルスはそれを握った。

「どこに何があるか、分かる?」ドルスは尋ねる。

「ある程度は」リ・ドゥは答えた。「しかし、君の存在が干渉していて、上手く探知できない」

「それは申し訳ない。今すぐ消えようか?」

「消えられるの?」

「うん、ちょっと、無理かな」

「貴方の身体も有機物には違いないから、それを燃やして、照明にするというのはどう?」

 彼女の言葉を無視して、ドルスは先へ進む。床は硬質で、一歩進むごとに澄んだ足音が空間に響いた。その反響音をもってしても、ここがかなり広大であることが分かる。ただ、音の反射は一定ではなく、前方に何らかの障害物があることが分かった。

 リ・ドゥは、ドルスよりも早く、その存在に気づいていただろう。

 そこには、何か、壁で区切られた、部屋のようなものが。

 手を伸ばすと、ドアに取り付けられた、把手のようなものが。

 そのドアの表面には、上からぶらさげられた、プレートのようなものが。

 唐突に上方に明かりが出現して、プレートに書かれた文字が見えるようになる。

 ドルスはそれを読む。

「談話室」と書かれていた。
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